ほんわかMkⅡ


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泣ける話



パサパサになってしまった毛の感触を今でも覚えている。

250 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:19/05/11(土)17:36:07 ID:W9w.me.xp
少し前の、余命1週間の老犬を保護した優しい人の話を読んで思い出した話。
ずいぶん昔、外飼いが当たり前の時代に猫を飼っていた。
16歳の頃には老衰で弱ってしまい、ほぼ身動きできず床ずれもできていた。
網戸のない縁側の窓はその夏も開けっ放しだった。
風通しの良い窓の傍に猫の布団を置いてやって縁側に座って撫でたのがその猫の最後の記憶。
パサパサになってしまった毛の感触を今でも覚えている。
その猫が、お迎えを覚悟した夕方にいなくなった。
もう歩くこともできず尻尾をゆっくり動かすのが精一杯の猫が遠くに行けるはずがない。
縁の下や屋根裏や畑、裏の山まで必死に探したけど結局見当たらなかった。
何処ぞの心優しい人に看られたというわけではないのだろうとわかっているけど、そうであって欲しいと思わずにいられない。


ほな、残ったごはんで、おにぎり作って

537 名前:にゃん[] 投稿日:2000/05/08(月) 21:52
おととしの、秋の話しです。
私が小学校5年の時に家をでて、居場所のわからなかった母に、
祖母の葬式の時、23年振りで、顔をあわせました。
その時、母の家に遊びに行く約束をしました。

その日は、私が料理を作りました。
ハンバーグと肉じゃがと、簡単なサラダです。
2人で食事をして、お酒を飲んで、
はじめはあたりさわりのない話しをしてましたが、
だんだん、「何故いなくなったのか?」という話しになりました。
母はたんたんと話します。
私も、母がつらくならないように、途中、冗談を入れながら、
聞きました。

帰る時、「今日はおかあちゃん、なんもできひんかってごめんな。」と、
言ったので、私は「ほな、残ったごはんで、おにぎり作って」と言いました。
母は、「そんなんで、ええんか」と笑いながら作ってくれました。

帰り、駅からタクシーに乗りました。
今日のことを思い出しているうちに、不覚にも涙がててきました。
運転手さんがびっくりして、「気分悪いんか?」と
聞かはりました。私は、
「いえ、なんか、嬉しくって、泣けてきちゃったんです」と、
泣き笑いしながら、運転手さんに、今日の事を短く話しました。
すると、運転手さんも一緒に泣き出してしまいました。
「よかったな、よかったな」と鼻水まですすってました。

家に持って帰ってきたおにぎりは、冷凍庫にいれて、
元気のない日に、1コづつ、大事に大事に、食べました。


労基法改正で秋の一斉休暇が有給で消化になった。

37 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:平成31年 04/02(火)23:38:24 ID:nCd.qp.hw
労基法改正で秋の一斉休暇が有給で消化になった。
・忙しくて一斉休暇が取れない人がいて不平等
・8月以降に入社した社員は秋の一斉休暇が付与されないので不平等
これを是正するためだって。(でも秋休暇は計画休暇に練り込まれてる)
そのかわりに有給の有効期限が1年伸びたけど、毎年そこそこ使う人には何の代替措置にもなってないし
明らかに不利益変更だけど裁判や審判するのも立場なくすしなぁ。
こんなんじゃ労基署もどうもしてくれないだろうし
働くモチベーションなくなって元気でない。
こうなるのわかってたでしょ厚労省め


俺には親がいなかった小さいころからじいちゃんと2人暮らしだった

899 名前:コピペ[] 投稿日:2007/03/10(土) 16:14:01 ID:E545+OOq
俺には親がいなかった小さいころからじいちゃんと2人暮らしだった
じいちゃんはそりぁ俺を猫かわいがりした
ガキのころいじめられて泣いて帰ったら杖を振り回して学校に怒鳴り込んだ
遠足や運動会にはでっかいいなりずしを作っていつも来てくれた
熱を出せば夜中だろうが4キロの道を俺を背負って医者まで連れてってくれた
相撲が大好きでいつも一緒に輪島を応援してた北の湖が勝つと2人で罵倒した
じいちゃんはだいぶ前に亡くなったがあるきっかけで
俺はじいちゃんと血がつながっていないことが判明した
俺は隣家の子供で夜逃げのときにあかんぼの俺だけ置き去りにされたらしい
そして独身だったじいちゃんが面倒見るといって引き取ったと
もし聞けるならじいちゃんに聞いてみたい
血のつながりもない他人の俺をどうしてここまで面倒見て育ててくれたんですか?
そして言えるならじいちゃんに言いたい
ありがとう俺にとってじいちゃんは唯一の家族でした
何の不自由もなく親がいない寂しさを感じないで大学まで行かせてくれて
いっちょ前の社会人になれたのもあなたのおかげです
今度墓参りには産まれた娘を連れて行きますね
ひ孫ですよ誰がなんと言おうと俺の娘はあなたのひ孫ですから
あと関係ないけどじいちゃんが俺に教えてくれたべぇごまの技
友達の間で俺は無敵だったよ


