1 名前:樽悶 ★[sage] 投稿日:2026/03/03(火) 01:31:12.29 ID:LzbfG8X29.net
日本の古代史最大のミステリー、「邪馬台国」。所在地をめぐる論争に決着はつくんでしょうか。
■【動画で見る】邪馬台国論争がついに決着…?
日本の古代史最大の謎、女王「卑弥呼」の墓とされる説もある古墳で、新発見があったといいます。
この発見で、決着が期待されるのが…邪馬台国論争。
卑弥呼がいたとされる「邪馬台国」は一体どこにあったのか?
「奈良であってほしい」(考古学ファン)
「九州でしょうね」(考古学ファン)
奈良を中心とした「畿内説」と「九州説」がしのぎを削る中、他にも「我こそは邪馬台国」と論争に参戦する地域が。
300年以上続く古の謎に卑弥呼の愛犬もビックリ!?邪馬台国論争の今を「newsランナー」緊急取材です。
■いまだ決着がつかない邪馬台国論争「九州説VS畿内説」
(省略)
■「畿内説」裏付ける?新たな発見「渡り土堤」
こうしたなか先週、“畿内説”を裏付けるかもしれない新たな発見が。
3世紀中ごろに建造されたとされ、“卑弥呼の墓”との説もある前方後円墳、「箸墓(はしはか)古墳」。
ここで、墳丘と外部を結ぶ「通路」の役割をもつ、「渡り土堤」とみられる遺構が見つかったのです。
長年、発掘調査に携わってきた橋本さんに聞くと…。
(省略)
ただ、橋本さんは、これまでの発見から、「奈良に邪馬台国があった可能性が高い」と話します。
「纒向遺跡が日本で一番最初に、前方後円墳を編み出した場所であって、日本列島各地から人が集まってきたことを示す土器が、大量に纒向遺跡から出てきたりとか、そういうものを総合して見ていった時に、やっぱり纒向っていうのは、一番中心に来るべき遺跡であると言えます」(桜井市埋蔵文化財センター 橋本輝彦所長)
■根強い「九州説」
しかし、先週行われた現地説明会に参加した人に話を聞くと…。
「九州でしょうね。魏志倭人伝の邪馬台国というのは、(卑弥呼と)100人が殉葬されてないといけない。こんなところに100人殉葬者がいてるんかどうか…」(箸墓古墳 説明会の参加者)
「(卑弥呼の後継者とされる)台与(とよ)・壱与(いよ)ちゅうかね、その方の墓がどこか、ちゅうのと、卑弥呼さんとはペアになってると思うので、それが分からないと九州も有力やし」(箸墓古墳 説明会の参加者)
まだまだ九州説も根強い様子。
■書籍も出版「邪馬台国近江説」 弥生時代後期・国内最大級の遺跡
そして、取材を進めると…「我こそは邪馬台国」と参戦する地域がほかにも!
(省略)
■「奈良・纏向遺跡こそが当時の首都」と考古学者
そんな中、取材班は、この論争に決着をつけるかもしれない専門家に接触。
長年、纒向遺跡などの研究を続けてきた考古学者の寺沢薫さんです。
「倭国の中心が纏向遺跡に置かれた。この纏向遺跡があるこの場所が邪馬台国」(桜井市纏向学研究センター 寺沢薫センター長)
寺沢さんによると、そもそも卑弥呼は、倭国という複数の国の連合体の女王で、その都があった場所が邪馬台国だったというのです。
(省略)
寺沢さんによると、「考古学的には、9割方、邪馬台国は畿内にあった」といいます。
■ついに決着か? 「何が出ても水掛け論」と橋本さん
ついに、論争に決着がつくのか!桜井市の橋本さんに聞くと。
「いや、多分ね、それは決着しないと思います」(桜井市立埋蔵文化財センター 橋本輝彦所長)
魏志倭人伝に書かれている、魏の皇帝から卑弥呼に贈られたとされる「金印」が見つかっていないのです。
「九州の人たちとお酒飲んでる時に冗談で、『纏向(奈良)で金印が出たらどうする?』っていう風にしゃべってたら。九州説の人は『大和の王権が、九州の金印を奪ったと言う』と言いましたので、もう多分水掛け論になるので、何が出ても多分決まらんだろうとは思います」(桜井市立埋蔵文化財センター 橋本輝彦所長)
決着がつかずじまいの「邪馬台国論争」。みなさんは、どこにあったと思いますか?
