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じいちゃん



夜、雪が降ってるにもかかわらず、じぃちゃんが外に出て行って、どんどん後ろ姿が小さくなって行く。

396 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/11/30(月) 22:11:58 ID:N9EVqvVPO
霊体験ではないけど、ちょっと不思議な話し。

高校3年生の時に一緒にくらしてたじぃちゃんが亡くなった。
しばらくの間、ちょくちょく夢に出てきてたんだけど、高校卒業間近に見た夢は不思議な夢だった。

夜、雪が降ってるにもかかわらず、じぃちゃんが外に出て行って、どんどん後ろ姿が小さくなって行く。

私『あのね、私、就職きまったんだよ!(実際決まったばかりだった)』

じぃ『そうか!良かったな~!頑張れよー』

私『うん!でも、こんなに雪が降って寒いのにどこいくの?』

じぃ『じぃちゃんなぁ、もう修行に行かなきゃならんのだわ…』

と言い残し雪の中を歩いて行きました。
それ以来、あんなに頻繁に見ていた夢も見なくなりました。
今思えば、なかなか就職が決まらない孫が心配で、あちらの世界に行けなかったんでしょうね。
良かったな!って言ってくれた時の嬉しそうな顔がいまだに忘れられません。

長文のうえ、携帯からのかきこスミマセン。


駅の階段を降りて改札に着いたら、改札は昔から変わらないまんまで

166 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2020/02/28(金) 21:05:19.92 ID:wZeNDipk
昨日と今日じいちゃんのお葬式だったのね
じいちゃんの家は実家から電車で10分くらいのところにあって
小さい頃は毎週のように遊びに行ってた
大人になってからは行く頻度は少なくなってたけど去年と一昨年は婚約者も連れて挨拶に行ってた
数年前に倒れて入院してから認知症になってあんまり人の名前とか出てこなくなったけど
会話はできるし穏やかで優しいじいちゃんだった
もう90過ぎていたからいつお迎えが来てもおかしくないとは思っていた
湯灌の時や納棺の時は悲しくて泣いたけど終わればすぐ気分も切り替えられた
ところでじいちゃんの家は最寄駅2つあって、小さい頃はA駅からよく行ってて
大人になってからは新しくできたB駅から行ってたのね
今日火葬を終えて式場から駅に向かうのにA駅の方が近かったからなんの気なしにA駅に行ったの
久しぶりにA駅付近を歩いたけど街並みはすっかり変わってたのね
でも駅の階段を降りて改札に着いたら、改札は昔から変わらないまんまで、
小さい頃じいちゃんの家から帰る時に改札までじいちゃんが送ってくれて、
いつもこの改札でまたねって言って帰っていた時の記憶がタイムスリップしたみたいに蘇ってきて
それから悲しくて堪らない


帰り際、いつも決まって握手をし「僕のエネルギーあげる。」 と言い別れる。

706 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:03/09/04 03:48 ID:ALOrXhYp
僕が幼稚園の時、祖父が癌で入院した。

近所に住んでいる事もあり、幼稚園が終わるとお見舞い
に行くのが僕と母の日課だった。
帰り際、いつも決まって握手をし「僕のエネルギーあげる。」
と言い別れる。その時、祖父は決まってにっこりと微笑み僕の
手を握り返す。


ある日、父が会社帰りに病院へ。丁度僕達とは入れ違いに
なり、少し急いで病室へと急いだ。
祖父の病室から、何だかすすり泣きが聞こえる…
そこには普段気丈に振舞っていた祖父が泣いていたという。
父がどうしたと聞くと、何も知らない僕が自分の身を案じ
毎日毎日助かる望みの薄い自分に対し、何も知らずに励ます
行為がとても辛いのだという。


それからしばらくして、祖父は逝った。
最後は壮絶だったと、幼心に記憶している。


じいちゃん…あれから20年だね。今じゃ僕は酒も飲むし、
タバコも吸う。免許も取ったし、去年就職もしたよ。
じいちゃんの作ってくれたイスね、まだ使ってるんだよ。



祖母と食事をして、何だか思い出しちゃった。


長文ごめん


お祖母ちゃん本当にお祖父ちゃんが好きなんだな

253 名前:なごみ[sage] 投稿日:2007/12/14(金) 09:51:30 ID:0+2UAw0yO
11月始め、お祖父ちゃんが入院した。
その時からお祖母ちゃんは毎日欠かさず見舞いに行っていた。見舞いというより軽く介護だったかもしれない。
バスで行くには遠い所だったので、大体は姉が車を運転し一緒に病院まで行っていた。
そんで長くて半日ぐらい二人でお祖父ちゃんの所にいた。

