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ばあちゃん



私の耳元で「ゴキブリホイホイを台所の冷蔵庫の下と流しの下に仕掛けたから」と 小声で囁いた。

219 おさかなくわえた名無しさん sage New! 2006/02/20(月) 17:54:09 ID:VypJNhpV
ばあちゃんはスレチかな?母さんのオカンだからユルシテ。


昔実家にいた頃、夏場にテレビ見ながらごろごろしてたら、ばあちゃんが寄ってきて、
私の耳元で「ゴキブリホイホイを台所の冷蔵庫の下と流しの下に仕掛けたから」と
小声で囁いた。「何でゴキブリホイホイの仕掛け場所、小声で言うの?声枯れたの?」
と聞くと、ばあちゃんは怖い顔をして


「しっ!!! ゴキブリに聞こえる!!」
と怒鳴った。


しばらく笑いが止まらなかった。ばあちゃんは真剣だった


金魚をたくさん飼ってたけれど一度に全滅したことがある(池で)

888 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・[] 投稿日:02/06/26 20:09
金魚をたくさん飼ってたけれど一度に全滅したことがある(池で)
それが不思議な話しで、
今は、もう亡くなった祖母が、大病をしてもう危ないと医者から見離されそうだったんだけれど
寝てる枕もとを、金魚が泳ぐ幻が見えるって言い出したんだ
そしたら、次の日、朝起きたら金魚が全滅してた
その日から、祖母が回復に向かって
すぐ元気になったんだ
金魚が病気を持っていってくれたとしか思えない現象だった
これ本当の話しだよ
だからペットって大事だね


ばりばりのキャリアウーマン(のはしり)だった祖母は料理は全く駄目。

129 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/03/14(火) 19:20
ばりばりのキャリアウーマン(のはしり)だった祖母は料理は全く駄目。
三度の食事はいつもお手伝いのおばさんの仕事でした。ところが祖父が
死の床に就いた頃、祖母は自ら台所に立ち、料理らしきものを作って祖父
のもとへ運んで食べさせてあげるようになりました。
私は当時五歳か六歳。祖父を見舞いに行ったら、ちょうど祖母が昼食の
用意をしているところに出くわしました。
「ああ、ちょうど良かった。加奈子も食べて行きなさい。」
祖母の手料理なんて食べたことがなかったので、期待と不安でいっぱい
でした。で、出された料理は、お味噌汁の中にご飯が入っていて、煮込んで
ある奴でした。しかも、まずい。
「おばあちゃん、これ、全然おいしくない」
一口だけ食べて投げ出してしまった私に謝りながら祖母は同じ食事を
祖父のもとに運んでいきました。お匙にその雑炊(もどき)をとって
祖父に食べさせてあげている姿を、私は黙って見つめていました。
「うん。うまい。うまいなぁ」
祖父はにこにこしながら与えられた食事をおいしそうに食べています。
子供心にびっくりしたのを覚えています。その後、こっそり居間に戻り、
冷たくなった残り物の雑炊(もどき)を食べてみたのですが、やっぱり
まずかった(笑)。
でも今でも、嬉しそうに「うまいなぁ」と言って妻の手料理を食べていた
祖父の姿と、誇らしげに食べ物を口に運んであげている祖母の姿が忘れ
られません。あの、煮過ぎで辛くなった雑炊(もどき)の味も・・・。


