ほんわかMkⅡ


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夜中、自室でテレビを見てたら廊下から物音がした。

5 名前: おさかなくわえた名無しさん : 2006/02/22(水) 14:32:27 ID:UvXKw2Yi
夜中、自室でテレビを見てたら廊下から物音がした。
いつまでも続くので、気になって廊下に出てみると、普段は一切家事をしない父がモップをかけていた。

声を掛けようとしたけど、モップとゴルフボールでカーリングの真似をしてるのが分かったので、何も見なかったことにして、部屋に戻った。


父がガンの末期状態で母と弟とホスピスへ申し込みに行きました。

391 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/04/17(月) 14:36
3年前、父がガンの末期状態で母と弟とホスピスへ申し込みに行きました。
申し込んだ後、喫茶店であんみつを頼みました。
みんな胸が詰まって食べれなかったのですが、
父が「食え!全部食うんだぞ!」とものすごい形相で食べ始め、
母も下を向いたまま涙をボロボロ流しながら必死で食べてました。
弟は席をはずした後、真っ赤な目で戻ってきてものすごい勢いで食べました。
私は、これを全部食べたら父が良くなるような気がして一生懸命食べました。
ほどなく父はホスピスに入ることなく亡くなりました。
今でもあんみつを見るとあの日の光景が浮かんできてつらいです。




親父に渓流釣りに連れて行ってもらったんだよ

588 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2019/06/18(火) 13:16:25.00 ID:wrtovzsQ0
昔、親父に渓流釣りに連れて行ってもらったんだよ。突然、大きな岩の陰で静かに
してるように言われてうずくまった直後、親父が釣り上げた。
沢の砂利の上で跳ねてたのは尺もあろうかという岩魚。親父はハアハア言いながら
満面の笑顔で俺に向かってドヤ顔してて、親父の興奮が俺にも伝わってきて俺も無茶苦茶
興奮した記憶がある。いつも全力で遊ぶついでに俺もついでにかまってくれてた親父だった。

今、当時の親父の年齢をはるかに超えて子供たちは俺の元を離れる年齢だ。振り返ると
俺の子育ては子どもたちのために何かをしようとか、子供たちを遊ばせようとはしてたけど、
自分自身が全力で遊んではいなかったのに気が付いた。
親父みたいな生き方で子供との時間の共有をしてみたかった。ちょっとほろ苦い
後悔がある。


内定取った会社で将来の幹部候補のみヨーロッパへ研修旅行があったそうだ。

499 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2019/06/12(水) 23:21:26.08 ID:eI9dbYpD
父の同期の話。

内定取った会社で将来の幹部候補のみヨーロッパへ研修旅行があったそうだ。だが父は海外嫌いでただ1人サボった。なんだかなぁ。その時点でキャリアに傷がつくやん。

しかし、同期たちの乗った飛行機が墜落。
幹部候補の同期は父を除いて全員死亡。

おかげさまなのか、父は最終的に取締役にまでなった。

将来を期待されてヨーロッパを巡っていた同期達が、座席ごと空中に吸い出されて死を迎えた一方、研修旅行サボってパチンコ打ってた父が順風満帆な人生を送ったというね。

まぁ、父が事故死してたら私自身生まれていなかったから結果オーライ。


俺は川崎の方に衝撃受けたなぁ。俺も親が離婚し祖父母と叔父に育てられたから。

382 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2019/06/04(火) 00:53:17.83 ID:6pviHdFM0
俺は川崎の方に衝撃受けたなぁ。俺も親が離婚し祖父母と叔父に育てられたから。俺の場合は環境が良かったんだろう。
父親親権だったものの一人では育てられなかったから俺は実家に預けられた。それでも折に触れ連絡したり会いに来たりしたときに父親が俺の事を気にかけてくれてたのは分かった。
それに祖父母や叔父も俺を腫物扱いせずに育ててくれた。
特に叔父は普段いない実父に変わり父親をやってくれた。父親が二人いるような、そんな気持ちを持っている。どちらも大事な父だ。
そんな父達に育てられた俺はとても幸せだと感じ生きてきた。だが、どこか間違ってたら俺も川崎事件を起こしてたのだろうか。

