ほんわかMkⅡ


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せつない話



定時制高校に通っていた。 同級生のA子は私より1つ年上で当時16歳だったがびっくりするくらい常識がなかった。

762 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:19/10/15(火)14:14:45 ID:PC.hz.L3
定時制高校に通っていた。

同級生のA子は私より1つ年上で当時16歳だったがびっくりするくらい常識がなかった。
定時制なのでいろんな年齢の人がいるのだが、A子は入学式の日に30代の生徒に「おじちゃん!」と声をかけてトラブルになり、先生に「失礼だから他の生徒さんのことは●●さんと呼びましょうね」と注意されていた。

授業中に喋らない、食べ物を食べない、勝手にトイレに行かない、人の持ち物に勝手に触らない、使わないなど基本的なルールも注意されないと分からなくて何かあるのかなと思っていた。
もちろん、注意されたら二度とやらなかった。
学校なんて通ったことないのかなというくらいメチャメチャだった。
しかし、本当に学校が初めてだったのだ。

A子は高齢出産の母、祖父くらい高齢の父に大事にされながら育った。
父は5歳の時に亡くなるのだが、母は娘を幼稚園にも小中学校にも通わせなかった。
小学校はランドセルを買ってもらい入学式だけ行ったらしい。
A子は担任の先生に「明日から元気に学校に来てくださいね!」と言われたので学校には毎日通うものだと思ったそうだがお母さんに
「行かなくていいよ。」「小学校に行ったらお母さんに会えなくなるよ」と言われてそれ以来行かなかったらしい。

A子は家でお母さんとおもちゃで遊んだり、土日には動物園や遊園地に行って過ごしていた。
(お母さんは遺産で暮らしていた模様)
A子と関わる人も母親、叔母夫婦と母方祖父母のみで同年代の友達は当然出来ず。
大人=無条件で優しくしてくれる人と思っていたようで定時制高校では先生や年上の同級生に対して距離感が全然なかった。
逆に同年代に対してはよそよそしかった。

なぜA子が定時制とはいえ、高校に行かせてもらえたかというと小中学校は行かなくても卒業できるが
高校は行かないと卒業できないから「高校と大学には行きなさい」と言われたからだという。

A子は地元の高校を受けたが当然不合格。二次募集がある偏差値が低い高校ですら落ちた。
誰かに定時制なら誰でも受かるよと言われて1年遅れで入学したという。

そのA子母も高校3年の時に癌で亡くなった。A子はお母さんが死んだことがショックだったらしく、見てわかるくらい憔悴していた。

A子はちゃんと高校を卒業できたが卒業式の日に「小学校も中学校も通えば良かった」とポツリと漏らしたことが忘れられない。


763 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:19/10/15(火)15:01:31 ID:HU.cy.L5
うわぁ…
なんか切ないなぁ……


俺達の遊び場は近所の公園だった。 そこに結構な頻度で「おじさん」がいて、ベンチに座ってこっちを眺めてたんだ。

228 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2005/09/07(水) 02:20:51 ID:04p2dmsJ
消防の頃、俺達の遊び場は近所の公園だった。
そこに結構な頻度で「おじさん」がいて、ベンチに座ってこっちを眺めてたんだ。
何がきっかけかは覚えてないが、「おじさん」と仲良くなった俺達は時々「おじさん」と遊んだ。
でも「おじさん」はすぐ疲れちゃって、サッカーもすぐぬけるし逆上がりもできなかった。
「年だからなあ」と笑いながらベンチに戻っていく後ろ姿は、本当にただのおっさんだった。
ある日リフティングをしていたら、珍しく「おじさん」が熱中した。日が暮れるまで一緒にいた。
始めはボールを落としまくっていて、「おいおいしっかりしろよ」といぶかしんでいた俺達も、
汗まみれになりながら22回までできるようになった「おじさん」をすごいと思うようになっていた。
ただのおっさんがガキに混じって真剣にリフティングしてるなんて、周りからしたら滑稽な光景だろう。
でも、「おじさん」は真剣だった。そのことが俺達を感動させたんだと思う。
23回目でボールを落とした「おじさん」に駆け寄って「おじさんすげーよ!」とみんなで言った。
「おじさん」は「そうか、すごいか」といつもより嬉しそうに笑った。俺達は「おじさん」に敢闘賞として
当時流行っていたドラクエのバトル鉛筆をあげると「ありがとな」と言って「おじさん」は帰っていった。
次の日から「おじさん」は公園に来なくなった。

