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じいちゃん



爺ちゃんの誕生日ケーキを買いにいったら、名前と生年月日を聞かれた。

439 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2019/09/21(土) 13:14:41.99 ID:ZwOZHLHU
甘いものが好きな爺ちゃんの誕生日ケーキを買いにいったら、名前と生年月日を聞かれた。

そりゃ三十路女が誕生日ケーキを注文したら、普通は息子や娘のだと思うよね。
レトロな氏名と大正何年の生年月日を聞いたときの、店員さんの表情ったら…。

最終的にケーキ職人さんまでノリノリで、「◯◯君 誕生日おめでとう」のチョコレートボードと、年齢分のローソクまで用意して頂きました。
あの時はありがとうございます。


昨夜祖父が亡くなった 96歳だった 優しくて、物知りで、本当に素敵な祖父だった

954 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2018/06/03(日)07:42:20 ID:p8E
昨夜祖父が亡くなった
96歳だった
優しくて、物知りで、本当に素敵な祖父だった
子どもと孫合わせて唯一の女の子だったからか、それはもう可愛がってくれた
大好きな祖父だ

最後に話したのは私だった
祖父は声も出せなかったけど、声をかけたらにっこり笑ってくれた

理想の男性を聞かれるたび、ずっと祖父と答えていた
これからも変わらないと思う


うちのじいちゃんの父ちゃんの馴れ初め聞いたから書いてみる

292 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2019/09/08(日) 15:47:02.51 ID:IV5H/K020
うちのじいちゃんの父ちゃんの馴れ初め聞いたから書いてみる
親同士が決めた相手が気に食わず、山間の村から出る決意をしたけど、
一応相手に失礼になるかも知れないから、一言言っておこうと思って相手に話しに行った。
相手も結婚する気が無いから、近々に村を出るつもりだそうで
一緒に村を出たんだけど、頼る者のもないし、支え合って生きてる間に、子供が出来た
と聞いた。
何じゃそりゃと思ったわ。


じいちゃん、徴兵されたが身体が弱く、 上官も呆れるほどで、部隊は出征したが、じいちゃんは内地師団司令部の警備任務に残された。

200 名前:名無し三等兵 本日のレス 投稿日:2005/09/03(土) 00:39:09 YHl+JC17
漏れのじいちゃん、徴兵されたが身体が弱く、
上官も呆れるほどで、部隊は出征したが、じいちゃんは内地師団司令部の警備任務に残された。
師団司令部からじいちゃんばあちゃんの実家までは、現在ならクルマで30分ぐらい、
終戦になるやいなや、じいちゃんは武器を投げ出し、国鉄に飛び乗った。

同じころ、働き手がいなくなって、ばあちゃんはとうちゃんと兄弟を連れて街に働きに出ていたのだが、
そこを見舞ったのがB29の空襲。
ばあちゃんはとうちゃん以下兄弟の手を引いて地獄の中を逃げ延び、実家にたどりついていた。

そこで幼いとうちゃんの仕事は、兄弟の分も含めての食料調達。
田んぼの中を走り回り、ドジョウを捕まえて鍋の材料を確保していたのだが、
その田んぼの脇をとぼとぼと歩いていたのがじいちゃん。
「ああ、戦争に負けたのだなあ、あんな小汚いガキがドジョウ採りをやっているとは」、
・・・で、家に着くと、くだんの「小汚いガキ」が「とうちゃん、お帰りなさい」。

まあ、終戦翌日の晩御飯の食卓を、一家で囲めたというだけで無上の幸せであろうか。
・・・ちなみにここまでの「わが家の戦史」の聞き取り調査において、
「じいちゃんはな、兵隊さんがそれはそれは辛くって」
「何を言うやら、ワタシがどれだけ苦労をしたか」
「とうちゃんはな、じいちゃんとばあちゃんを助けた、そりゃあ孝行息子でなあ」
・・・証言者の証言に微妙な食い違いがあり、戦記作家の苦労が少しだけわかったのは言うまでもない。


祖父の学歴偏向主義は子供や孫が戦争になった時に助かるようにと考えていたから

708 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:19/05/22(水)22:05:39 ID:FjR.wg.wn
死んだ祖父はすごく厳しい人だった。
特に学歴をすごく重要視していて自分の6人の子供は全員大学に行かせて、嫁や婿も必ず大学を出ている人でないとダメだと言い張って見合いさせて決めたらしい。
祖父は農家だったから子供6人大学に行かせるために畑を広げて果樹なども手広く作ってすごい働いていたらしい。
だから俺の叔父叔母は国家公務員だったり教師だったり弁護士だったりしっかりしたステータスを持っている人が多い。

