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泣ける話



小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。

767 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:2006/11/24(金) 16:36:07 ID:lr8ZW3iq
父の弁当





小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、
俺は飯のたびに癇癪をおこして大泣きしたり、喚いたり、ひどい時には焦げた卵焼きを親父に投げつけたりなんて事もあった。

翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずにちょっとずつわけてもらったおかずと、持っていたお菓子のみで腹を満たした。

弁当の中身は道に捨ててしまった。

家に帰って、空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い、
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、
「全部食ったか、えらいな!ありがとなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。

俺は本当の事なんて勿論言えなかった。
でも、その後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていた事を親父に言ったわけ。親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して、怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。



さすがに罪悪感を覚えた俺は、気まずさもあってその夜、早々と布団にもぐりこんだ。
でも、なかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父の所に戻ろうとした。流しの所の電気がついていたので、皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、 
親父が読みすぎたせいか、ボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく自分がとんでもない事をしたんだって事を自覚した。でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。

翌朝、弁当の事や今までの事を謝った俺の頭を親父は、またぐりぐりと撫でてくれて、俺はそれ以来親父の作った飯を残す事は無くなった。




親父は去年死んだ。
病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで、頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら、
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」
とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの、微かに笑いつつ頷いてくれた。


弁当の事とか色々思い出すたび、切なくて申し訳なくて泣きたくなる。


東京のお嬢さん育ちの母は、田舎にある父の実家が嫌いだったようだ。

61 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/03/10(金) 21:58
東京のお嬢さん育ちの母は、田舎にある父の実家が嫌いだったようだ。
私が子供の頃、母と一緒に父の実家に遊びに行った時、
祖父が「帰りの電車の中で食べろ」と言って、わら半紙の紙袋からはみだしそうなぐらい、
たくさんお菓子をくれた。
どぎつい色のついたゼリーや、見たことがないような袋菓子がたくさん入っていた。
電車の中で、私が「おじいちゃんのお菓子食べようよ」とせがんでも、母は無言だった。
東京に着き、駅のホームで母は紙袋の中のものを見ながら、
「何よこんなもの」と言い、袋ごとゴミ箱に投げ捨てた。
それを見て、私は泣いた。母は「もっとおいしいお菓子買ってあげるから」と言った。
私は、お菓子が食べられなくて泣いていたのではない。
孫のために、一生懸命お菓子を選んでくれた祖父のことを思い出して
悲しくてたまらなかったのだ。
お菓子を手渡してくれた時の、うれしそうな祖父の顔。
あの祖父の顔を思い出すと、今でも泣けてきます。
いい話でも食事の話でもなくてごめんなさい。

https://mentai.5ch.net/test/read.cgi/food/951552846/

俺、フラフラになりながら店を出た。もうココには来ないと心に決めて・・・・。

20 名前:名無しさん@4周年 投稿日:04/06/11 17:59 ID:74zJBWuV
昨夜美容院へ行ってきた。
悲壮さを出したくなかったから、「最近薄くなってきちゃって・・」と指摘される前に言った。
そしたら店員「本当ですね(キッパリ)」・・・・・。
てっきり「そうなんですか~?」くらいで曖昧な返しをしてくると思ってただけにアセル俺。
しかし、一度明るいキャラで行こうと決めたからには凹んだ所は見せられない。
「うまく誤魔化せるような髪型ないですかね~?」と俺。
「厳しいっすね(キッパリ)」
もはや瀕死の俺、口数が減る。すると店員、気を使ってくれたのか、話題を振ってくる。
「会社帰りですか?」
まだ学生の俺はさらにダメージを受ける。ここで寝たふりモードに突入。
・・・数十分後、目を開けたら、頭頂部が刈られ側頭部の髪だけだらりと長い
落ち武者状態の自分がそこに。
「この切ってない髪を、こう持ってくるんですよ。隠せるとまではいかないですけど、
 まあ、イイ感じじゃないですか」
俺、フラフラになりながら店を出た。もうココには来ないと心に決めて・・・・。
横のバーコード用の毛は自宅で自分で切りました。