「おじさん」はヤクザで、あの翌日に抗争相手の組の事務所に拳銃持って乗り込んで刑務所送りになった、
ということはしばらく後に知った。新聞にも載ったらしいが、文字ばかりだったことしか覚えていない。

「おじさん」は公園で遊ぶ俺達を眺めて何を思ったのだろうか。
あんなに一生懸命リフティングをしながら何を考えていたのか。
22という数字は俺にとってお守りみたいなものだ。

https://ex13.5ch.net/test/read.cgi/gline/1125584404/

ガキの頃はバカだったなぁ あの頃は段ボール1つでヒーローになれたんだ

487 名前: 名無しのエリー [sage] 投稿日: 03/10/24 00:11 ID:4jx3A4zn
ガキの頃はバカだったなぁ
あの頃は段ボール1つでヒーローになれたんだ
古タイヤ転がすだけで幸せになれたんだ
用水路を歩くだけで探検家になれたんだ
風呂敷をマントにして空を飛べたんだ
木に登るだけで星をつかめたんだ
土管に入るだけで宇宙へ行けたんだ

あの街が僕の全世界だったんだ

ガードレールからかっぱらった反射板が一つあればウルトラマンになれたんだ
2つあれば仮面ライダーにもなれたんだ

毛布を被るだけで怪獣になれたんだ
イチゴのキャンディーをなめるだけでドラキュラになれたんだ
サングラスかけるだけでハリマオになれたんだ
ついでにシャンプーキャップとマスクをつけるだけで月光仮面になれたんだ
映画の下敷き買っただけで次の日話題の中心になれたんだ
竹ボウキ2本もあれば真剣勝負ができたんだ

そんな僕らの恋だったんだ
なぜだか涙が止まらないんだ


おとうさん

646 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2000/05/25(木) 14:43
うちは母の両親といっしょに住んでいました。私は一人娘。
祖母は活動的で黙っているときのない勝気な人で、母もそんなかんじ。
おとうさんはそんなにしゃべるほうでもなかったので、いつも女三人が
茶の間で盛りあがってるときにひとりで奥の部屋で本よんだりしてました。
おとうさんはアイスやジュースなどこどもっぽいものが好きだたのですが
食べ物は祖母に管理されてたので、普段食べることはあまりなかった。
(私も大学で上京するまで、コーラ、コーヒー、ラーメン食べたことなかったくらい)
で、私が小学生のころ町に初めてロッテリアができた。(うちはイナカなのです)
クルマでいくようなでかい店。
そういうところには絶対行かないような我が家だったんだけど、ある休日
おとうさんが私をクルマでつれてってくれた。
父親と二人ででかけるのはあまりないこと。私にとっては気まずくて、話も
はずまなかった。
ロッテリアでおとうさんはハンバーガーとコーラを二人分注文。
「これはおいしいんだよ」と言ってうれしそうに食べていたけど、私は全然
口に合わなくてほとんど食べなかった。おとうさんが私の分も食べた。
私が大学はいるとき「いいなーおまえはひとりぐらしできて」と冗談で
言ってたけどけっこう本音だったのかなーと思う。
私が大人になってから「ほんとはおばあちゃんといっしょにいるのはいや
だけど、○○(母の名)が好きだからしょうがないなー」と言ってました。
私は父にとって唯一血のつながった家族なのにうちにいるときはほとんと
しゃべらずに、味方をしたこともないなーと思うとすこしわるい気がします。


中学に入る直前の春休みのある暖かい夕方、桜を見に近くの公園まで出かけた。

258 名前:緑一色[] 投稿日:2000/03/27(月) 15:55
泣ける話ではないが…
中学に入る直前の春休みのある暖かい夕方、桜を見に近くの公園まで出かけた。