祖母はまるでもう一人の母親のようでした。

727 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:2006/09/29(金) 03:50:47 ID:SVuEhgE3
うまく伝わるかわかりませんが私の話を…
私は小さい頃からすごくおじいちゃんおばあちゃん子でした。
電車で30分位の所にすんでいたので、小さい頃から親と喧嘩すると泣いて電話したり、祖父母の家に家出したりしました。
私は一人っ子なのですごく可愛がってくれました。
特に祖母はまるでもう一人の母親のようでした。私が何歳になっても毎日のように電話で「今日は何してたの」「何時に帰ってくるの」
など母親以上に口うるさく言ってくるので遊びたい時期の頃はうっとうしくもありました。
祖母は気持ちは女子高生のように若くて、オシャレだった祖母は、遊びに行くのが大好きで、お金持ちな祖母はしょっちゅう旅行に出かけたり何万もする服をたくさん買ったりしていました。
月に一度位、小さい頃からずっと変わらない習慣は、祖母と二人で買い物にいくことでした。。たぶんイマドキの高校生ならおばぁちゃんと買い物なんて嫌なんだろうけど、私は服を買ってもらえるのが嬉しかったし、マルキューにも一緒にいきました。
私が試着する間、どこにいってもおばあちゃんは店員さんに私の話をしていました。
足が悪いおばあちゃんはいつも杖をついて、階段は私に支えられながら昇っていました。すごく大変そうなのに、「みかちゃん、どっか行こう、つまんなくて気が狂いそう」って電話がかかってきます。
私が短大の二年で、体調崩して留年した時も私はやめちゃおっかなーなんて思ったけど祖母がどうしても卒業だけはしないと絶交っていうから、おばあちゃん孝行だと思っていくことにしました。
卒業のかかった試験の何ヶ月か前から、おばあちゃんが腰が痛いって言い出した。食べ物も食べれないって。
母親が無理矢理病院連れてったら、すい臓ガンだって。しかも末期。
余命半年って、そんなことある?あんな元気なおばぁが。
それからあっという間に入院。食べ物が食べられなくなったおばあちゃんはどんどん痩せて小さくなった。オシャレなおばあちゃんは醜い自分を見られたくなくて家族以外はお見舞いにこさせなかった
あまり話もできなくなったのに、私がいくと卒業と就職のことばかり心配する。クリスマスの日、一時退院させてもらって、親族でクリスマスパーティーをした。
寝たきりのままだけど、ご飯も食べれて、おばあちゃんがたくさん笑ってて、元気になったきがして、すごくすごく嬉しかった。
それから試験が近づいたので私は試験が終わったらすぐにまたお見舞いにいくつもりでおばあちゃんに卒業を報告したかったから勉強漬けだった。
試験の最終日の前日、夕方からお見舞いにいった母親から祖母の体調がわるいので帰りが遅くなると言われた。
心配であいに行きたかったけどそうもいかなかった。帰って来た母親の目は赤かった。
試験が終わったあと、すぐに病院にむかおうと思ったら祖父母の家に来てといわれた。



玄関をあけたら、いつもと違うお線香のにおいがした。


すべてを悟った私は泣き崩れた。
信じられなかった。余命を言われた時から心の準備はしてたけど、なにより何も恩返しできなかったのが悔しかった。卒業も間に合わなかった。ごめんねという気持ちでいっぱいだった。

祖母は最後まで私の卒業の心配をしていたそうだ。

それをきいて本当に涙が止まらなかった。
私にとって初めてのお葬式が祖母になってしまった。お葬式の時、知らない親戚やおばあちゃんの友人がたくさんいて、その人たちはみんな私の所に泣きながら来た。みんないうことは同じだった。


「あなたがみかちゃんね、おばあちゃんはあなたの話ばかりしたのよ。」


涙が止まらなかった。私はしあわせものだと思った。孫が三人もいるなかで、私が唯一の女の子だったからだろうが、私は本当に愛されていたんだ。

おばあちゃんが大好きだったたくさんの綺麗な花に囲まれている祭壇の写真のおばあちゃんは、すごくすごくキレイだった。
おばあちゃん、ありがとう。


祖母の家では毎年お正月には餅屋に頼んだ餅でお雑煮をつくります。

69 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/03/11(土) 04:50
祖母の家では毎年お正月には餅屋に頼んだ餅でお雑煮をつくります。
いつもお正月には祖母の家に行ってそのお雑煮を食べていたんだけど
ある年「たまには家でお正月を過ごしたい」ってわがまま言って行かなかった年がありました。
家では母が祖母と同じようにお雑煮をつくってくれたんだけど
どこか味が違うような気がするんですね。
三が日が過ぎてから祖母の家に遊びに行ってこの事を話したら
私のために餅を残して置いたよ、と言ってお雑煮をつくってくれました。
「やっぱりおばあちゃんが作ったお雑煮が一番美味しい」と言ったときの祖母の笑顔が忘れられません。

あと何回一緒にお正月を過ごせるかわかりませんが、それ以来お正月は絶対に祖母の家に行くようにしています。
なるべく長い間、あのお雑煮を食べたいなあと思います。


電子ジャーに 残ってしまって、ちょっと古くなったご飯

716 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:04/09/13 16:09:25 ID:/wNaz6l2