後から姉に教えてもらったが、お祖母ちゃん、帰る時に姉がいないとお祖父ちゃんにキスしてから帰っていたんだそうだ。
それ聞いた時、お祖母ちゃん本当にお祖父ちゃんが好きなんだなって思った。
頑固でちょっと細かいお祖父ちゃんの言うことに素っ気ない返事してたりしてたお祖母ちゃんだったけど、何かすごい暖かくなった。

先日、残念ながらお祖父ちゃんは亡くなったが、この前古いアルバムを見せてもらった。
それを見ながら昔のお祖父ちゃんの話をするお祖母ちゃんが、何だかとても可愛く見えた。
結婚とか考えたことも無かったけど、ちょっといいなって思えたよ。ありがとうお祖母ちゃん。

長くてスマソ。


休日におじいちゃまの家に遊びに行くたびに、私はおじいちゃまとパソコンの前で過ごしました。

500 名前:大人になった名無しさん[] 投稿日:2009/09/13(日) 22:16:59
おじいちゃま、すごく大好きです

おじいちゃまは私が2歳の時、脳梗塞で左半身が動かなくなりました。
若い頃は水泳や射撃が得意だったのに、おじいちゃまはそれ以来走れなくなってしまいました。
それでも頑張ってリハビリを続け、自力で歩けるようになり、私はゆっくり歩くおじいちゃまと手をつないでよくおもちゃ屋さんに連れて行ってもらいました。

おじいちゃまは射撃をやっていたのが原因でとても耳が遠く、こちらが話しかけてもほとんど聞こえていないようでした。
そんなおじいちゃまが私がしょっちゅういじっているパソコンに興味を持ったようなので、教えてあげることにしました。
初めはデジカメで撮った写真の現像方法を。
次に年賀状の作り方を。
さらにはインターネットを。
休日におじいちゃまの家に遊びに行くたびに、私はおじいちゃまとパソコンの前で過ごしました。
メールを教えてあげたときのこと。私の携帯におじいちゃまからメールが届きました。
普段、耳が聞こえないため無口なおじいちゃまとは思えないほど、そのメールは話題にあふれていました。
それ以来、私はおじいちゃまとメールで会話を楽しむようになりました。

高校生になって、私が進路を美術系に決めたときのこと。
おじいちゃまは高校生が使うにはもったいないくらい高級な絵筆(ラファエルの筆。)を9本、私に手渡してくれました。
驚く私におじいちゃまは
「このまえ知り合いからもらったんだけど、こんなもんおれは使わねーからな。お前なら使うんじゃないかと思って。」

嘘付かないで下さい。
そんなにお金持ちじやないからって、いつも贅沢するのは我慢してるくせに
少ない年金と家賃収入で生活していて、支出金はちゃんとエクセルで細かく管理してるくせに
そのエクセルの支出金欄に打ち込んである 筆 ¥78000 ってなんですか?


もうすぐ大学受験。毎日予備校にいかなけれなならず、しばらく遊びに行けなくなりそうなので夏休みにおじいちゃまの家に泊まりに行きました。
美術館に連れて行ってもらったり、近所をぶらぶら散歩したり。
大満足の休暇を過ごして家に帰る電車の中、勉強しようとおもいいつも持ち歩いている問題集を開いてみると1万円札が挟まっていました。

「もうすぐ俺たちの金婚式だから、受験で忙しいかもしれないけど次はその時に」

私はおじいちゃまにいただいた大事な1万円で絵の具と普段使わないような高級画用紙を買いました。
おじいちゃまが 俺の宝物 といってくれた私を含む6人の孫の絵を、おじいちゃまから頂いた筆で描きました。

金婚式まであと2ヶ月。
私の成人式まであと3年。



ずっと長生きして下さい。


爺ちゃんの誕生日ケーキを買いにいったら、名前と生年月日を聞かれた。

439 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2019/09/21(土) 13:14:41.99 ID:ZwOZHLHU
甘いものが好きな爺ちゃんの誕生日ケーキを買いにいったら、名前と生年月日を聞かれた。