北国なので、4月中旬でも桜はまだ5分咲きくらいだった。人はあまりいなか
ったが、ふと同じクラスの女子に会った。彼女とは殆ど話をしたことが無かっ
たが、せっかくなので歩きながら、新学期からのことなどいろいろしゃべった
ように思う。確か彼女は直しに出した制服を取りに行った帰りとかだった。

ふと見ると、薄桃色に色付いた川沿いの桜並木の上に、白い満月が昇っていた。
ガキだった俺が、「今日は花見と月見が同時にできてラッキー」みたいなこと
を言ったら、「本当、もし緑一色君と私が大人だったら、一緒にお酒飲めたの
にね…」と彼女。

別に大した意味があるわけでもないのに、厨房にもなってなかった俺はその言
葉に何だか急にドキドキして、「ラムネ飲も、ラムネ、おごるから」と、売店
でラムネを買って彼女に1本渡した。彼女は「ありがとう」と快く受取ってく
れた。その後どんな話をしたかは覚えていない。

でも、あの時の甘く暖かい春の空気、冷たいラムネの味、夢のように美しかっ
た桜と月、そしてそれを見て微笑んでいた彼女の横顔は、今でも忘れられない。

桜の季節にラムネを見ると、思い出して少し切なくなる。


俺の親さ、昔離婚しちゃったんだよね。

450 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:04/12/29 15:26:03 ID:OIxgBQLQ
俺もちょっと書き込ませてくれい。すれ違いかも、でも書きたいんだ、スマソ。
俺の親さ、昔離婚しちゃったんだよね。
俺は本当は父親の方が好きだったんだけど、結局母親のほうになっちゃってさ。
けどそん時おれ小学5年。離婚の意味もわかってるし、話の流れ的に母親の方になっちゃうことわかってて、
しかたねぇって感じで見てたんだ。父もまたちょくちょくあうから、とかいってて、あんまり悲しくは無かったんだけどさ。
本当は悲しかったさ。けど悲しいとこなんか親に見せらんないから、あえて明るく振舞ってたわけ。
離婚からちょっとしてから父から連絡があってさ、どっか食べに行かないか、って言うから本当は外で食べるのあんま好きじゃないんだけど喜んで食べにいったんだ。
そん時父が、「新しい学校、どうだ?」とか聞くから、「全然大丈夫、心配いらないよ」みたいなこと話してたわけ。で、俺軽いつもりで、「まぁたまに苗字間違えちゃうけどねw」っていったんだ。
そしたらいきなり父がうっすら泣き始めちゃって、どうしようかと思ったね。あんなに強くて、絶対泣かない人だったのに。そしたらさ、こっちもつられちゃって、一緒に泣きそうになっちまったよ。
だって、なんか知らないけど、遊んだこととか全部頭ん中に入ってくるんだもん。
それが父にあう最後の日なんて思っても無かったよ。連絡がいきなりつかないし、家いってみたら荷物はあるのにずっと帰ってきた形跡が無い。父の実家に内緒でかけた時も、こっちには着てないし連絡も無い、とかいうし。
あいたいよ。あって親孝行ってやつをしてやりたいよ。まだする歳じゃないけどな。まさか・・・なんて思っちゃったりするわけ。
まじであいたい。あいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたい。
今日は雪降ってんな。あったかい格好してんのかなぁ。心配だよ。子供に心配かけるなんて、最悪だよな。生きてないと承知しないからな。
長くて本当にスマソ。


俺はいつも同僚のかおちゃんに言っていたんだ 俺はかおちゃんのことが好きだ

443 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:04/12/28 19:58:52 ID:omptgCZd
これマジな話