今は二人に教わった事から自分の息子の子育てをしてる。そのおかげか、息子はとても優しい子に育っている。
今度、二人の親に酒持って行くか。


いつものように梅干しと、母が作ったおかず

244 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/03/26(日) 04:13
私の父は40代前半で、ガンのために、発覚してから数カ月で他界しました。
死亡する前日父の病室に行き、いつものように梅干しと、母が作った おかずをを差し入れました。
入院直後からちょくちょく差し入れはしていたのですが、そんなにすぐ死んでしまうとは
考えもしなかった私はそれが億劫で、いつも夕食の時間より遅く届けていました。
帰りがけ父が、何か言いたそうにしていたのをぐっと呑み込んで、バイクで帰る私に
「気をつけてな」と、いつものように一言声をかけました。
それが最後の言葉でした。

その後私は何度か入院することがありました。
体調が良くなると、病院の生活は実に退屈で「次の食事まで後◯分」という気持ちで
時計を見るようになります。
その食事があまりおいしいものではなく、また量も物足りない。
父が差し入れをどんなにか楽しみにしていたか、自分で体験し分かったような気がしました。

私はこれまで、現在の自分がたいした人間でもないわりには、自分の行動を後悔したことが
ないのですが、このことについてはたいへん後悔しています。
もっと早く届けていれば良かった。毎日運んであげれば良かった。
いや、むしろ自分のために、残り少ない父との時間をもっともっと大切にするために、
そうすれば良かった。
差し入れを届けてもすぐに帰ったりするんじゃなかった。

父の死後しばらくの間、梅干しを食べる気になれませんでした。
しかし15年経った現在は、自分で漬けています。
梅干しを漬ける度、あるいはそれを食べる度、思い出してしまいます。


ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。

237 名前:ビール[] 投稿日:2000/03/24(金) 17:30
 ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。
そんなわけはないと、と言っても聞かず、冷蔵庫に決まってビールを横にして冷やしていた。
酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとって、ビールに関してだけこだわりを
持っていたのかもしれない。酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。

 親父が死んだ時、なぜかそんなに悲しくなかった。あっけないな、とは思ったが、
何か時間が寸断されるような感覚はなかった。親戚が自宅にきて、これからのことを
話し合っているときに、ふと何か酒が飲みたくなり、冷蔵庫を開けた。

 横になったビールがあった。時間がぎゅっと凝縮されて、思い出すべきことが多すぎて、泣いた。


幼い頃からずっと片親で育ってきた私は、父親と二人暮らしをしてた。

896 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:05/03/16 15:20:29 ID:hNHwjxru
これ、反抗期の時の話しなんだけど、今でも忘れられない。

幼い頃からずっと片親で育ってきた私は、父親と二人暮らしをしてた。

友達や親戚から見ても、誰から見ても、私を大事に宝物の様に可愛がってくれて、一生懸命働いてくれてた。

私の願い事は無理してでも、自分を犠牲にしてでも叶えてくれた。
風邪の時には仕事さぼってでも側に居てくれてた。
寂しい思いはさせなかったと思う。
二人きりだけどクリスマスや誕生日も毎年してくれた。

けど、十代半ば、反抗期のせいで、父の優しさが凄くうざくなってきたんだ。
心配される事とか、口聞く事も、すべてがうっとおしくなったんだ。

私は毎晩、夜遅く帰って来て、父が心配してくれても、私は父に罵声しかあびせなかった。

友達と遊ぶ事が楽しくて、だんだん家にも帰らなくなった。

そんな毎日を繰り返し、また夜、久しぶりに帰ったら私の分のおかずとか、小さなケーキがおいてあったんだ。

もう誕生日も二~三日すぎてたのに、おいてあって、毎日ご飯作って、いつ帰って来るのか分からない私をずっと待っていてくれてたんだとおもったら、切なくて悲しくて申し訳なくて涙が溢れてきた。