そりゃ三十路女が誕生日ケーキを注文したら、普通は息子や娘のだと思うよね。
レトロな氏名と大正何年の生年月日を聞いたときの、店員さんの表情ったら…。

最終的にケーキ職人さんまでノリノリで、「◯◯君 誕生日おめでとう」のチョコレートボードと、年齢分のローソクまで用意して頂きました。
あの時はありがとうございます。


昨夜祖父が亡くなった 96歳だった 優しくて、物知りで、本当に素敵な祖父だった

954 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2018/06/03(日)07:42:20 ID:p8E
昨夜祖父が亡くなった
96歳だった
優しくて、物知りで、本当に素敵な祖父だった
子どもと孫合わせて唯一の女の子だったからか、それはもう可愛がってくれた
大好きな祖父だ

最後に話したのは私だった
祖父は声も出せなかったけど、声をかけたらにっこり笑ってくれた

理想の男性を聞かれるたび、ずっと祖父と答えていた
これからも変わらないと思う


うちのじいちゃんの父ちゃんの馴れ初め聞いたから書いてみる

292 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2019/09/08(日) 15:47:02.51 ID:IV5H/K020
うちのじいちゃんの父ちゃんの馴れ初め聞いたから書いてみる
親同士が決めた相手が気に食わず、山間の村から出る決意をしたけど、
一応相手に失礼になるかも知れないから、一言言っておこうと思って相手に話しに行った。
相手も結婚する気が無いから、近々に村を出るつもりだそうで
一緒に村を出たんだけど、頼る者のもないし、支え合って生きてる間に、子供が出来た
と聞いた。
何じゃそりゃと思ったわ。


じいちゃん、徴兵されたが身体が弱く、 上官も呆れるほどで、部隊は出征したが、じいちゃんは内地師団司令部の警備任務に残された。

200 名前:名無し三等兵 本日のレス 投稿日:2005/09/03(土) 00:39:09 YHl+JC17
漏れのじいちゃん、徴兵されたが身体が弱く、
上官も呆れるほどで、部隊は出征したが、じいちゃんは内地師団司令部の警備任務に残された。
師団司令部からじいちゃんばあちゃんの実家までは、現在ならクルマで30分ぐらい、
終戦になるやいなや、じいちゃんは武器を投げ出し、国鉄に飛び乗った。

同じころ、働き手がいなくなって、ばあちゃんはとうちゃんと兄弟を連れて街に働きに出ていたのだが、
そこを見舞ったのがB29の空襲。
ばあちゃんはとうちゃん以下兄弟の手を引いて地獄の中を逃げ延び、実家にたどりついていた。

そこで幼いとうちゃんの仕事は、兄弟の分も含めての食料調達。
田んぼの中を走り回り、ドジョウを捕まえて鍋の材料を確保していたのだが、
その田んぼの脇をとぼとぼと歩いていたのがじいちゃん。
「ああ、戦争に負けたのだなあ、あんな小汚いガキがドジョウ採りをやっているとは」、
・・・で、家に着くと、くだんの「小汚いガキ」が「とうちゃん、お帰りなさい」。

まあ、終戦翌日の晩御飯の食卓を、一家で囲めたというだけで無上の幸せであろうか。
・・・ちなみにここまでの「わが家の戦史」の聞き取り調査において、
「じいちゃんはな、兵隊さんがそれはそれは辛くって」
「何を言うやら、ワタシがどれだけ苦労をしたか」
「とうちゃんはな、じいちゃんとばあちゃんを助けた、そりゃあ孝行息子でなあ」
・・・証言者の証言に微妙な食い違いがあり、戦記作家の苦労が少しだけわかったのは言うまでもない。


祖父の学歴偏向主義は子供や孫が戦争になった時に助かるようにと考えていたから

708 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:19/05/22(水)22:05:39 ID:FjR.wg.wn
死んだ祖父はすごく厳しい人だった。
特に学歴をすごく重要視していて自分の6人の子供は全員大学に行かせて、嫁や婿も必ず大学を出ている人でないとダメだと言い張って見合いさせて決めたらしい。
祖父は農家だったから子供6人大学に行かせるために畑を広げて果樹なども手広く作ってすごい働いていたらしい。
だから俺の叔父叔母は国家公務員だったり教師だったり弁護士だったりしっかりしたステータスを持っている人が多い。