https://that3.5ch.net/test/read.cgi/gline/1086153428/

ある日 料理が下手な母が珍しくオムライスを作ったのである

767 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:04/09/19 22:45:51 ID:cuaPSE7j
ある日 料理が下手な母が珍しくオムライスを作ったのである
俺はそのオムライスを見て
「こんな焦げたオムライスいらないよ。」と言いスプーンを床に叩きつけた
母は俺にこう言った「ごめんね・・・○○」
少し反省しながらも部屋に戻りFFをやったのである

そしてその1週間後 俺は仕事の出張から家に帰ったが
いつもの母の「おかえり」という声が聞こえないのである
俺はこの後 台所で倒れている母を見つけ病院に行き母の死を知らされたのである
ボーッとしながら家に帰り誰もいない静かな部屋を見ていると涙が出そうになった
ふとテーブルを見てみるとオムライスが置いてあるのを見つけた
そのオムライスは冷たくなっていたが今まで食ったどのオムライスよりもうまかった
台所に皿を片付けにいくと卵の割れ殻が大量にあるのを見つけた
その横には玉子焼きの失敗作みたいのが大量にあった

いつも顔にシワを寄せてサスペンスドラマを見ている母を思い出すと涙が出てきた
父が死んだとき母は葬式のときでは泣かなかったけど部屋で母が泣いているのを
見た俺は「もう会えない」ということを思うと釣られて涙が出てきた

今では子供に恵まれ妻と幸せな家庭を築いています。母や父にも子供の顔を見せたかったです


彼女が昼ご飯食べようとマックに誘ってきた。

7 名前:何を食べたかは覚えてない[] 投稿日:2000/02/27(日) 05:36
彼女が昼ご飯食べようとマックに誘ってきた。
入って食べ終わったあとも彼女はやけにたわいも無い話を続ける。
と突然彼女から別れ話を持ちかけられた。
なんだよおいと憮然とする俺、何故か泣き出す彼女。
周りの高校生がちらちらこっちを見てた。
俺はひたすら飲み終わったジュースの氷をガリガリ食ってたな。


親戚にとても仲のいい幼い兄妹がいた。

667 名前:癒されたい名無しさん[age] 投稿日:05/02/14 04:52:49 ID:zdiE8p+k
親戚にとても仲のいい幼い兄妹がいた。兄は3才の康介ちゃんで妹は2才の愛ちゃん。
21だった当時の俺も可愛くてたまらない子供達だった。
しかしある年末、その仲のいい兄妹の妹の愛ちゃんがトラックにひかれて死んだ。
その愛ちゃんの家族・親戚はもちろん泣いていた。
俺はあまりにも急過ぎて実感がなかった。そして愛ちゃんの兄、康介ちゃんも泣いていなかった。
俺は多分3才だから何が起きたかわかってないんだろうなあと思っていた。


668 名前:癒されたい名無しさん[age] 投稿日:05/02/14(月) 05:00:33 ID:zdiE8p+k [2/3]
続き

そして棺桶に眠っている愛ちゃんを見れる最後の時(火葬の前)
みんなが最後の別れをしている中、一人違う所へ走って行く小さな姿があった。
俺は多分康介ちゃんと思い追い掛けた。すると康介ちゃんは泣いていた。
大泣きじゃない、必死に涙をこらえようとしていた。
それでも涙が出てきていた。俺は間違いに気付いた。
康介ちゃんは愛ちゃんが死んだ事がわからなくて泣いてなかったわけではなく、
妹の前では立派でたくましいお兄ちゃんでありたいと思って涙をこらえていたのだと。