孫にあたる俺の兄が、成績は良いけど勉強好きじゃないから大学行かないと言い出した時は三つ揃いのスーツ着て家にやってきて説教しにきた。
俺はその時まだ小学生だったけどスーツ着た祖父のマフィアみたいな貫禄はちょっとカッコよかったのでよく覚えている。

祖父が亡くなった葬式の時、祖父自身は今でいう中学校までしか出ていなかったことを知った。
そんな祖父がなぜ大学にこだわったのかというと、戦争で徴兵されて出兵した時大学(士官学校?)を出たというだけでバカが上官になり、
その上官は前線に出ないくせに自分はそいつの命令で死ななきゃいけない、ということを体験して子供も孫も絶対に大学に行かせろと言うようになったらしい。

俺の兄がT大に合格した時は祖父は泣いて喜んでいた。葬式の時初めて知ったけど兄は祖父に密かに呼び出されてご祝儀として100万円もらい、
そして「大学に入ったら勉強よりも人脈を作れ。政治家や官僚になりそうなやつとは特にだ。そしてもし戦争になったときはそのコネを使って一族のやつが徴兵されないようにしろ。お前がやるんだぞ、お前がやるんだぞ」と言われたそうだ。

祖父は戦争の話を一切しなかった。だから祖父の学歴偏向主義みたいのが子供や孫が戦争になった時に助かるようにと考えていたからだということを知った時が衝撃だったし、おっかなかった祖父の愛を感じて少し嬉しかったな。


あれは小さい頃、4歳ぐらいかな? 私はメロンが大好きだった。

545 名前:メロン[] 投稿日:2000/05/11(木) 21:25
あれは小さい頃、4歳ぐらいかな?
私はメロンが大好きだった。
祖父母の家に行く度に大きな美味しいメロンを食べては喜んでいた。
でもそのメロンは末期ガンだった祖父のお見舞いの品だった。
祖父はホテルマンの重役だったからいつも沢山のお見舞い品をもらっていた。
私は小さかったから意味もわからず食べていたけど
おいしそうに私が食べているのを見て嬉しそうにしている祖父の顔は
今でもなんとなく覚えている。
笑っていた時もガンの痛みと戦っていたんだろう。
祖父はそういう人だった。15年経った今でも一番尊敬している。


たまに帰郷すると、祖父が小さくなっているのです。

536 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/05/08(月) 19:21
家庭の事情により、バスで幼稚園に通っていたことがあります。
バスは幼稚園バスではなく市営バス、周りは朝を急ぐ大人で一杯。
当時4歳の私にはみんなが誘拐犯に見え、座ることもできず
泣き続けていました。
やっとついたバス停にはかならず祖父母がいて、祖父は大きな
逞しい胸で泣きじゃくる私を抱き締め、なだめ、3人で手をつないで
幼稚園に行っていました。幼稚園が終わると、祖父母の住むアパート
に行き、夜まで過ごしていました。
私をかわいがってくれた祖父母が、たまに『特別』といって買って
くれたお菓子があります。デパートの食品売り場にあった、何g
何円という、回るワゴンに乗ったお菓子です。
好きなのを買いなさいと祖父母が見守る中、決まって買うのは
風船に入った丸い羊羹。羊羹といっても、今思うと子供騙しの味で、
なのに大好きでした。
あの時間の事を思うと、いつも笑っていたように思います。

その後幼稚園にバスで通わなくなり、祖父母と一緒に住む
ようになったのですが、祖父母と両親の間には、お金のからんだ
大人の事情というものがあり、いつも殺伐とした空気が流れていました。
私は徐々に祖父母に甘えることはなくなり、冷たい態度さえとる
ようになっていました。
その後祖母が他界し、しばらくして私は進学の為家を出ました。

たまに帰郷すると、祖父が小さくなっているのです。大きなはずの
胸は痩せ、足は驚く程細く、強かった足腰は今では杖を使う程です。
いつも涙ながらに私の帰郷を喜び、小さな私が泣きながら抱き着いて
いた話しをします。今がどうであろうと、冷たい態度をとってしまっても
祖父にとって私はいつまでも小さな女の子です。
今度帰ったら、祖父とたくさん話をしたいです。いつまでも長生きして
いつか私が産む(かもしれない)曾孫も可愛がってください。