俺は、いわゆる母子家庭、一人っ子で、母親と二人で18歳までは京都に住んで 、大学に入ってからは東京で一人暮らしている。

913 名前:1 of 3[sage] 投稿日:05/03/18(金) 19:57:46 ID:UkzR+8vB [1/3]
(十数年前時点の)私と母親の話です。地元紙にも同じ感じの内容が載っていますが、
それは私のです。

--

俺は、いわゆる母子家庭、一人っ子で、母親と二人で18歳までは京都に住んで
、大学に入ってからは東京で一人暮らしている。

ちなみに俺と母親とは40歳離れている。小学校の時は「俺の母親だけ何でこん
なババアやねん!もっと若かったらなあ。」とか、「なんで俺のところだけ、
父親いないねん、こんな貧乏やねん」っとか不満に思っていた。母親と言い合
いになれば、「違う家に生まれたかったわ!最低や」とか平気で言っていた。

母親には18歳までは反抗しまくりで、よく言い合いをしていたから、東京に来
て、のびのびできるとせいせいしていた。


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本当にありがとう。 これからも、私の親友でいてほしい。

881 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:2007/02/11(日) 17:55:03 ID:ROM7u/xY
泣けないけども話させてくださいな…

中学二年生の時、私はクラスの男子に嫌われていて、悪口とか授業中に消しカスを投げられたりするのは日常茶飯事だった。
でも相手にするとつけあがるし、とりあえず無視してた。辛いと思ったことは無かった。
ある日、廊下に立って本を読んでいたら給食に出た袋入りの果物(何かは覚えていない)を誰か(私に果物が当たった途端、男子の笑
い声が聞こえたので多分男子)投げつけられた。
勿論、本は駄目になった。
その本はお母さんの大切にしていた本で、私に勧めてくれた本だった。
自分の本だったら別にどうでもよかったけど、それがお母さんの本だったから凄い辛くて、どうしようって泣いてた。
教師は教師で、私が泣いたこととか本が駄目になったことよりも「食べ物を粗末にするとはけしからん!!」と怒っていた。
お母さんの本、本当にどうしようと考えると凄い鬱になってきて、友達と遊ぶ約束をしていたがそんな気分じゃなくなってしまった。
その友達は幼稚園の時からの付き合いで、いつも一緒に帰っていた。
クラスのそこそこ親しい女の子に、その友達に今日は遊べなくてごめんね、先に帰ってるねって伝えておいてくれと言って家に帰った。
母は大丈夫?と心配してくれて、それでまた辛くなって泣いた。
でも段々むかついてきて、なんで私が嫌いな奴のせいで泣かなきゃだめなんだ!!と思ってきて、とりあえず漫画を読んでたらもう辛くもなんともなくなっていた。
漫画を読んで笑っているときに、今日遊ぶ約束を破った友達に謝るために電話した。
私が電話すると友達は「え!?○○!?もう大丈夫なの!?」と驚いていたが、もう漫画を読んでお腹を抱えて笑えるほど回復したぜ!!と報告すると友達が笑った。
今日は遊べなくてごめんね、おまけに先に帰っちゃったし…と言うと友達はいやいや、あんなことがあったしね~って感じで許してくれた。
次の日学校に行くと、クラスの子に「大丈夫だった?」と聞かれて、漫画読んで笑い転げてた!!と言って笑うと、クラスの子が教えてくれた。
その子は昨日、友達に事情を話したところ、友達は何も言わずに壁を蹴って、周りの者が話しかけることができなくなるほど怒りのオーラを出していたらしい。
昨日その友達に電話をした時はそんな気配も一切無く、普通に笑ってたので驚いた。
誰よりも怒ってくれて凄く嬉しかった。誰よりも心配してくれて嬉しかった。
私は生まれて初めて嬉し泣きをした。
怒ってくれて、ありがとう、心配してくれて、ありがとう。
あんたのおかげで、辛いことがあっても私は笑える。
本当にありがとう。
これからも、私の親友でいてほしい。