669 名前:癒されたい名無しさん[age] 投稿日:05/02/14(月) 05:13:10 ID:zdiE8p+k [3/3]
続き2

それを感じた俺も涙が出てきた。3才の康介ちゃんの心情を思うと悲しくて。
俺は泣いている康介ちゃんの手を引っ張って愛ちゃんの所へ連れてった。
康介ちゃんは愛ちゃんの顔を見るなりついに大泣きしだした。『愛ちゃん行っちゃだめだよ!』
とも連呼していた。俺を含む大人達にはその言葉があまりにも痛かった。

小さな体の康介ちゃんと愛ちゃんだけど2人の間には大きな絆みたいな物
があったんだろうなと思う。



携帯から長文スイマセン。


電子ジャーに 残ってしまって、ちょっと古くなったご飯

716 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:04/09/13 16:09:25 ID:/wNaz6l2

祖母がボケ始めた頃、海外在住だった私は一時帰国して、和歌山まで
遊びに行きました。二年程会っていなかったのですが、以前はしゃきっと
していて厳しかった祖母が、仏さんみたいな顔で笑いかけてくれて、電子
ジャーに残っていたご飯でおにぎりをつくってくれました。「食え、食え」
と言って。
祖母と同居していて、一緒にいた従弟が「おばあちゃん、そのご飯、もう
古いんちゃうかー」と明るく言って、私の方をちら、と見て「食わんでええ」
と小声で言いました。でも私はどうしても食べたかった。だから、海苔も
塩味も何もついていない、ご飯を丸めただけのおにぎりを、口にほおばり
ました。電子ジャーの中に何日残っていたのか知りませんが、ご飯はぽろ
ぽろで変色しており、確かにおいしくなかったんですが・・・。
でも祖母が嬉しそうに私のことを見ていてくれたので、こぼさないように
頑張って噛みました。
それが祖母とのこの世での別れになりました。だから今でも、電子ジャーに
残ってしまって、ちょっと古くなったご飯を見るたびに涙がでそうに
なります。ぽろぽろのご飯の舌触りも、絶対に忘れないと思います。

https://life5.5ch.net/test/read.cgi/healing/1078990472/

鳩にフライドポテトやるの楽しい

6 風吹けば名無し[sage] 2019/05/08(水) 15:01:54.50 ID:eYkp5g8Ua
鳩にフライドポテトやるの楽しい


140 風吹けば名無し[] 2019/05/08(水) 15:18:11.56 ID:1N93J/bwM
>> 6でこの発想でるの恐いわ


147 風吹けば名無し[ ] 2019/05/08(水) 15:18:49.77 ID:t93oZZBTa
>> 140
どういうことや?
なんかあかんの?


175 風吹けば名無し[] 2019/05/08(水) 15:21:01.60 ID:tnhgw7ddr
>> 147
共食いってことやろ


188 風吹けば名無し 2019/05/08(水) 15:22:33.66 ID:OqeoBRpa0
>> 175
鳩はジャガイモだった?


314 風吹けば名無し 2019/05/08(水) 15:31:46.16 ID:VREP++fXd
>> 175
はえー鳩って芋やったんやな


279 風吹けば名無し 2019/05/08(水) 15:29:38.03 ID:t4SRpOwNM
>> 175
すまんフライドチキンに見えた
普通に優しい人やったわまじですまん


81 風吹けば名無し 2019/05/08(水) 15:56:17.69 ID:M23MtZ5ba
じゃがいもをチキンとして親に教えられたニキ


88 風吹けば名無し 2019/05/08(水) 15:56:37.74 ID:rMVgJTdXa
>> 81
闇が深い


151 風吹けば名無し 2019/05/08(水) 16:01:55.00 ID:M23MtZ5ba
マッマ「チキンカレー(具じゃがいものみ)美味しい?」

イッチ「うん!チキンカレー美味しい!」


161 風吹けば名無し 2019/05/08(水) 16:03:00.32 ID:NwKb2Q+60
>> 151
あっ…


182 風吹けば名無し 2019/05/08(水) 16:04:55.17 ID:3b4bD3e1d
>> 151
あっ…(落涙)