べつに悲しくないのに涙が止まらなかったんだ

943 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:2007/04/04(水) 00:38:32 ID:3zlKUzmL
オレが中3の頃じぃちゃんがなくなった

じぃちゃんがなくなったって聞いた時は全然悲しくなかった。むしろ古風な考えで頑固だったからむかつく時もあった。

シャツを出して着てたら、だらしないとかいって怒られたり。正直いなくなってちょっとすっきりした。


葬式も泣いた覚えがないし、じぃちゃんとはちっちゃい頃から思い出があるのになにひとつ悲しくなかった。早く帰って終わらせて友達と遊びたいってずっーと思ってた。




そしたら二週間後じぃちゃんが夢に出てきてじぃちゃんと将棋してた。なにかを教えてもらったんだ。。。。なにかは覚えてないけど

そしたら夢の中でオレ泣いた、おきても泣いてた。。。べつに悲しくないのに涙が止まらなかったんだ

https://life8.5ch.net/test/read.cgi/healing/1112099908/

「久しぶりに作ったんやけど、どう?」ときくと「おいしいよ」と祖父は 言うんです。

395 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/04/17(月) 22:05
うちは祖母・母・私と女が3人います。
祖母もまだシャキシャキしているので、仕事を奪っちゃ悪いよな~との
大義名分の元、核家族だった頃はかなりやっていた食事の支度を全然
しなくなり、早3年くらい経った時のこと。
祖母・母が何の用だったかは記憶にないですがすっごく忙しく、急遽
私が夕食を作ることになりました。メニューはカレイを揚げて、あんかけ
をかけるというもの。双方アツアツをタイミング良く合わせたいところで
すが、何しろとんと料理をやってなかったので、カンが狂って右往左往
しました。
出来た辺りで祖父が外から帰ってきたので、皿に盛って食べてもらいました。
「久しぶりに作ったんやけど、どう?」ときくと「おいしいよ」と祖父は
言うんです。で、ざっと流しを片づけていざ自分が食べてみると、マズイ!
「きゃ~、じいちゃん、なんでおいしいって言ったの~!(笑)」
即刻あんかけを回収して味を付け直しました。タイミングに気を取られて
味見しなかったのが敗因でした。
いつもは祖母や母の作った料理に何かと文句を言う祖父なんですが、
いくら孫が作ったからってあんなマズイ料理に「おいしい」と言うなんて・・・。

最近前にも増して気むずかしくなった祖父が煙たかったんですけど、
この話思い出したから、明日からちょっと接し方が変えられそうです。


祖父が突然私達たちに、「ここ掘ってみろ!」っていうんです。

323 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/04/06(木) 00:01
食事の話じゃないのですがこのスレッドみて
思い出したことがあります。

私の祖父はすごく恐い人で、明治生まれの頑固じじいっていう
言葉がぴったりな人でした。
でも、昔のヒトなのにコーラとか若者が好むような食べ物が
大好きだったんです。

私達姉弟が幼稚園くらいのときのコトだったと思います。
ある日祖父が庭の雪かきをやってて私達が手伝ってました。
そんな時祖父が突然私達たちに、「ここ掘ってみろ!」って
いうんです。
なんだなんだと掘ってみると雪で冷やされたコーラが2本出てきました。
なんでコーラが出てきたの?って祖父に聞いても教えてくれません。
祖父は庭の裏手に見える遠くの山を指差して、
「あの山から魔法使いが運んできたんだ!」の一点張り。。
コーラは250mlのやつで1本は祖父の分もう1本は私達の分。
1本のコーラを弟と分けあって興奮しながら飲んだ覚えがあります。
それから何日かコーラ掘りは続きました。
「いい子にしてないと魔法使いは運んできてくれないぞ!」
という祖父の言葉を信じその冬の私達はとてもいい子でした。
恐い祖父から魔法使いって言葉がでること自体私達にはオドロキで
しばらくは本気で信じてました。魔法使いが運んできたんだ!と。
恐いだけになんだか真実味が溢れてて・・・
まんまと騙されてました。(笑)