祖母がボケ始めた頃、海外在住だった私は一時帰国して、和歌山まで
遊びに行きました。二年程会っていなかったのですが、以前はしゃきっと
していて厳しかった祖母が、仏さんみたいな顔で笑いかけてくれて、電子
ジャーに残っていたご飯でおにぎりをつくってくれました。「食え、食え」
と言って。
祖母と同居していて、一緒にいた従弟が「おばあちゃん、そのご飯、もう
古いんちゃうかー」と明るく言って、私の方をちら、と見て「食わんでええ」
と小声で言いました。でも私はどうしても食べたかった。だから、海苔も
塩味も何もついていない、ご飯を丸めただけのおにぎりを、口にほおばり
ました。電子ジャーの中に何日残っていたのか知りませんが、ご飯はぽろ
ぽろで変色しており、確かにおいしくなかったんですが・・・。
でも祖母が嬉しそうに私のことを見ていてくれたので、こぼさないように
頑張って噛みました。
それが祖母とのこの世での別れになりました。だから今でも、電子ジャーに
残ってしまって、ちょっと古くなったご飯を見るたびに涙がでそうに
なります。ぽろぽろのご飯の舌触りも、絶対に忘れないと思います。

https://life5.5ch.net/test/read.cgi/healing/1078990472/

人前で泣いた事のない祖父がいる。祖父の泣いてる姿を見た人は誰も居なかった。

621 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:2006/03/20(月) 21:47:20 ID:g4KZVGKT
人前で泣いた事のない祖父がいる。祖父の泣いてる姿を見た人は誰も居なかった。あの日までは‥

祖父は何があっても泣かない。祖母が亡くなっても泣くことはなかった。
お葬式中も冷静に、ただ黙って祖母の顔を眺めていた。
皆が祖母との別れをすませ、出棺の時だった。

「待って!!」いきなり祖父は叫び車を呼び止めた。
もう一度、祖母の顔を見せてと頼み、顔を見た瞬間に初めて祖父は人前で涙を流した。

もう時間だから…と祖父を説得しても「待って、待って!」と子供のように泣き叫んでいた。
愛する人の顔を擦りながら、ワンワンと泣いていた。
時間が無いので車は出発した。祖父は、いつまでも車を追い掛けて「待って!待って」と泣き叫んでいた

火葬の時も「待って!待って!!」と泣き叫んでいた。
普段、人前で涙を見せない祖父が泣いていた。

祖母はすごく、すごく愛されていたんだと思う。幸せだったのだろう


俺は小さい頃、家の事情でおばあちゃんに預けられていた。

428 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:04/08/06 00:09 ID:MwONBliE
俺は小さい頃、家の事情でおばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地にきて間もなく当然友達もいない。
いつしか俺はノートに自分が考えたスゴロクを書くのに夢中になっていた。
それをおばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み~」
おばあちゃんはニコニコしながら、「ほーうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがて俺にも友達ができ、そんなことも忘れ友達と遊びまくってた頃
家の事情も解消され、自分の家に戻った。
おばあちゃんは別れるときもニコニコしていて
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」
と喜んでくれた。


先日そのおばあちゃんが死んだ。
89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみみるとそこにはおばあちゃんの作ったスゴロクが書かれてあった。
モンスターの絵らしきものが書かれてあったり、なぜかぬらりひょんとか
妖怪も混じっていた。
「おばあちゃんよく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。
「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「義弘(俺)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
おばあちゃん、死に目にあえなくてごめんよ。
そしてありがとう。


私は親が共働きだったから、ずっとおばあちゃんが一緒にいてくれました。

344 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:04/07/20 14:36 ID:1F5P2H2h
おばあちゃん・・・。

私は親が共働きだったから、ずっとおばあちゃんが一緒にいてくれました。
我儘な一人っ子の私は、思い通りにならないとすぐ「おばあちゃんなんか嫌い!」
後で自己嫌悪しては、「やっぱり好き、ごめんなさい」と泣いて言うような子でした。
それでもいつもおばあちゃんは優しかった。

そのおばあちゃんが、小学校に上がる少し前、アルツハイマーにかかりました。
私が分からなくなって、病室にお見舞いに行った私を嫁と間違い、激しく罵りました。
子供心に、あまりにショックだったらしく、私はその時の記憶がありませんが、
その後、小学校一年生になっておばあちゃんが亡くなり、
少しした頃のことは覚えています。手紙をかきました。

「おばあちゃん、いっぱいかわいがってくれてありがとう。
 わたしはおばあちゃんがだいすきです。
 てんごくはたのしいですか。
 わたしもおばあちゃんになったらいくので、まっててね」

その手紙は今でも実家の仏壇におさめられています。
先日その事に気付き、読み返して涙が止まりませんでした。
おばあちゃんにもう一度会いたいなあ。
死んだら、会えるかな。