165 風吹けば名無し 2019/05/08(水) 16:03:20.20 ID:C7TGVKBEa
>> 151
かわいそう


171 風吹けば名無し 2019/05/08(水) 16:04:02.30 ID:vZtTGi0/p
>> 151
悲しい想像やめろ


たいやきを見ると、いろんなことを思い出します。 特に、茶色の紙袋入りの。

625 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2000/05/23(火) 07:39
いいスレッドですね。私もひとつ思い出しました。
私が高校生の頃。放送部員だった私は、その日放送室で校内放送の
制作をしてました。アナウンスをしてたら、もう3月だというのに、
両手が真っ青で冷たくなるのです。おかしいなあと思いながら、
部活を終え、寒くはなかったのに手をあっためたくて紙袋に5つも
たいやきを買って帰りました。そこのたいやきは、あんこがいっぱいで
大好きだったんです。家に着くと人だかりが。
とりあえず母親を見つけ事情を聞いたら、おばあちゃんが死んだとのこと。
つい3時間程前に、畑で抜いた大根を洗いに川へ入って溺れて死んだって。
その頃って、私の両手が真っ青になってた頃じゃん・・・。
とにかく驚きと混乱でふらふら自分の部屋へ行き、何をしていいのか分からず、
とりあえずたいやきを必死で食べた。むせながら、味とかもわからんくて、
4個めぐらいでたいやきが、塩っぽくなり、食べ終えたあとぼおっとしてたら
たいやきの入ってた紙袋がいい匂いで、あったかくって、それでやっと泣けた。
そのおばあちゃんは、小さい頃いっしょに住んでたけど、
嫁であるうちの母親に追い出されてしまった人で、気性の荒い母によく
しかられていた私をかばって、また母にいじめられてしまう人でした。
私は今でも、おばあちゃんは放送室の私に、死ぬ前に会いにきて、
手を握っててくれたんだと信じています。
そしてたいやきを見ると、いろんなことを思い出します。
特に、茶色の紙袋入りの。


小学校は周りが山に囲まれていたこともあってか、 野良犬や野良猫の姿をよく見かけた。

632 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:05/02/11(金) 18:06:18 ID:dglv0YPY [1/3]
ちょっとした思い出書かせて下さい・・・。

私の通っていた小学校は周りが山に囲まれていたこともあってか、
野良犬や野良猫の姿をよく見かけた。

ある日、一匹の小さな子犬が捨てられているのを見つけた。
生まれて2ヶ月くらいの、本当に小さくてフワフワの毛の子犬。
ふらふらと山から校内にまで歩いてきたのか、少し弱っているようだった。
子供ながらに誰がこんなかわいい子犬を捨てたのか、と憤りを感じずにはいられなかった。
どうにか先生に頼み込んで、子犬はしばらく教室の隅っこで飼われることになった。
給食のパンや牛乳をあげ、クラスみんなでかわいがり、子犬はすくすく育っていた。

何日か過ぎ、先生から子犬もいつかは成犬へと育ってしまう、
このままクラスで飼い続けるわけにはいかないと伝えられた。
クラス、小学校内で誰か飼える人はいないかと必死に探した。
でも飼ってくれる人は一向に見つからず、このままでは保健所に送られるかもしれない、
という噂が流れ始めていた。
私は絶対にそれだけはだめだと思い、できる限りの友達を集め、
交代でそれぞれの家でかくまうことに決めた。もちろんみんな親には内緒で。
この時みんなで子犬をコンと名づけた。鼻の辺りの毛だけが黒っぽくてキツネに似ていたからだ。

計画は順調に進み、親に見つかることもなくそれぞれの家で子犬を交代で面倒見ていた。
コンは自分が捨て犬であり、わがままを言ってはいけないこと悟っていたかのように、
くんともなかず、時にクローゼットの中、時に押入れの中でも大人しくしていた。
絶対バレないと思っていた。
しかし、一瞬にして計画はつぶされた。
一人の友人の祖父が子犬を見つけ私たちの計画に気付き、保健所に連れていくと言い出したのだ。
その時コンはただみんなに囲まれて小さな尻尾を振って喜んでいた。