俺はいつも同僚のかおちゃんに言っていたんだ

俺はかおちゃんのことが好きだ
それだけで幸せ
かおちゃんが俺のこと好きにならなくても
幸せなんだ

かおちゃんはテレやだから
感情をストレートに出さなかったし
遊びに誘ってもてれて断ってた

だから俺はかおちゃんから
すかれていないと思っていたんだ

そんなかおちゃんは最近新潟の地震にあってなくなった
かおちゃんの部屋からは日記が発見されて
そこに俺のことが書いてあったらしい

私は○○さん(俺)が好き
恥ずかしくて自分の気持ちうを言葉に出せないけど
○○さんがいることで私は幸せ

って。


私が通っていた高校は、クロ高を女子校にしたような、県下有数のDQN学校だった。

90 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:2005/05/27(金) 04:13:26 ID:cVYFlHP3
荒れてる事だし、泣けるというか、切ない話しをひとつ。
私が通っていた高校は、クロ高を女子校にしたような、県下有数のDQN学校だった。
2年の時、父親は893の幹部、さらにロクに家に帰ってこないという
遺伝子レベルのDQNが後ろの席になった。
別のグループだったが、席が近いので世間話し程度の会話はしていた。
ある日、私は彼女に親のグチをこぼした。
当時、私の家では家族揃って夕飯を食べる習慣があり、
父親が帰宅しない限り日付が変わっても箸をつける事ができなかった。
その事を彼女に話したのだ。
そうしたら彼女はサラッと
「いいな、オヤジとごはん食べれて」と言った。
普段はクソ親父氏ねとか言っていたし
オウム上祐ファンクラブに入ってたくらいのバカ娘だったので、
そんな言葉を言うなんてまったく予想できなかった。
淋しかったんだな、彼女も。
高校を卒業して8年。以来彼女とは顔を合わせてないけど元気でいるだろうか?
お父さんとごはんは食べれただろうか?


好きのタイミングがずれて 付き合うには至らなかったけど、今も好きな人。

524 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2007/04/05(木) 21:01:14 ID:SUQKKGm9
好きのタイミングがずれて
付き合うには至らなかったけど、今も好きな人。
夜桜を見てたら、
小さく笑って私を振り返る彼の姿をハッキリと思い出した。
淋しいけれど、心が暖まった。
彼の住む街でも桜は満開だろうか


おばちゃんにとっては、きっとかなりの勇気を出して100円

921 名前:ゲームセンター名無し[] 投稿日:02/02/24 00:10 ID:e/baYmFP
いい話しじゃないんだけど、個人的に胸がつまる思いをした話し。

ダチとパチンコに行って早々にやられたオレは、同じ建物の中に
あるゲーセンにいって、ヒマつぶししてました。ダチはだしまくり(笑)
で、デイトナUSAをやってたら、後ろにおばちゃんが立ってて
ずーっと見てるの。(年齢は50歳ぐらいだと思われる。)
オレがプレイを終わっても、デモ画面をずーっと見てる。
他の人のプレイも見てる。かなりやりたそうに見えた。
他のゲームをやりながらも、そのおばちゃんが気になって観察
してたら、30分ほどたってついにおばちゃんが筐体に座ったの!
そしてコイン投入!
「おお!ついに決意したんだ!がんばれおばちゃん!!」って思った。
ローリングスタートから、さあいよいよ開始です!って時に、パチン
コ屋からそのおばちゃんのダンナらしいジジイが来てさ、
「オラ!!何やってんだ!!帰るぞ!!!」って怒鳴ってるの。
おばちゃんは弱々しい笑顔で「でも・・100円いれたし・・」って言っ
てるのに、ジジイは「うるせえ!!はやく帰るぞ!!」また怒鳴る。
力無く筐体から降りて、ジジイとともに店を出るおばちゃん・・・。

きっとそのジジイはパチンコがダメでいらついてたんだろうけどさ、そのおばちゃんにとっては、きっとかなりの勇気を出して100円
を入れたんじゃないかなって。ゲセン慣れしてない人だとやっぱり
あの大きな筐体は緊張すると思う。なんとなくわかる気もする。

期待してたなあ。
おばちゃんがゲームの楽しさを「体験」する事を。

あのおばちゃん、その後どこかでゲームやってくれてたらいいな。
なんか切なかった。


うちは弟がちょっと病気持ちで生まれてきて、生後3年ほど入院生活を送っていた。

967 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/01 23:02 ID:Ot7aEfsh
うちは弟がちょっと病気持ちで生まれてきて、生後3年ほど入院生活を送っていた。
当然母親が付きっきりの状態。
父は当時海外に単身赴任していたので、3歳の私は父方の祖父母のところへ預けられた。
両親の我慢強い説明もまだ三歳の私には理解できるはずもなく、
明るいマンションの一室から薄暗い古びた一軒家に移され毎日泣き暮らした。
祖母はすぐに呆れて私に構わなくなったが祖父はいつも私のご機嫌をとってくれた。
お菓子や絵本やおもちゃ、当時まだ定価販売だったファミコン、毎日何かを買ってくれた。
それでも私は力がなくたかいたかいをしてくれない、老人特有の匂いをまとわせた小さな祖父がなんだか苦手で
添い寝も絵本読みも断って一人で寝ていた。
友達もなくテレビもほとんど映らない、食事も母が作ってくれるものとは違う。
そんな日々を幼心に毎日呪っていた。