俺には5つ上の姉がいた。

855 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:2007/01/21(日) 23:25:47 ID:mUmZ8C3y
俺には5つ上の姉がいた。
姉は先天性の障害があり、右半身の手足が多少不自由だった。
幼いころから姉と俺はあまり仲が良くはなく、いつも喧嘩ばかりしていた。

就職して3年程経った頃、俺は当時付き合っていた彼女と結婚することになったが、
姉には結婚の話もなくその時もまだ実家に住んでいた。長男であることもあり、結婚後は
実家で両親と同居するつもりでいたが、姉の件もあって家族で揉めることが多くなり、
姉との仲はますます気まずくなっていった。
また、いままで姉の障害のことは自分の周囲に話さなかったこともあり、友人や
同僚に知られるのが嫌で、正直、姉を結婚式に招待したくはなかった。

ひどく空気が澄んだ秋晴れの日、それは結婚式まで後5日に迫った日だったが、
客先での打ち合わせ中に、突然母親から携帯に連絡があった。
それは姉が事故に遭って亡くなったという知らせだった。
姉は車椅子で近くの銀行へ行った帰りにダンプカーに巻き込まれたらしく、ほぼ
即死だったと聞かされた。

あくる日、俺は両親と警察署へ姉の遺品を受け取りに行った。受け取ったバッグの
中に封書があり、1万円札が10枚と1枚の便箋が中に入っていた。

その便箋には、
「○○へ。 結婚おめでとう。できの悪い姉でいろいろと迷惑かけたけど、姉ちゃん
にはこれが精一杯のお祝い。」というような内容が書かれていた。
我に返った俺の目からは、今まで流したことのない大粒の涙がぽろぽろと零れて
いつまでも止まらなかった。

https://life8.5ch.net/test/read.cgi/healing/1112099908/

見送りの新横浜で、親が崎陽軒の「シュウマイ弁当」を買ってくれた。

130 名前:もう15年前[] 投稿日:2000/03/14(火) 20:02
親元を離れ、就職のため上京した私の唯一の頼りは、1年先にやはり
就職でこちらにきていたものすごく仲の良かったひとつ年上のいとこ。

まだまだ生活に慣れない梅雨の頃、職場に突然親から電話が。
「いとこの○ちゃんが倒れたらしい。近くにいるのはお前だけだから
行ってやってくれ。」
上司に事情を説明し、病院へ。病床には弱りながらも意識のしっかり
した彼がいた。
別室で医者に事情を聞くと、ずいぶん前から心臓が弱り続け、もはや
手のつけられない状態だと。

さっき話した彼には、死なんて認識はまったくない。中学で母を亡く
した彼へのさらにひどい運命のしうちに声にならない叫びをあげ拳で
壁を殴る私。
駆けつけた彼の父が残り、その日は寮に帰った。
もう会えないとはわかっていたが、そばにいるのは辛すぎた。

夜中に叔父から電話があり、「死にました」ポツリと告げられた。

翌々日駆けつけた彼の妹とうちの親たちと、悲しみながらも慌しく簡単な
葬儀を行なった。そして、彼は小さな骨壷になって妹に抱かれ新幹線で
帰郷した。

見送りの新横浜で、親が崎陽軒の「シュウマイ弁当」を買ってくれた。

新幹線を見送る雨上がりのホーム、ポツンとひとり残された私。
大げさだがこの世でひとりぼっちになった気がした。

寮に帰り、途方にくれながら1人で食ったあの弁当、味はしなかった。


小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。

767 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:2006/11/24(金) 16:36:07 ID:lr8ZW3iq
父の弁当





小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、
俺は飯のたびに癇癪をおこして大泣きしたり、喚いたり、ひどい時には焦げた卵焼きを親父に投げつけたりなんて事もあった。

翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずにちょっとずつわけてもらったおかずと、持っていたお菓子のみで腹を満たした。

弁当の中身は道に捨ててしまった。

家に帰って、空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い、
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、
「全部食ったか、えらいな!ありがとなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。

俺は本当の事なんて勿論言えなかった。
でも、その後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていた事を親父に言ったわけ。親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して、怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。



さすがに罪悪感を覚えた俺は、気まずさもあってその夜、早々と布団にもぐりこんだ。
でも、なかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父の所に戻ろうとした。流しの所の電気がついていたので、皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、 
親父が読みすぎたせいか、ボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく自分がとんでもない事をしたんだって事を自覚した。でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。