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2年前父方の祖母が亡くなりました。

534 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:2006/02/26(日) 22:07:56 ID:YQ7GefbE [1/6]
私の話を聞いてください。
2年前父方の祖母が亡くなりました。
祖母には5人の息子と3人の娘がいました。そのうちの長男が私の父です。
父は温和で争いごとを嫌い外見は弱弱しい感じです。年々歳をとり、今では孫もでき立派なおじいちゃんです。

祖母は年々弱っていて入退院を繰り返すほどでした。
退院したとしても家の中で寝ているばかりで一緒に暮らしているのに祖父が面倒を見るわけでもなく大抵の時間を一人
ですごしていたそうです。

私は昔から祖父、祖母ともに会う機会がありませんでした。
というのは祖父が気難しい人で息子、娘との仲が悪く家に行くこともなく育てられていたからです。
祖父は頑固で孤独な人でした。祖母が亡くなるまで2回しか会ったことがありませんでした。
ただ覚えているのは仕事一筋のおじいちゃんということだけです。顔もすぐに思い出せないくらししか記憶にないのです。

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俺が小学校5年生のとき、寝たきりで滅多に学校に来なかった女の子と同じクラスになったんだ。

613 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:05/02/06 10:45:49 ID:wEDfV/06
俺が小学校5年生のとき、寝たきりで滅多に学校に来なかった女の子と同じクラスになったんだ。
その子、たまに学校に来たと思ったらすぐに早退しちまうし、最初はあいつだけズルイなぁなんて思ってたよ。
んで、俺の家、その子の家から結構近かったから俺が連絡帳を届ける事になったんだ。
女の子のお母さんから連絡帳を貰って、先生に届けて、またお母さんに渡して…。それの繰り返し。
なんで俺がこんな面倒臭い事しなくちゃいけないんだ!って、一人でブーたれてたのを良く覚えてる。
そんなある日、俺何となくその子の連絡帳の中を覗いてみたんだ。ただの興味本位だったんだけど。
連絡帳にはその女の子のものらしい華奢な字で、ページ一杯にこう綴られてた。
『――今日もずっと家で寝てました。早く学校に行きたいです。
 ――今日は窓際から女の子達の笑い声が聞こえてきました。…学校に行けば、私も輪に入れるのかな…』
ショックだった。学校行かないのって楽な事だと思ってたから。
ハンデがある分、ひいき目にされて羨ましいって思ってたから。
でも彼女の文章には学校に行けない事の辛さ、普通にみんなと遊びたいって気持ちに溢れてて、
なんだか俺、普通に毎日学校に通ってんのが申し訳なくなって。
だから、連絡帳にこっそり書き込んだんだ。「いつでも、待ってるからな。体が良くなったら遊ぼうな!」って。
でも次の日の朝、その子の家に行ったらその子のお母さんに「もう、連絡帳は届けなくていいの」って言われた。
あまりにも突然だった。俺その頃悪ガキで、頭もすげえ悪かったけど、その子のお母さんの言ってる意味は伝わったんだ。
……この子は天国に行ったんだ。もう一緒に遊ぶ事は出来ないんだ……。
そんな事考えたら涙が溢れて…止まらなくって…。
ずうっと泣き続けてた俺に、その子のお母さんは連絡帳をくれたんだ。
せめて君だけは、学校にも行けなかったあの子を忘れないで欲しいって。



そんな俺ももうすぐ30になろうとしてる。
あの時の連絡帳は、引き出し下段の奥底にずっとしまったきりだ。
就職したり、結婚したり、子供が生まれたり…。今まで、本当に色んな事があった。
時には泣きたい事、辛い事の連続で、いっそ自殺しちまおうかなんて思った事もあった。
けど、そんな時はいつも引き出しを開けて、女の子の連絡帳を開くんだ。
そして、彼女が亡くなる直前に書かれた文章を読み返すんだ。