医学的な死と、生物としての死は違うのかも

113 公共放送名無しさん sage 2018/12/27(木) 22:53:56 RhDTxewZ
おれのばあちゃんは救急車で病院に運ばれたとき
おれと雑談して笑ってたんだけど
検査したらすでに数時間前に心臓が破裂して死んでたことがわかった
検査の直前まで笑ってたのに
どうしてもわからない


154 公共放送名無しさん sage 2018/12/27(木) 22:56:03 HXug07Z3
>>113
不思議だけども少しでもおばあ様と喋れてよかったね


162 公共放送名無しさん sage 2018/12/27(木) 22:56:27 4FoYtZoY
>>113
医学的な死と、生物としての死は違うのかも
魂はその時まだ残ってたと思うのはどう?


「おばあちゃんここどこ?」と聞くと「ヨナグニだよ」と 言います。

695 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・[] 投稿日:02/04/08 19:30
ここのスレを読んでいてふと思い出したので書きます。
私の祖母は小学五年生の時に亡くなりました。

私が24歳ぐらいの時(二浪して就職まぎわ、藁)にいきなり
夢に現れました。そして、長い暗い洞窟を手を引いて歩くのです。
「おばあちゃんここどこ?」と聞くと「ヨナグニだよ」と
言います。私はそこはいったい外国なのか、なんなのかわからない
まま祖母に手を引かれて歩きました。

祖母は洞窟の突き当たりまで来ると、紙のようなものと
入れ歯を燃し始めました。「おばあちゃん、何やってるの」と聞いたら
「●●さんが入れ歯忘れたからね、届けてるの」と言います。
私は心細くなって「帰ろう」と言うと「幸せにね」と言いました。
その後、いきなり真っ暗な島のシルエットを一瞬見ました。
そうかと思うと、満開の桜の花が視界いっぱいに咲き乱れていました。
夢なので、こまぎれなのです。

目が醒めて、私はその夢の話を母にしたところ、話は親戚に伝わりました。
祖母の言う●●さんは、祖母の義理の姉で、祖母の死後にすぐ亡くなった
のだけれど、バタバタした葬式だったということでした。後で仏壇を
探したら入れ歯が出てきたとか…夢のおかげでお墓に納めることが出来たと
感謝されました。が、これだけでは終わりませんでした。つづきます。


696 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・[] 投稿日:02/04/08(月) 19:36
「ヨナグニ」という言葉がひっかかっていたので、地図を
調べたら、沖縄に「与那国島」という島があることを知りました。
当時、私がなんとなくつきあっていたオトコノヒトが
沖縄出身だったので、何気なくその話をしたら、
「与那国は神様の島。きっとおばあちゃんが燃していた紙は
ジーチンという死者に捧げる紙のお金だよ」と言いました。

だいぶ後になって、その人と結婚する時に
祖母が「幸せにね」と言った言葉がはじめて蘇りました。
そういう意味だったんだね…おばあちゃん…

わかりづらい話ですいません。桜が咲くとなぜか思い出します。


10年程前、祖母が死去。死因は肺炎。寝たきりの老人にはよくあるヤツ。

669 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・[] 投稿日:02/04/01 09:47
10年程前、祖母が死去。死因は肺炎。寝たきりの老人にはよくあるヤツ。
祖母は死ぬ3年位前からボケはじめ、徘徊したり家中で排泄したり大声だしたり
それは大変だった。その頃私は仕事で転勤していて自宅には居なかった。
両親と兄が一緒になって世話をしていた。特に母親は虐められた事を忘れたかの
様に一生懸命介護していた。

徘徊している時に怪我をし、そのまま寝たきりになってしまった。
母親は祖母の横に眠り、まるで我が子の様に一緒にいた。
元気な頃、祖母は近所中に母親の悪口を言い回っていたんだけど
ボケてからは、何故か母親の悪口を言う人に対して怒鳴って
怒っていた。理由はわからんが、あのコは私の娘、いやそれ以上だ
と言っていたらしい。


670 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・[] 投稿日:02/04/01(月) 09:52
そんな生活が続き、家族中が疲れ果てた頃、私がまた転勤になり
今度は自宅から通える場所になった。
それを知ってか知らずか、祖母は泣いて喜び、私を離さなかった。
ボケながらも祖母は私にこずかいをくれるとか言っていた。
が、祖母の本当の娘達、その子供達にお金や金品は取られたらしい。
母親も実の娘だから強く言えなかったと言っていた。
祖母はお金やその類のモノは全てなくなっている事に気が付いて
いなかった。祖母のお金がなくなると、実の娘達は全く連絡を
よこさなくなった。

