685 名前:名無しさん[] 投稿日:2001/06/09(土) 19:38
ずいぶん前に、アメリカでホームステイしました。
その時のホストの翁が、もとアメリカ海軍のパイロットでF6F(だったかな?)にのっていたらしい。自分も太平洋戦争のことは勉強したり、祖父が海軍出身だったからいろいろ話を聞いていたのでずいぶん話が盛り上がりました。こっちがいろいろアメリカの提督の名前、ミッチャー、ハルゼー、、、とかいろいろ挙げるとたいそう喜んでね・・・、当時の写真を見せてくれたり、話をしてくれたり貴重な体験をしたよ。彼もいろいろ知ってて、山本、トージョー、ヒロヒト、さらにはトーゴーもしってたよ。なんでも当時のアメリカ海軍の中で日本海軍の存在は大変大きかったらしく、中でも世界三大海戦のひとつにあげられる日本海海戦の主役である東郷は、当時でも有名だったらしい。
彼は、空母にも乗ってたらしくて、相当修羅場をくぐったみたいだった。ずっと戦場にいたわけではないらしいが、太平洋戦争全体を通して日本と戦ったらしい。ゼロ戦とも戦ったし、神風にも遭遇したらしい。彼の友達は何人か死んだらしいね、ゼロ戦に撃墜されて。それでも彼は全く反日的ではなく、むしろ強敵、日本海軍に勝ったという誇りをすごく大切に持っていた。やはり、極限の修羅場をくぐり抜けた強者は、お互い国のために死力を尽くした相手に対して敬意を払えるみたいだね。もちろんアメリカは正義のために戦ったということを前提に話はされていた。戦争後半は、かなり楽になったらしいけど、初期、中盤にかけては、向こうの航空隊の中でも相当危機感が高かったらしい。
翁はとても自動車好きで、やはり日本とドイツはいい車を作るな!!って感心してたよ。本田のシビックが最初にアメリカに上陸したとき、当時の世論は所詮安物の車という見方しかしてなかったが、彼は、日本の車がアメ車に対抗できると予感したらしい。ちなみに彼の当時の愛車はフォードとTOYOTA。TOYOTAは燃費がずば抜けてよく、無駄のない美しいデザインだ、って誉めてたよ。なんとなくゼロ戦に通じるところがあるってちょっと感じたのを覚えてる。ゼロ戦も航続距離長かったんだよね。デザインもいいし。
とにかく彼にはほんとよくしてもらいました。航空博物館にはよく連れて行ってもらったし、自分のことをゼロの息子が日本からやってきた(そんな感じのニュアンス)って言ってくれてたいそうかわいがってくれました。
彼は数年前に病気で他界しましたが、生前にうちの祖父と一度でいいからあわせてあげたかった。

泣ける話ではありませんが、ちょっとしたお茶の間話です。