翌朝、弁当の事や今までの事を謝った俺の頭を親父は、またぐりぐりと撫でてくれて、俺はそれ以来親父の作った飯を残す事は無くなった。




親父は去年死んだ。
病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで、頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら、
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」
とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの、微かに笑いつつ頷いてくれた。


弁当の事とか色々思い出すたび、切なくて申し訳なくて泣きたくなる。


東京のお嬢さん育ちの母は、田舎にある父の実家が嫌いだったようだ。

61 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/03/10(金) 21:58
東京のお嬢さん育ちの母は、田舎にある父の実家が嫌いだったようだ。
私が子供の頃、母と一緒に父の実家に遊びに行った時、
祖父が「帰りの電車の中で食べろ」と言って、わら半紙の紙袋からはみだしそうなぐらい、
たくさんお菓子をくれた。
どぎつい色のついたゼリーや、見たことがないような袋菓子がたくさん入っていた。
電車の中で、私が「おじいちゃんのお菓子食べようよ」とせがんでも、母は無言だった。
東京に着き、駅のホームで母は紙袋の中のものを見ながら、
「何よこんなもの」と言い、袋ごとゴミ箱に投げ捨てた。
それを見て、私は泣いた。母は「もっとおいしいお菓子買ってあげるから」と言った。
私は、お菓子が食べられなくて泣いていたのではない。
孫のために、一生懸命お菓子を選んでくれた祖父のことを思い出して
悲しくてたまらなかったのだ。
お菓子を手渡してくれた時の、うれしそうな祖父の顔。
あの祖父の顔を思い出すと、今でも泣けてきます。
いい話でも食事の話でもなくてごめんなさい。

https://mentai.5ch.net/test/read.cgi/food/951552846/

俺、フラフラになりながら店を出た。もうココには来ないと心に決めて・・・・。

20 名前:名無しさん@4周年 投稿日:04/06/11 17:59 ID:74zJBWuV
昨夜美容院へ行ってきた。
悲壮さを出したくなかったから、「最近薄くなってきちゃって・・」と指摘される前に言った。
そしたら店員「本当ですね(キッパリ)」・・・・・。
てっきり「そうなんですか~?」くらいで曖昧な返しをしてくると思ってただけにアセル俺。
しかし、一度明るいキャラで行こうと決めたからには凹んだ所は見せられない。
「うまく誤魔化せるような髪型ないですかね~?」と俺。
「厳しいっすね(キッパリ)」
もはや瀕死の俺、口数が減る。すると店員、気を使ってくれたのか、話題を振ってくる。
「会社帰りですか?」
まだ学生の俺はさらにダメージを受ける。ここで寝たふりモードに突入。
・・・数十分後、目を開けたら、頭頂部が刈られ側頭部の髪だけだらりと長い
落ち武者状態の自分がそこに。
「この切ってない髪を、こう持ってくるんですよ。隠せるとまではいかないですけど、
 まあ、イイ感じじゃないですか」
俺、フラフラになりながら店を出た。もうココには来ないと心に決めて・・・・。
横のバーコード用の毛は自宅で自分で切りました。

https://that3.5ch.net/test/read.cgi/gline/1086153428/

ある日 料理が下手な母が珍しくオムライスを作ったのである

767 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:04/09/19 22:45:51 ID:cuaPSE7j
ある日 料理が下手な母が珍しくオムライスを作ったのである
俺はそのオムライスを見て
「こんな焦げたオムライスいらないよ。」と言いスプーンを床に叩きつけた
母は俺にこう言った「ごめんね・・・○○」
少し反省しながらも部屋に戻りFFをやったのである

そしてその1週間後 俺は仕事の出張から家に帰ったが
いつもの母の「おかえり」という声が聞こえないのである
俺はこの後 台所で倒れている母を見つけ病院に行き母の死を知らされたのである
ボーッとしながら家に帰り誰もいない静かな部屋を見ていると涙が出そうになった
ふとテーブルを見てみるとオムライスが置いてあるのを見つけた
そのオムライスは冷たくなっていたが今まで食ったどのオムライスよりもうまかった
台所に皿を片付けにいくと卵の割れ殻が大量にあるのを見つけた
その横には玉子焼きの失敗作みたいのが大量にあった

いつも顔にシワを寄せてサスペンスドラマを見ている母を思い出すと涙が出てきた
父が死んだとき母は葬式のときでは泣かなかったけど部屋で母が泣いているのを
見た俺は「もう会えない」ということを思うと釣られて涙が出てきた