孫にあたる俺の兄が、成績は良いけど勉強好きじゃないから大学行かないと言い出した時は三つ揃いのスーツ着て家にやってきて説教しにきた。
俺はその時まだ小学生だったけどスーツ着た祖父のマフィアみたいな貫禄はちょっとカッコよかったのでよく覚えている。

祖父が亡くなった葬式の時、祖父自身は今でいう中学校までしか出ていなかったことを知った。
そんな祖父がなぜ大学にこだわったのかというと、戦争で徴兵されて出兵した時大学(士官学校?)を出たというだけでバカが上官になり、
その上官は前線に出ないくせに自分はそいつの命令で死ななきゃいけない、ということを体験して子供も孫も絶対に大学に行かせろと言うようになったらしい。

俺の兄がT大に合格した時は祖父は泣いて喜んでいた。葬式の時初めて知ったけど兄は祖父に密かに呼び出されてご祝儀として100万円もらい、
そして「大学に入ったら勉強よりも人脈を作れ。政治家や官僚になりそうなやつとは特にだ。そしてもし戦争になったときはそのコネを使って一族のやつが徴兵されないようにしろ。お前がやるんだぞ、お前がやるんだぞ」と言われたそうだ。

祖父は戦争の話を一切しなかった。だから祖父の学歴偏向主義みたいのが子供や孫が戦争になった時に助かるようにと考えていたからだということを知った時が衝撃だったし、おっかなかった祖父の愛を感じて少し嬉しかったな。


あれは小さい頃、4歳ぐらいかな? 私はメロンが大好きだった。

545 名前:メロン[] 投稿日:2000/05/11(木) 21:25
あれは小さい頃、4歳ぐらいかな?
私はメロンが大好きだった。
祖父母の家に行く度に大きな美味しいメロンを食べては喜んでいた。
でもそのメロンは末期ガンだった祖父のお見舞いの品だった。
祖父はホテルマンの重役だったからいつも沢山のお見舞い品をもらっていた。
私は小さかったから意味もわからず食べていたけど
おいしそうに私が食べているのを見て嬉しそうにしている祖父の顔は
今でもなんとなく覚えている。
笑っていた時もガンの痛みと戦っていたんだろう。
祖父はそういう人だった。15年経った今でも一番尊敬している。


たまに帰郷すると、祖父が小さくなっているのです。

536 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/05/08(月) 19:21
家庭の事情により、バスで幼稚園に通っていたことがあります。
バスは幼稚園バスではなく市営バス、周りは朝を急ぐ大人で一杯。
当時4歳の私にはみんなが誘拐犯に見え、座ることもできず
泣き続けていました。
やっとついたバス停にはかならず祖父母がいて、祖父は大きな
逞しい胸で泣きじゃくる私を抱き締め、なだめ、3人で手をつないで
幼稚園に行っていました。幼稚園が終わると、祖父母の住むアパート
に行き、夜まで過ごしていました。
私をかわいがってくれた祖父母が、たまに『特別』といって買って
くれたお菓子があります。デパートの食品売り場にあった、何g
何円という、回るワゴンに乗ったお菓子です。
好きなのを買いなさいと祖父母が見守る中、決まって買うのは
風船に入った丸い羊羹。羊羹といっても、今思うと子供騙しの味で、
なのに大好きでした。
あの時間の事を思うと、いつも笑っていたように思います。

その後幼稚園にバスで通わなくなり、祖父母と一緒に住む
ようになったのですが、祖父母と両親の間には、お金のからんだ
大人の事情というものがあり、いつも殺伐とした空気が流れていました。
私は徐々に祖父母に甘えることはなくなり、冷たい態度さえとる
ようになっていました。
その後祖母が他界し、しばらくして私は進学の為家を出ました。

たまに帰郷すると、祖父が小さくなっているのです。大きなはずの
胸は痩せ、足は驚く程細く、強かった足腰は今では杖を使う程です。
いつも涙ながらに私の帰郷を喜び、小さな私が泣きながら抱き着いて
いた話しをします。今がどうであろうと、冷たい態度をとってしまっても
祖父にとって私はいつまでも小さな女の子です。
今度帰ったら、祖父とたくさん話をしたいです。いつまでも長生きして
いつか私が産む(かもしれない)曾孫も可愛がってください。