968 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/01 23:02 ID:Ot7aEfsh
高校生になって祖父が他界し遺品整理をしていた時祖父の日記が見つかった。
通常の日記とは別に、布張りに転地が金箔の高級そうなノートが三冊。
細かな字で連綿と綴られた私の育児日記だった。
毎日毎日何時に起きて何時に昼寝して何時に寝たかまで詳細に記してある。
私のおもちゃを買うたびに減っていくわずかな年金の残高を心配する記述もあった。
最後のページはひときわ力強い字で「○○(私の名前)よ、誰よりも幸せに生きてゆけ」で〆られていた。
涙が出た。
老後ののんびりした生活に突如押し付けられた子供を育てるのはどんなに大変だったろう?
母乳も吸えない弟にかかる医療費を母に送金しながら私にもおもちゃを買うためにどれほど節約しただろう?
私は、祖父に育ててもらった三年間に笑ったことが何度あっただろう?

私も社会人になり、通帳残高が少なくなることの意味を身を持って体感した。
今、祖父が生きていてくれたら、月に数万でも送金してあげられたのに。


969 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/01(木) 23:20 ID:m84WUTnT [6/7]
>>967
涙が出た。
「後悔先に立たず」ってまさにこのことだね。
でも、あなたがおじいさんの気持ちに気付いただけでも
おじいさんは「これまでの苦労が報われた」と思ったんじゃないかな。
今のあなたを見てきっと喜んでるよ。


978 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/02(金) 07:04 ID:74+lk8yH
>>967-968
私も少し似た経験があるので、身につまされて涙が出た
お互いおじいちゃんの為に拝もう
お坊さんが誰かがその人の為に拝む度に、その人の魂が高い所に行けるって言ってた


子供の頃すごく貧乏だったけど、誕生日とかクリスマスとか、父親は私たち姉弟のためにいろいろ やってくれてました。

927 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/04/01 08:55 ID:Cj5uOJ76
子供の頃すごく貧乏だったけど、誕生日とかクリスマスとか、父親は私たち姉弟のためにいろいろ
やってくれてました。

ある年のクリスマス、どこでもらってきたのか、父が小汚いサンタの衣装を着て私たちにプレゼント
(主に文房具でした)を配っていたら電話が鳴りました。父の口調から、債権者からの電話だと
分かりました。当時、父は工場を経営していたのですが、あまり業績がよくなかったのです。

「年明けには必ず」などと言いながら、サンタの衣装でペコペコ電話の向こうに謝る父の後ろ姿を
思い出すたびにせつなくなります。


966 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/01 22:35 ID:7Qnr7LaQ
>>927
子供の頃ってそんなに金持ちじゃ無かったんで、欲しいものってそんなに買ってもらえなかったな。
そう言うことって、大人になったらなんとも思わなくなるのかと思っていたけど、未だに自分の中に、
その頃の自分がちゃんと居るんだよな、それで大人になった自分が子供の頃の自分を見ている。
でも、切なく思うのはそんな自分の気持ちじゃなくって、欲しいものを買ってやれなかった親の気持ちを
なんとなく感じるからかな。