今では子供に恵まれ妻と幸せな家庭を築いています。母や父にも子供の顔を見せたかったです


彼女が昼ご飯食べようとマックに誘ってきた。

7 名前:何を食べたかは覚えてない[] 投稿日:2000/02/27(日) 05:36
彼女が昼ご飯食べようとマックに誘ってきた。
入って食べ終わったあとも彼女はやけにたわいも無い話を続ける。
と突然彼女から別れ話を持ちかけられた。
なんだよおいと憮然とする俺、何故か泣き出す彼女。
周りの高校生がちらちらこっちを見てた。
俺はひたすら飲み終わったジュースの氷をガリガリ食ってたな。


親戚にとても仲のいい幼い兄妹がいた。

667 名前:癒されたい名無しさん[age] 投稿日:05/02/14 04:52:49 ID:zdiE8p+k
親戚にとても仲のいい幼い兄妹がいた。兄は3才の康介ちゃんで妹は2才の愛ちゃん。
21だった当時の俺も可愛くてたまらない子供達だった。
しかしある年末、その仲のいい兄妹の妹の愛ちゃんがトラックにひかれて死んだ。
その愛ちゃんの家族・親戚はもちろん泣いていた。
俺はあまりにも急過ぎて実感がなかった。そして愛ちゃんの兄、康介ちゃんも泣いていなかった。
俺は多分3才だから何が起きたかわかってないんだろうなあと思っていた。


668 名前:癒されたい名無しさん[age] 投稿日:05/02/14(月) 05:00:33 ID:zdiE8p+k [2/3]
続き

そして棺桶に眠っている愛ちゃんを見れる最後の時(火葬の前)
みんなが最後の別れをしている中、一人違う所へ走って行く小さな姿があった。
俺は多分康介ちゃんと思い追い掛けた。すると康介ちゃんは泣いていた。
大泣きじゃない、必死に涙をこらえようとしていた。
それでも涙が出てきていた。俺は間違いに気付いた。
康介ちゃんは愛ちゃんが死んだ事がわからなくて泣いてなかったわけではなく、
妹の前では立派でたくましいお兄ちゃんでありたいと思って涙をこらえていたのだと。


669 名前:癒されたい名無しさん[age] 投稿日:05/02/14(月) 05:13:10 ID:zdiE8p+k [3/3]
続き2

それを感じた俺も涙が出てきた。3才の康介ちゃんの心情を思うと悲しくて。
俺は泣いている康介ちゃんの手を引っ張って愛ちゃんの所へ連れてった。
康介ちゃんは愛ちゃんの顔を見るなりついに大泣きしだした。『愛ちゃん行っちゃだめだよ!』
とも連呼していた。俺を含む大人達にはその言葉があまりにも痛かった。

小さな体の康介ちゃんと愛ちゃんだけど2人の間には大きな絆みたいな物
があったんだろうなと思う。



携帯から長文スイマセン。


電子ジャーに 残ってしまって、ちょっと古くなったご飯

716 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:04/09/13 16:09:25 ID:/wNaz6l2

祖母がボケ始めた頃、海外在住だった私は一時帰国して、和歌山まで
遊びに行きました。二年程会っていなかったのですが、以前はしゃきっと
していて厳しかった祖母が、仏さんみたいな顔で笑いかけてくれて、電子
ジャーに残っていたご飯でおにぎりをつくってくれました。「食え、食え」
と言って。
祖母と同居していて、一緒にいた従弟が「おばあちゃん、そのご飯、もう
古いんちゃうかー」と明るく言って、私の方をちら、と見て「食わんでええ」
と小声で言いました。でも私はどうしても食べたかった。だから、海苔も
塩味も何もついていない、ご飯を丸めただけのおにぎりを、口にほおばり
ました。電子ジャーの中に何日残っていたのか知りませんが、ご飯はぽろ
ぽろで変色しており、確かにおいしくなかったんですが・・・。
でも祖母が嬉しそうに私のことを見ていてくれたので、こぼさないように
頑張って噛みました。
それが祖母とのこの世での別れになりました。だから今でも、電子ジャーに
残ってしまって、ちょっと古くなったご飯を見るたびに涙がでそうに
なります。ぽろぽろのご飯の舌触りも、絶対に忘れないと思います。

https://life5.5ch.net/test/read.cgi/healing/1078990472/
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復調しました。みなさま励ましのお言葉ありがとうございました^^


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