そして無造作に置かれてた小銭入れ、ボロボロな汚い小銭入れ、私が幼稚園の頃に父の日にあげたやつ。まだ使ってたんだ。

父は、ほんとに私を誰よりも何よりも大切な宝モノなんだって事が胸につきささって、父に優しくしてあげられなかった事に、また泣いた。

また後から知った事だけど、私が小さい頃に書いた父の日のカードも、肌身離さず持っていました。

あの一軒以来、私はちゃんと帰るようにはなりました。

そんなこんなで今私は結婚もして、もうすぐで子供も産まれます。

私は父がくれたあの愛情を、これから産まれてくる子供にたっぷりそそぎます。

そんな私をこれからも空から見守っててください。
お父さん、こんな私を育ててくれてありがとう。私はとっても幸せです。大好きだったよ。


終戦の前後、ある都市の捕虜収容所に勤めていた

176 名前:まい[] 投稿日:2000/03/19(日) 02:34
末の弟が幼稚園の頃、兄弟3人でパイナップルを
並んで食べていたら父が急に泣き出した事が
ありました。

私の父の父(私の祖父)は、終戦の前後、ある都市の
捕虜収容所に勤めていたそうです。
時々アメリカ軍の飛行機が飛んで来ては、毛布や
缶詰などの物資を落下傘で収容所の近くに落として
行くのだそうです。
もちろん、収容所に勤務するものがその物資に
手を付けるのは御法度でしたが、祖父は決死の
覚悟で(見つかったら、半殺しの目にあったとか)
パイナップルの缶詰を持って帰り自分は一口も食べる事無く、全部を7人の子供に
食べさせ、それをにこにこと見守って見ていたそうで
父は、当時、末っ子で5歳、「親父は、どんな
気持ちで、わしが食べるのを見てたのかと
思うと胸がつまる。」と、ぐっと来たそうです。
もともとからだが丈夫でなかった祖父は、3年後
結核で亡くなりました。

で、父の還暦のお祝いに親戚が、集まったとき
ちょっと、いたずら心が働いて
パイナップルの缶詰を、叔父や叔母達に出して
「お父さんたら、泣き虫で、これ見たら泣くしかなんわ」
と、祖父の話に水を向けると、兄弟皆が泣き出して
しまいました。「あんなに、ぼこぼこにへこんだ
缶詰を抱えて走ったお父さん、どんな気持ち
だったんだろうね。」とか、「学校に行って友達に
自慢したくても、お父さんに口止めされてたから
できなかったのよ」と口々に想い出話が、出ましたが
人の大切な想い出を、汚してしまったようで少し
後味が悪かったです。
ごめんね、お父さん。大切な想い出に、いたづら心なんか働かせて
と、すごく反省しました。


お父さんが日曜夜はお好み焼きを焼いてくれた。

150 名前:K子[] 投稿日:2000/03/17(金) 03:03
小さい頃。お父さんが日曜夜はお好み焼きを焼いてくれた。
すごくはりきって、「K子、たくさん食べや」って言って、
焼き方、材料、鉄板にまでこだわって。美味しいもの私に食べさせたかった
んだろうな。

それなのに「お父さんはちゃんと育てられてないんや。悪いけど両親から
下品に育てられてるんちゃうの?」
なんて食べ方のささいなことで言ってしまった。悲しそうな顔してたお父さん。
戦争中、疎開先に親が迎えに来てくれなくて、ひとりですごく遠いとこから歩いて
帰ってきた話も知ってる。いいもん食べさせてもらえなくて身体小さくていじめられたから、
娘にだけは小さい頃からおいしいもの食べさせようとしてくれてた。

あんなことどうして言ってしまったんだろ。
自分が許せない。ごめんなさいって言いたかった。もう遅い・・・。


小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。

767 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:2006/11/24(金) 16:36:07 ID:lr8ZW3iq
父の弁当





小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、
俺は飯のたびに癇癪をおこして大泣きしたり、喚いたり、ひどい時には焦げた卵焼きを親父に投げつけたりなんて事もあった。

翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずにちょっとずつわけてもらったおかずと、持っていたお菓子のみで腹を満たした。

弁当の中身は道に捨ててしまった。

家に帰って、空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い、
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、
「全部食ったか、えらいな!ありがとなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。

俺は本当の事なんて勿論言えなかった。
でも、その後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていた事を親父に言ったわけ。親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して、怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。



さすがに罪悪感を覚えた俺は、気まずさもあってその夜、早々と布団にもぐりこんだ。
でも、なかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父の所に戻ろうとした。流しの所の電気がついていたので、皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、 
親父が読みすぎたせいか、ボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく自分がとんでもない事をしたんだって事を自覚した。でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。