そして祖母は亡くなった・・・。


671 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・[] 投稿日:02/04/01(月) 11:08
我家は結構大きな敷地で家も大きい。相続の問題が出てきた
途端に実の娘達の登場・・。
いや~な空気が流れた時、母親がキッパリと言った。
この家は祖母がキチンと渡すべき人に渡す様にしているはずだと
言った。我々の知らない時、祖母が元気な時に名義変更してくれて
いたらしく、名義は随分と昔に父親になっていた。

不思議なことは、母親がこの発言をした事を覚えていない事。
実の娘達に逆らった事が無い母親がはじめて逆らい、皆驚いた
と同時にその時の顔が祖母に見えたと皆がビックリしていた。

葬式が終わり、色々と片している時、ふと祖母が私を呼んでいる様
な気がした。
はて、何だろう・・・と声のする場所に行くと、両親それぞれの
名義の預金通帳があった。祖母は生前、自分の葬式代くらいは自分で
用意する様に、と口うるさく言っていた事を思い出した。
そのお金で仏壇やら何やら購入し、全て祖母に使う形になった。
残りは法事の時に使う様にと、そのまま残した。

それから、不思議な事にその娘達には何やら色々と大変な
問題が起きている。離婚やら病気やら借金やら・・・。
内一人は旦那様が無くなり、自宅もなくなってしまった。
今は何処に居るのかもしらない・・・。
私達家族は、その逆に幸せな日々を過ごしている。

良い話かどうかは疑問な所だが、最近母親が妙にしっかり
してきている。祖母が憑いているのか、付いているのか・・・。
嫁姑でも実の親子以上の関係になれると思った。
でも死ぬ前に仲良くしてれば、と思った。


怪談好きの人がいて、祖母ととても仲が良くて よく怪談話をきかせてもらっれたらしい。

905 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・[sage] 投稿日:04/01/30 02:37
新耳袋からだが覚えてる限りで・・・。

怪談好きの人がいて、祖母ととても仲が良くて
よく怪談話をきかせてもらっれたらしい。
んで話しの流れでよく
「ばーちゃんしんだらあんたの枕元にでてやる!」
「ばーちゃんがでてきても俺びっくりしないよ、でも約束よ!!」みたいな
会話をしてたらしい。

何年かたったときばーちゃんしんじゃって
葬式の夜にふと目が醒めると、かけぶとんが三つ折りにたたんであって
なんだ?っておもったらばーちゃんがすわってて
「うわ!」っておどろいたら「ほらびっくりした!」って
笑って消えたらしい。

べつにそんな感動もしないがなんkあやさしいばーちゃんだなぁとないちった。


いじめられた友達、「がっこ行きたくない」と言ったが 祖母ちゃんに無理矢理行けと言われて仕方なく行った。

642 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・[] 投稿日:02/03/26 23:28
友達に聞いた話。
中学でいじめられた友達、「がっこ行きたくない」と言ったが
祖母ちゃんに無理矢理行けと言われて仕方なく行った。
祖母ちゃん孫を送り出した後、神棚に向かって
「孫に原因があっていじめられるなら仕方がない、その印に孫を病気にでも
なんでもしてくれ。でも相手が悪いならその印を相手に与えてくれ」
ってずーっと祈ってたらしい。その日いじめの首謀者、高熱で休み。
祖母ちゃんに感謝&神様ってほんとにいるって思ったそうだ。
 後日談、友達が成長して就職、職場で上司に明らかに八つ当たりと思われる
叱責つーか罵倒された。頭に来て「ほんとに自分が悪かったなら手足を折ってくれ、
上司が悪いなら以下同文」って神棚に祈った。次の日上司、足引きずってたそうだ。
神様ってやっぱ居るみたいだとのこと。この友達にはマジ悪いことできねえ。




「沖縄の夏ってどうなの?」 「ハ、ハブクラゲが出る… 」

580 名前:名無し職人[sage] 投稿日:2005/12/14(水) 02:58:36
Mステ、タモリとコッコのトーク

「沖縄の夏ってどうなの?」
「ハ、ハブクラゲが出る… 」
「刺すの? 」
「刺すばよ。 」
「刺されたらどうなるの?」
「死ぬ…おばあちゃんも刺された。」
「おばあちゃん死んだの? 」
「生きてる。 」



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復調しました。みなさま励ましのお言葉ありがとうございました^^


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