その頃子供心に色々考えて、欲しいとか言った積り無かったんだけど、今になると判るよ。
子供ってモロバレ。w


近所の公園に老犬が毎日のように現れるようになった。

840 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・[] 投稿日:04/03/29 15:27
小学生の頃。
近所の公園に老犬が毎日のように現れるようになった。
人に慣れていて、首輪もしてて、毛並みも良かったので、どこかで飼われているのだと思った。
が、後日、公園を管理している人から聞いた話では、捨て犬とのこと。
それからは、妙に気になって毎日公園に様子を見に行った。
何日かすると、あんなに綺麗だった毛並みが汚れ、小太りだった体が痩せていった。
でも、人懐こい目が可愛く、毎日一緒に遊んでいた為か、顔も覚えてくれたみたいで、
私の姿を見ると駆け寄ってきてくれたりして、それが子供心にとても嬉しく、
どうにかして家で飼えないものかと、両親に頼んだが、当時住んでいた
マンションが「ペット禁止」だった為に飼えず、泣く泣く諦めた。

或る日、公園に行ったら、老犬の体にマジックで「バカ犬」と落書きがされていて、
目の上に黒々と太い眉毛まで書かれていた。
眉毛の上には「マユゲ犬」とヘタクソな字まで書かれていた。
慌てて母親を呼んできて、一緒に体を洗ったけど、油性で書かれた為に洗っても
洗ってもなかなか落ちなくて、何故か洗ってる時に涙がでた。
ところが、その日以来老犬は姿を消した。
(あまりにゴシゴシ洗いすぎたから、痛くなって、私のこと嫌いになったのかな?)と
思うと悪いことをした…と悲しくなった。


841 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・[sage] 投稿日:04/03/29 17:05
>>840
ぐわっ、老犬はイカンよ反則だろ老犬は!
ただの犬に「老」がつくだけでやりきれなさ8割増しじゃねーか。


これが老人だったらここまでグッときたかどうか考えると、自信が無い。


父は母の再婚相手で、俺が小学生の時に突然父親になった。

959 517 sage New! 04/03/29 12:32
父が死んで一年になる。
父は母の再婚相手で、俺が小学生の時に突然父親になった。
当初は「父さん」と呼べず、悲しい思いをさせたかもしれない。
「○○(父の名前)さん」と息子に呼ばれるのはどんな気持ちだったんだろう。
反抗期の息子に「本当のお父さんじゃないくせに!」と言われる父はどんな気持ちだったんだろう。
毒づき、当たり散らす息子にとても手を焼いていたと思う。
俺が中一の時に事故で両足を折ってしまい、歩けなくなったときがあった。
奇しくもその時期に期末テストで、追試はほぼ決定だと思っていた時、父がおぶって学校まで連れて行ってくれた。
学校に近づくにつれて他の生徒の好奇の目に晒されている気がして、俺はとても恥ずかしくなった。実際中一にもなって父親におぶられている俺をクスクス笑う女子もいた。
そんな折、ふと父の顔を背中越しに見ると、とても堂々としていた。
「自分の息子をおぶって何が悪い?」今にもそう言いそうな表情だった。
何の謝罪、感謝の言葉も贈れないまま、父はもう二度と会えないところへ行ってしまった。
もし父が歩けなくて困ってしまうような時がきたら今度は俺がおぶってやりたかった…


5,6年前よく通りかかったチャイナタウンでいつも同じホームレスのおじいさんを見かけていました。

801 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/27 07:43 ID:hULHytoH
雪国に住んでいます。
5,6年前よく通りかかったチャイナタウンでいつも同じホームレスのおじいさんを見かけていました。
ほとんどのホームレスの人は座って「小銭ありませんか」って言い続けたりするだけなんだけど、
そのおじいさんは木琴を目の前に置いて、一日中すごい早さでめちゃくちゃに叩きまくっていました。

リズムも何もないんだけど、他の人のように何もせずにお金をもらうんじゃなくて
何かしようというその努力がなんかせつなかったです。
チャイナタウンにもいろいろあって、そこは貧乏なチャイナタウンだったので効率が悪そうで
他の場所に行けばもっとお金をくれる人がいるのにと思っていました。

体感温度が零下ー40℃になって、何人かホームレスが凍死したというニュースがあった数日後、
チャイナタウンからそのおじいさんが消えていました。
どうなったか知らないけれど、あのおじいさんは若い頃何をしていた人だったんだろうとか思うとせつなくて
おじいさんを思い出すあの通りにはしばらく行きたくない気持ちです。


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復調しました。みなさま励ましのお言葉ありがとうございました^^


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