祖父は随分前に他界してしまいましたが、今でもスキー場など
雪のあるところでコーラを見かけると祖父のコトを思い出します。

食事の話じゃなくてホントにごめんなさい。

https://mentai.5ch.net/test/read.cgi/food/951552846/

俺には親がいなかった小さいころからじいちゃんと2人暮らしだった

899 名前:コピペ[] 投稿日:2007/03/10(土) 16:14:01 ID:E545+OOq
俺には親がいなかった小さいころからじいちゃんと2人暮らしだった
じいちゃんはそりぁ俺を猫かわいがりした
ガキのころいじめられて泣いて帰ったら杖を振り回して学校に怒鳴り込んだ
遠足や運動会にはでっかいいなりずしを作っていつも来てくれた
熱を出せば夜中だろうが4キロの道を俺を背負って医者まで連れてってくれた
相撲が大好きでいつも一緒に輪島を応援してた北の湖が勝つと2人で罵倒した
じいちゃんはだいぶ前に亡くなったがあるきっかけで
俺はじいちゃんと血がつながっていないことが判明した
俺は隣家の子供で夜逃げのときにあかんぼの俺だけ置き去りにされたらしい
そして独身だったじいちゃんが面倒見るといって引き取ったと
もし聞けるならじいちゃんに聞いてみたい
血のつながりもない他人の俺をどうしてここまで面倒見て育ててくれたんですか?
そして言えるならじいちゃんに言いたい
ありがとう俺にとってじいちゃんは唯一の家族でした
何の不自由もなく親がいない寂しさを感じないで大学まで行かせてくれて
いっちょ前の社会人になれたのもあなたのおかげです
今度墓参りには産まれた娘を連れて行きますね
ひ孫ですよ誰がなんと言おうと俺の娘はあなたのひ孫ですから
あと関係ないけどじいちゃんが俺に教えてくれたべぇごまの技
友達の間で俺は無敵だったよ


小学校低学年のとき、同居していた祖父が入院しました。

259 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/03/27(月) 17:59
小学校低学年のとき、同居していた祖父が入院しました。
昨日までピンピンしていたし、誕生日を目前に控えた私と一緒にプ
レゼントに買ってくれる予定だった鉄道模型の選択をめぐって、カ
タログを見ながらああでもないこうでもないと話していたので信じ
られない気分でした。

父も母も病院に行ったまま夕方になり、おなかをすかせた私と兄は
途方にくれていたのですが、病院にいる母から電話があって、とり
あえず冷蔵庫にあるメロンを食べていなさいと言われました。
15年くらい前なので、メロンといえば高級品、という時代でも無か
ったのですが、いつもは1/4かそれ以下分の、しかもサイコロ状に
切ったものしか食べていなかったので、自分たちで一個のメロンを
好きに食べて良いということがよっぽど嬉しくて二人ではしゃぎま
くりました。
とりあえず半分に切って分けることにし、どこに切れ目を入れるか
で兄とはしゃぎながら言い合っていたところに病院から父が帰って
きて「何してるんだ!おじいちゃん死にそうなんだぞ!」とすごい
剣幕で怒鳴られました。
私たちはシュンとしながらも(怒られたので)味のしないメロンを
黙々と食べ、そのまま寝ました。

翌日、祖父が息を引き取りました。
私は祖父の身体を綺麗にしおわった後に病院に到着し、おそるおそ
る祖父と対面しました。
病院自体が恐くて堅くなっていた私が冷たくなった祖父との対面を
冷静に出来るはずもなく、恐ろしくなってすぐに部屋から出てしま
いました。


260 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/03/27(月) 18:01
そこで、母から「○○(私の名前)へ」と祖父の字で書かれた封筒
をもらいました。
中をあけるとお金が入っていて、私と約束したプレゼントを買うよ
うにと祖父が母に言付けをしたそうです。

私の誕生日に行われた葬儀の時に、父が葬儀屋の用意した白い座布
団に涙を一粒だけ落としたのを隣に座っていた私は見ました。
そのとき、自分の父親(=私の祖父)の死が迫っているというのに
メロンの切る場所ごときの事で大はしゃぎしてしまったことや、
誕生日のプレゼントを買うようにとお金を残してくれた優しい祖父
の死に顔をまともに見てあげられなかったことへの後悔が一気にや
って来ました。

私は今年でもう25になるのですが、父にあんなに怒られたのは今の
ところあれが最初で最後です。

このスレッドを見始めてかなり経つのですが、今になって突然この
話を思い出してしまいました。
今となっては祖父の顔や声の記憶は薄くなりつつありますが、雰囲
気だけはなんとなく思い出せます。