3/1(日) 11:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f9c401c4717900a4389b37e0d71378ca956f60f9
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20260301-90025364-kantelev-009-1-view.jpg
★1:2026/03/01(日) 23:55:34.33
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1772426252/
312 名前:名無しどんぶらこ[] 投稿日:2026/03/03(火) 08:37:32.97 ID:o7B4YxQ90.net
宇佐神宮の地下に証拠あるぞ
横溝正史が言ってた
313 名前:名無しどんぶらこ[] 投稿日:2026/03/03(火) 08:39:27.13 ID:EdMTzPZ60.net [6/26]
>>312
同じ推理小説家の高木彬光も言ってた。
まあ、実際に掘ってみないとわからないけど。
あそこ宮司で揉めてたけど、なんか上手いことやって
掘らせてもらえないかなあ?
316 名前:名無しどんぶらこ[] 投稿日:2026/03/03(火) 08:45:26.65 ID:nur545EF0.net [1/2]
>>313
あそこ調査して役人に何か盗まれたとか言う話あったような
倭の五王って天皇だと思う?
応神天皇なら卑弥呼と年代被ってるのはおかしい
324 名前:名無しどんぶらこ[] 投稿日:2026/03/03(火) 08:58:04.83 ID:EdMTzPZ60.net [7/26]
>>316
宇佐神宮の成立にはいろいろ怪しいところがあって、
1.宇佐氏の氏神(宗像三女神?)
2.大神氏や辛嶋氏が八幡神(?)を導入
3.八幡神を応神だと設定
の順番でできたんじゃないのかなと妄想しているので
倭の五王は応神のあとの大王だとも思います。
317 名前:名無しどんぶらこ[] 投稿日:2026/03/03(火) 08:46:27.24 ID:nnGWUImo0.net [11/16]
>>312
場所的には其処っぽいよなw
大和朝廷は怨念恐れて滅ぼしたところの要石の神社建てる癖あるし
319 名前:名無しどんぶらこ[sage] 投稿日:2026/03/03(火) 08:48:25.24 ID:Qb0G8U2j0.net [3/19]
>>312
宇佐神宮の石棺
宇佐神宮改修時に石棺が二度目撃されている(明治40年、昭和16年)。
明治40年(1907年)、神楽殿前の広場にそびえる楠の大木と、内陣・三之御殿の向って右側にある楠の巨木が根を張り出し、建物の一部が傾きかけた。
そこで、内陣の部分をある程度掘り返し、根を切断すると同時に建物の一部を修理する工事が行われた。
その時、巨大な石棺がその全貌をあらわした。目撃証言によれば、「角閃石の一枚岩をくりぬいて作ったと思われる完全な長持形の石棺だった。
石の節理の条件からいって耶馬渓付近のものと思われるし、国東半島にはこういう石は存在しないそうである」
「この石棺にふれることは許されなかったので、目測にたよるほかはなかったわけなのだが幅も高さも1メートル強、長さは2メートル数十センチ、
しかも表面はまるで鉋(かんな)でもかけたようなきれいな平面になっていた。
とうぜんのことだが、蓋はべつになっており、その間からはみ出したと思われる朱が、横に一線正確な直線を真赤に描き出していた」
(目撃者の山本聴治の証言を高木彬光が著書『邪馬台国推理行』角川書店1975年で紹介)
388 名前:名無しどんぶらこ[sage] 投稿日:2026/03/03(火) 11:05:06.03 ID:ppXZm9UD0.net
卑弥呼は名前から踊ったり神と交信するやつな感じ?だから、稗田阿礼とか中山ミキを彷彿とさせる。
それ程知性や政治が必要とされるポジションじゃ無い気がする
393 名前:名無しどんぶらこ[sage] 投稿日:2026/03/03(火) 11:13:42.86 ID:Qb0G8U2j0.net [8/19]
>>388
多分因果関係が逆で巫女だから卑弥呼になったんじゃなくて