『ありがとう、いつかきっと、遊ぼうね』


私には小学校5年の時に小児喘息で亡くした友がいました。

583 名前:ともだち[] 投稿日:05/02/01 18:22:21 ID:a/pT0epJ
私には小学校5年の時に小児喘息で亡くした友がいました。
以後毎年命日の前後には友と彼の家へ顔を出しに行きました。
あれから10数年が過ぎました。
昨年9月、私は友人たちの中では一番早く結婚することになり、
小学校以来仲の良かった友人が3人披露宴に出席してくれました。
余興をしてくれるよう前もってお願いしておいたのですが、
内容は当日の彼らの出番まで内緒にされていました。
彼らの余興の番が来ました。
一人の彼がマイクを手に取りました
「今日は本当におめでとう。この場には3人しかいないけれど
 ○○も天国から駆けつけて来てるから僕たち4人からこの唄を送ります。」
その唄は亡くなった彼が一番好きだった「てんとうむしのサンバ」でした。
当時10歳だった私たちが彼の柩を前に号泣しながら大合唱したあの光景を
思い出して、涙が止まりませんでした。
新郎の私は当然引っ張り出され、友と共に熱唱しました。
○○、天国からお祝いしてくれてありがとう!
今度赤ちゃんが生まれたら見せに行くからな。


小さい頃、よく親父に連れられて街中を走ったものだった。

518 名前:1[sage] 投稿日:2006/02/15(水) 04:24:57 ID:VBIQu8j/ [1/5]
小さい頃、よく親父に連れられて街中を走ったものだった。
生まれた町は田舎だったので、交通量が少なく、
そして自然が多く、晴れた日にはとても気持ちのいい空気が漂っていた。

親父は若い頃に箱根駅伝に出たらしい。
だから走る事が大好きで、息子にもその走る楽しさを教えてあげたかったのだろう。
もともと無口だった親父も、走ってる時だけはずっと俺に声をかけつづけていた。
普段の無口な親父がなんとなく怖かった俺は、その時だけは親父が好きだった。
そしてお袋が作ったタスキを使って、駅伝ごっこをしてりしてた。
今思えば、親父はまだ青春時代に生きていたのだろう。

中学に入った俺は、当然陸上部に入部した。
レースでは結構いい成績で、部活内でもトップレベルだった。
毎回応援に来てくれる親父は、俺がいい記録を出した日には必ず酒を飲んでいた。
そして真っ赤な顔して上機嫌で、俺に毎回同じ事を言うんだ。
「お前と一緒に、箱根走りたかったなぁ」って。

高校にいっても陸上は続けた。
でも思うように記録は良くならず、さらに勉強についていけないのもあってか
俺はいつもイライラするようになった。
勉強の事には口を出さないくせに、陸上のことばかり気にしてくる親父の事を、
鬱陶しく感じてしまうようになるのに時間はかからなかった。
親父が期待してるのは知ってたから、余計に顔を見たくない気持ちだったのだろう。
反抗期、というものだったのかもしれない。


519 名前:2[sage] 投稿日:2006/02/15(水) 04:25:32 ID:VBIQu8j/ [2/5]
そんなある日、その日のレースもいい記録は出なかった。
理由はわかっていた。
数日前に定期テストの追試のために、勉強を夜遅くまでしていたから体調を崩していたからだ。
一体自分は何をやっているのか、その時の俺は本当に悩んでいた。
そして家に帰って、部屋のベッドでひとり天井を眺めていると親父が入ってきた。