べつに悲しくないのに涙が止まらなかったんだ

943 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:2007/04/04(水) 00:38:32 ID:3zlKUzmL
オレが中3の頃じぃちゃんがなくなった

じぃちゃんがなくなったって聞いた時は全然悲しくなかった。むしろ古風な考えで頑固だったからむかつく時もあった。

シャツを出して着てたら、だらしないとかいって怒られたり。正直いなくなってちょっとすっきりした。


葬式も泣いた覚えがないし、じぃちゃんとはちっちゃい頃から思い出があるのになにひとつ悲しくなかった。早く帰って終わらせて友達と遊びたいってずっーと思ってた。




そしたら二週間後じぃちゃんが夢に出てきてじぃちゃんと将棋してた。なにかを教えてもらったんだ。。。。なにかは覚えてないけど

そしたら夢の中でオレ泣いた、おきても泣いてた。。。べつに悲しくないのに涙が止まらなかったんだ

https://life8.5ch.net/test/read.cgi/healing/1112099908/

「久しぶりに作ったんやけど、どう?」ときくと「おいしいよ」と祖父は 言うんです。

395 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/04/17(月) 22:05
うちは祖母・母・私と女が3人います。
祖母もまだシャキシャキしているので、仕事を奪っちゃ悪いよな~との
大義名分の元、核家族だった頃はかなりやっていた食事の支度を全然
しなくなり、早3年くらい経った時のこと。
祖母・母が何の用だったかは記憶にないですがすっごく忙しく、急遽
私が夕食を作ることになりました。メニューはカレイを揚げて、あんかけ
をかけるというもの。双方アツアツをタイミング良く合わせたいところで
すが、何しろとんと料理をやってなかったので、カンが狂って右往左往
しました。
出来た辺りで祖父が外から帰ってきたので、皿に盛って食べてもらいました。
「久しぶりに作ったんやけど、どう?」ときくと「おいしいよ」と祖父は
言うんです。で、ざっと流しを片づけていざ自分が食べてみると、マズイ!
「きゃ~、じいちゃん、なんでおいしいって言ったの~!(笑)」
即刻あんかけを回収して味を付け直しました。タイミングに気を取られて
味見しなかったのが敗因でした。
いつもは祖母や母の作った料理に何かと文句を言う祖父なんですが、
いくら孫が作ったからってあんなマズイ料理に「おいしい」と言うなんて・・・。

最近前にも増して気むずかしくなった祖父が煙たかったんですけど、
この話思い出したから、明日からちょっと接し方が変えられそうです。


祖父が突然私達たちに、「ここ掘ってみろ!」っていうんです。

323 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/04/06(木) 00:01
食事の話じゃないのですがこのスレッドみて
思い出したことがあります。

私の祖父はすごく恐い人で、明治生まれの頑固じじいっていう
言葉がぴったりな人でした。
でも、昔のヒトなのにコーラとか若者が好むような食べ物が
大好きだったんです。

私達姉弟が幼稚園くらいのときのコトだったと思います。
ある日祖父が庭の雪かきをやってて私達が手伝ってました。
そんな時祖父が突然私達たちに、「ここ掘ってみろ!」って
いうんです。
なんだなんだと掘ってみると雪で冷やされたコーラが2本出てきました。
なんでコーラが出てきたの?って祖父に聞いても教えてくれません。
祖父は庭の裏手に見える遠くの山を指差して、
「あの山から魔法使いが運んできたんだ!」の一点張り。。
コーラは250mlのやつで1本は祖父の分もう1本は私達の分。
1本のコーラを弟と分けあって興奮しながら飲んだ覚えがあります。
それから何日かコーラ掘りは続きました。
「いい子にしてないと魔法使いは運んできてくれないぞ!」
という祖父の言葉を信じその冬の私達はとてもいい子でした。
恐い祖父から魔法使いって言葉がでること自体私達にはオドロキで
しばらくは本気で信じてました。魔法使いが運んできたんだ!と。
恐いだけになんだか真実味が溢れてて・・・
まんまと騙されてました。(笑)

祖父は随分前に他界してしまいましたが、今でもスキー場など
雪のあるところでコーラを見かけると祖父のコトを思い出します。

食事の話じゃなくてホントにごめんなさい。

https://mentai.5ch.net/test/read.cgi/food/951552846/
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