卑弥呼みたいなことをする女性をみこと呼んで
それに巫女という漢字当てただけじゃないかと思うわ
何故なら上古音で卑弥呼はヒミコとは発音しないから。
「巫女」という表記や認識が定着したのは、平安時代以降の書物に見られる12世紀頃とされています。
396 名前:名無しどんぶらこ[] 投稿日:2026/03/03(火) 11:17:35.08 ID:n2xrbTac0.net [10/12]
>>388
青森のイタコと同じだよ
沙庭ってのが言魂が降りてくる人
神功皇后の話だけど
天皇の命令で
神功皇后が琴を弾くと
建内宿禰に言魂が降りてくる
その大后息長帯日売は、その神をよせたまひき。故、天皇、筑紫の香椎宮に座しまして、熊曽国を撃たむとしたまひし時、天皇、御琴をひかして、建内宿禰大臣、沙庭にいて、神の命を請ひき。
ここに、大后をよせたまひて、言教へさとし詔りたまひしく、「西の方に国有り。金銀を本として、眼の輝く種々の珍しき寶、さはにその国にあり。吾、その国をよせたまはむ」
505 名前:名無しどんぶらこ[] 投稿日:2026/03/03(火) 14:03:56.98 ID:mitC2SqO0.net [1/3]
>>388
女酋長の時代だから
政治は占いで判断するのですよ
507 名前:名無しどんぶらこ[] 投稿日:2026/03/03(火) 14:07:20.49 ID:NId9HLRh0.net [1/2]
>>388
そうだよ
自身の身体に神降ろしをする
いわゆる、イタコ芸
400 名前:名無しどんぶらこ[sage] 投稿日:2026/03/03(火) 11:22:35.05 ID:OUc9V6Cr0.net [1/3]
そもそも糸島に伊都国が間違い。
松浦から糸島は方向が違うし
それまで船で来てるのに
わざわざ降りて大変な陸路を歩く必要もない。
陸路で行くなら、小城方面が方向も南東で正しい。
さらに有明海に出て水行に変わるのも
妥当性がある。
糸島に行っちゃったら、どうやってもこの先の経路が変になるだろ。
506 名前:名無しどんぶらこ[] 投稿日:2026/03/03(火) 14:07:00.96 ID:mitC2SqO0.net
>>400
そもそも末羅国から陸路が間違い
明らかに辺境で道すらない場所で上陸して陸路とか有り得ない
上陸地点は当時の国際港である博多でしょ
508 名前:名無しどんぶらこ[] 投稿日:2026/03/03(火) 14:09:03.09 ID:NId9HLRh0.net [2/2]
>>506
そうだよ
往路は糸島半島へ直通
復路は波を利用するため呼子へ向かう
510 名前:名無しどんぶらこ[] 投稿日:2026/03/03(火) 14:09:45.41 ID:0jVlxuXr0.net [3/3]
>>506
モンゴルも二回目の上陸地点に選んでるけど
潮の流れとか暗礁とかいろいろ条件あるのでね
521 名前:名無しどんぶらこ[sage] 投稿日:2026/03/03(火) 14:21:09.61 ID:OUc9V6Cr0.net [3/3]
>>506
松浦から佐賀方面、松浦川ぞいにずっと谷になっていて
一番高いところでも標高100m程度。
糸島に行くよりずっと楽な道で
道沿いには縄文遺跡も弥生遺跡もある。
そもそも、松浦から糸島より
松浦から佐賀のほうが、道路も鉄道も先にできており
秀吉が朝鮮出兵で名護屋城を行き来する道がこの道だ。
526 名前:名無しどんぶらこ[sage] 投稿日:2026/03/03(火) 14:34:09.62 ID:5bHGWDGj0.net [4/4]
>>521
松浦というか、そもそも九州には末盧国の伝承が存しない
しかし
韓国を歴て、乍南乍東し、その北岸、狗邪韓国から始めて一海を度ると、海流に流されて到着すると考えられる山陰の山口県長門市日置中には
石川県の羽咋に押し寄せたオロシを迎撃するため、
直入(現在の大分県竹田市)で兵を集めて出発した皇軍の船団
福岡県春日市の須玖遺跡群にあった筑紫城の「彦瀲」←神武の父で、天皇ではなく漢委奴国王の軍の船団
が
穴門(現在の山口県長門市)のクリナカ(日置中)のマツラクニの港に立ち寄った
という伝承が残っている










