レースの事で何か言われるのかと、正直顔も見たくなかった。
親父は俺の横に座って、長い沈黙の後にこう言った。

「なぁ、お前何の為に走ってるんだ? そんな眉間にしわ寄せてさ。
 父さんはな、お前が・・・」

親父がそこまで言いかけたところで俺の気持ちが爆発した。

「うるせえ!出て行けよ!!親父には俺の気持ちなんかわかんねえだろ!!
 もう嫌なんだよ!親父の顔を気にしながら走るのは!
 勉強だってしなきゃいけないんだ!親父の期待は俺にとって重いんだよ!!」

そう一気に言い切ってしまった俺を、親父は驚いた顔をして眺めていたが、
しばらくすると悲しそうな顔をしながら俺を思い切り殴った。
それからはむちゃくちゃだった。
お袋が止めに入るまで俺と親父は大喧嘩をした。

それ以来、親父と気まずくなってしまい、話す事もなくなり、
そしてすぐに俺は陸上部を退部し、走るのをやめた。
でも別に成績が良くなったわけでも、イライラが消えたわけでもなく、
毎日悶々としていた。


520 名前:3[sage] 投稿日:2006/02/15(水) 04:26:56 ID:VBIQu8j/ [3/5]
俺が部活をやめて2ヶ月くらいたった頃だ。
親父が急に倒れ、病院に運ばれた。
検査結果は末期の癌で、あと数ヶ月の命だろうということだった。

俺はショックを受けたが、まだ親父とのわだかまりがあり、
お袋に何度も誘われたが、見舞いにはなかなか行けずにいた。
家と仕事先と病院とを行き来するお袋を見て、苦労をかける親父に腹が立ちすらした。
そうしてる間に体力は徐々に落ちていって、
親父はいつ死んでもおかしくないほど弱ってきた。

そんなある朝、学校に行く前にお袋が思い出すように話し始めた。

俺が高校に入ってからも陸上を続けた事を親父はすごく喜んでいたらしい。
だから俺の記録がなかなか伸びなくて苦しんでる時、親父も同じように悩んでいたと。
そしていつか俺が走るの事を嫌いになってしまうんじゃないかって、
すごく心配してたらしい。
なのにあの日俺と喧嘩したあと、一切俺が走らなくなったのに、
なにも言わなくなったのだと。

「あの人も頑固だからねぇ」とお袋は付け足して朝食の片付けをし始めた。
俺はその話に何か引っかかるものを感じていた。
学校に行ってもずっと気になり、勉強どころではなかった。
そして休み時間、友達が「あの先生のせいで数学が嫌いになった」と言ったとき
俺は気付いてしまった。


521 名前:4[sage] 投稿日:2006/02/15(水) 04:27:36 ID:VBIQu8j/ [4/5]
そうだ、俺はあの日、親父に言ってしまった。
親父のせいで走るのが嫌いになったと、そう言ってしまったのだ。
誰よりも走るのが好きで、そして誰と走るよりも、俺と走る事が好きな親父に。

俺は授業そっちのけで病院に走った。
道路には雪がつもり、何度も転びそうになったけど、
もうしばらく走ってなくて心臓が破裂しそうなくらいバクバクいってたけど、
それでも俺は走った。
走ってる間、あの日俺を殴る前に見せた悲しそうな親父の顔が何度も頭に浮かんだ。

病室に行くと、変わり果てた親父がいた。
ガリガリに痩せて、身体からはいくつかチューブがでて、
大きく胸を動かしながら、苦しそうに息をしていた。

走ってぜぇぜぇいってる俺を見つけた親父は、
「走ってきたのか」
と消えるような声でいった。
うなずく俺に、親父が「そうか」と言いながらベッドから出した手には
ぼろくさい布が握られていて、それを俺の方に突き出し
俺の手にぼろくさい布を渡してきた。

それは小さい頃のあのタスキだった。

「なぁ、走るのは…楽しいだろ」親父は笑いながら言った。


522 名前:5 ラスト[sage] 投稿日:2006/02/15(水) 04:28:41 ID:VBIQu8j/ [5/5]
その後すぐに親父の容態は急変して、そしてまもなく死んでしまった。
葬式なんかで慌しく物事に追われ、ようやく落ち着いて部屋に戻った時、
机の上に置きっぱなしにしていたタスキを見つけた。