翌朝、弁当の事や今までの事を謝った俺の頭を親父は、またぐりぐりと撫でてくれて、俺はそれ以来親父の作った飯を残す事は無くなった。




親父は去年死んだ。
病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで、頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら、
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」
とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの、微かに笑いつつ頷いてくれた。


弁当の事とか色々思い出すたび、切なくて申し訳なくて泣きたくなる。


親族控え室を見回すと、何事もないかのように祖父らと談笑する父の姿が。

304 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/02/17(金) 01:33:24 ID:KFLeA3O90
姉の結婚式のとき。
姉と一緒に写真を撮っていたら、不意に、メールが届いた。

件名
「ほしい」
内容
「ちちも しやしん」

親族控え室を見回すと、何事もないかのように祖父らと談笑する父の姿が。
でも、時折チラチラとこちらを見る父。
「お父さんも一緒に撮ろうよ!」と声をかけたら、
「写真は苦手なんだけどなー・・・お前たちがそう言うなら仕方ないなー・・・」
と言いながら寄ってきた。

そのときの写真を、携帯の待ちうけサイズにしてあげたら
「俺は親ばかじゃないから、こんなのいらん」
と言ってたくせに、後日

「しやしん まちうけ ほうほう おしえて」
と、メールが来た。


高校卒業式 入院中の父の容態が悪化

706 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:2006/09/14(木) 18:34:46 ID:SdSDM1IB
高校卒業式
入院中の父の容態が悪化
卒業証書を持ってかけつけるもモルヒネでもう意識はない
呼び掛けても反応しないと聞きつつも懸命に呼び掛けてた
私の声に意識朦朧とする中起きた父の一言

「がんばれ…」


私頑張ってるよ…お父さん…


「ちょっと家へ寄っていきたいな」

560 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:2006/02/28(火) 22:48:26 ID:nezQgt77
いい話じゃないんだが。

3年前に父親が死んだ。
お見舞いとか便利性を考えて近くの内科しかない病院へ入院してた。
眼科への通院も必要だったのでそれは私が月に1回違う病院へ連れていってた。
その通院の時は家の近くを通るのだが
「ちょっと家へ寄っていきたいな」
といつも言われた。半日の休みしか取ってないし、その言葉もその時は面倒だなくらい
にしか思ってなかった。
しかし溶体は悪くなり、眼科の通院も救急車での移動になった。
それから半年くらいしたあたりだろうか、父は死んだ。

思えば三年、入院で家に帰ってなかった。
「午後から仕事だから駄目」といった言葉に「そうか・・・・」と残念そうに言う父の返事が
耳に残ってる。
ほんの20分でも家に寄らせてあげれば良かったなと今更後悔してる。

スレ違いスマン


父が野良タヌキの親子と友達になっていた

259 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2008/08/12(火) 23:15:40 ID:lfB7IOPi
父が野良タヌキの親子と友達になっていた


261 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2008/08/13(水) 03:25:04 ID:R5oUBnok
>>259
kwsk


262 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2008/08/13(水) 11:42:47 ID:5c3kZ3k0
>>259
それなんて北の国から?


263 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2008/08/13(水) 16:15:32 ID:IWWd5hWa
>>261>>262
野良ダヌキにこういうことをするのは本当は良くないんだろうけど…

毎日会社の庭で弁当食べながら、おかずを野良タヌキの親子3匹に分け与えていたらしく
親子はもうすっかり父に懐いていて、父が手を叩くとかならず3匹揃って藪の中から現れ、
父がその場を離れるとまた藪の中に戻っていくようになっている。
一度戻った後も、父が手を叩けば何度でもタヌキたちはひょっこりあらわれる。

「タヌキ、みせたるわ」といって父の会社に呼び出されたときは何事かと思ったが
得意そうな顔で手を叩いてタヌキを召喚した後、
「僕の、上の娘です」とタヌキに娘を紹介している父を見てうっかり萌えた。

その後餌付けの様子も見せてもらったが、母タヌキにはカマボコを、
子ダヌキにはミートボールを分け与える父なりの心配り(?)にもちょっと萌えた。


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つぶやき
復調しました。みなさま励ましのお言葉ありがとうございました^^


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