私も多分、父に対しては父が祖父に接していたのと同じ様な接し方
をしていると思うので、もう少しトゲの無い接し方をしたいと思い
ました。



じいちゃんは不死身だから心配するな

958 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:04/10/16(土) 06:06:05 ID:w+nN157R [1/5]
いい話ではないけども。

小4の頃の話。
じいちゃんが、検査の為に入院した。どこか悪いとは聞いてはいた。正直、その時は心配したが、異常なしと出たらしく一般の病室に移ったので見舞いに行った。


いつも通り元気なじいちゃんがいた。いつも通りの笑顔を向けてくれるじいちゃんがいた。
久しぶりに会ったって事もあり、色々な話をした。

そしてその明後日、オレは泊まり掛けでの林間学校に行く事になっていた。じいちゃんに言うと、

「おぅ、気を付けて行ってこい。じいちゃんは不死身だから心配するなw」
と笑いながら言ってくれた。


続きます。


続きを読む

夢の中の時計と同じだった。 じいちゃんがずっと愛用していたもの。

876 名前:お前名無しだろ[sage] 投稿日:02/06/23 23:51
プ板住人です。
トーナメント板に書きこんだやつのコピペです。
見た人は、ゴメンナサイ

小さいころ、いろいろあって、俺はずっと、祖母に預けられて育った。
祖母も忙しい人で(一応、当時社長だったし(w)よく、本家に預けられたんだけど
そこのじいちゃんには、とにかくかわいがられた。
保育園あがる前から小学校くらいまでかな?
ある程度、いろいろ落ちついて、親と暮らすようになってずっと、疎遠になってた。
年始のご挨拶程度になってた。

小学校6年のとき、その本家のじいちゃんが突然夢に出て
「お前は、○○家の最後の一人だから、お前に、時計をやる。
枕元にあるから持って行きなさい。」
っていわれて・・・

翌日、本家のじいちゃんが死んだ。
おれは、何も知らされていなくて、突然の出来事であぜんとした。
涙って意外と出ないものだって思った。
親に言われたとおり?本家のおばさんに挨拶すると
「○○君。これ、持っておいて」
といわれて、時計を渡された。
「死ぬ間際に”枕元の時計は○○にやる。”って。遺言だから受けとって」
夢の中の時計と同じだった。
じいちゃんがずっと愛用していたもの。
狂ったように泣いた。それまでの平然とした態度が嘘のように。


のちのちに聞いた話として
うちの本家はおばさんが養子を取ったんだけど、子供が出来ず、養子をもらってたらしい。
だから、俺は最後の一人・・・

霊かどうか、わからないけど、俺はあの本家のじいちゃんには愛されてると思った。

文章下手でスマンカッタ


ヒマに任せてスロ屋逝く。

161 名前:( ´∀`)ノ7777さん 投稿日:03/06/22 18:59
ヒマに任せてスロ屋逝く。
キンパル鬱 空き台が並んで二台。コッチ勝負だ!

見事スカ。つーか、お隣の台、お座り一発二箱かよ・・(⊃Д`)  -4K

大花鬱 2Kでビジ しかし、連荘ナシ。300まで回して捨て。

ヤケクソ気味にビンゴ座る。1Kで演出連発から444!キタ━━━(゚∀゚)━━━ !!! 

爆連 17000枚お持ち帰り (・∀・)オラヤタヨー ジンセイハツマンマイダヨー!

換金中、電話鳴る。「・・じいちゃん死んだ。」

(´・ω・`) ナガクナイノハワカッテタケド・・コンナヒニシヌコタネエダロウ・・。タカイハナデモカッテミマイイコウトオモッテタノニ・・。

漏れにパチスロ教えてくれた人が死んだ日に、初万枚って・・。
万枚出したって報告したかったよ。・・。


169 名前:( ´∀`)ノ7777さん 投稿日:03/06/22 19:24
ニューパルの好きなじいちゃんですた。リア厨の頃からパチンコ打ちに連れてかれてました。
(・∀・)カッタゾ!ホラコヅカイダ!スキナノウッテコイ!
みたいな時もあったり。
(´・ω・`) ヤラレター。サケオゴッテクレ。
なんて言ってたり。漏れが勝つと当時リア工の漏れに奢らせて居酒屋行ったり。

これから漏れは大勝した時に誰に報告すればいいんだろう・・。
大負けした時に、誰とヤケ酒飲めばいいんだろう・・。
この金はしばらく使えそうもないでつ。


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復調しました。みなさま励ましのお言葉ありがとうございました^^


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