親父の夢は俺と箱根を走る事だった。そして俺にタスキを渡す事だった。
もちろん一緒に箱根なんて走れない。それは親父が生きていても同じだ。
でも親父は確かに、俺にタスキを渡した。
なぜだか涙があふれて止まらなかった。

そうだ俺は確かに、タスキを受け取った。

冬が明けると俺はまた走り始めた。
小さい頃に親父と走ったあの道だ。
記憶にあるのと同じ木漏れ日、同じ草のにおい、同じ坂道。
ただ違うのは隣に親父がいない事。

今、俺は結婚して子どもが出来た。
いつかこの子に、このタスキを渡したいと思っている。


昨日小学4年生の子から手紙で相談を受けました

573 名前:癒されたい名無しさん[1] 投稿日:05/02/01 00:18:57 ID:5m9CY41l
私は昨日小学4年生の子から手紙で相談を受けました

『僕のお母さんに元気になってほしくてプレゼントをあげたいんだけど、僕のお小遣いは329円しかありません。この値段で買えて女の子が喜ぶ物は何ですか?』
という内容でした。その子の母親はガンで長く生きられないのです。男の子はその事実は知りません。

私は今日デパートに男の子を連れていきました。
「お母さんダイエットしてるのかな?ご飯全然食べないし無理して笑ってるみたいなんだ。ダイエットのやつ買えるかな」
「靴かえるかな?お母さんと水族館いきたいな」
「手紙かぁ、恥ずかしいよ!でも書いてみるね。うん、折り鶴に書いてみる」 「お花買えるかな?でも枯れたら悲しいから、サボテンにしようかな?」
「お母さんの手冷たかったから手袋買えるかな?でも、冬しか使えないよね」
「お母さん、キャビア食べたいって言ってた!買えるかな?」

その子の母を思う言葉一つ一つに涙が出そうになりました。

つづきます(長いので分けますね)


574 名前:癒されたい名無しさん[2] 投稿日:05/02/01 00:22:53 ID:5m9CY41l
>>573つづき


「僕、靴にする!お母さんといろんな場所に行きたいんだ!」

靴なんてとても300円程度では買えません

私はその子がトイレに行ってる間に靴売場に行き、事情を話し、300円で買えるようにお願いしました。もちろん後から足りない分、私が払うつもりでした。店員は快く、了解してくれました。

その子を連れて靴売場に行くと、300円均一と紙に書いてありました。急いで作ったのか雑でしたが胸が熱くなりました。

「これにする!」選んだのは白いヒールの靴でした。後で払おうとしたら「300円ですから、ちょうどです」と笑顔で言われました。感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。

「早くお母さんの喜ぶ顔が見たい」
と言われ、さっそく病院に向かうことになりました つづきます


575 名前:癒されたい名無しさん[3] 投稿日:05/02/01 00:27:13 ID:5m9CY41l
ラスト

お母さんプレゼント!!大きな声で笑顔で病室のドアを開けました。

驚いて中身を見、母親は泣きだしました。

『ありがとう。でも、ごめんね、お母さん、もう靴を履いて出かけられないかもしれないの。死んじゃうかもしれないの』

男の子は驚いた顔をし、うつむきこう言いました

『一生懸命生きた人間は星になるんだ!一生懸命輝いた星は人間に生まれ変わるんだよ。
空を見ればお母さんがいるから寂しくないよ!でも、一生懸命に生きないとダメだから諦めないで頑張ろう!
僕、お母さんと水族館いきたいんた!ずーと、はけるように大きいの買ったよ」

母親は涙をふき笑顔で男の子を抱き締めました

もし、病気などで諦めかけてる方、男の子の言葉を思い出してください。諦めず頑張る事、マダ幼い子でも大切だと言っています
諦めないで頑張りましょう
長文失礼しました


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