ほんわかMkⅡ


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じいちゃん



祖父が突然私達たちに、「ここ掘ってみろ!」っていうんです。

323 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/04/06(木) 00:01
食事の話じゃないのですがこのスレッドみて
思い出したことがあります。

私の祖父はすごく恐い人で、明治生まれの頑固じじいっていう
言葉がぴったりな人でした。
でも、昔のヒトなのにコーラとか若者が好むような食べ物が
大好きだったんです。

私達姉弟が幼稚園くらいのときのコトだったと思います。
ある日祖父が庭の雪かきをやってて私達が手伝ってました。
そんな時祖父が突然私達たちに、「ここ掘ってみろ!」って
いうんです。
なんだなんだと掘ってみると雪で冷やされたコーラが2本出てきました。
なんでコーラが出てきたの?って祖父に聞いても教えてくれません。
祖父は庭の裏手に見える遠くの山を指差して、
「あの山から魔法使いが運んできたんだ!」の一点張り。。
コーラは250mlのやつで1本は祖父の分もう1本は私達の分。
1本のコーラを弟と分けあって興奮しながら飲んだ覚えがあります。
それから何日かコーラ掘りは続きました。
「いい子にしてないと魔法使いは運んできてくれないぞ!」
という祖父の言葉を信じその冬の私達はとてもいい子でした。
恐い祖父から魔法使いって言葉がでること自体私達にはオドロキで
しばらくは本気で信じてました。魔法使いが運んできたんだ!と。
恐いだけになんだか真実味が溢れてて・・・
まんまと騙されてました。(笑)

祖父は随分前に他界してしまいましたが、今でもスキー場など
雪のあるところでコーラを見かけると祖父のコトを思い出します。

食事の話じゃなくてホントにごめんなさい。

https://mentai.5ch.net/test/read.cgi/food/951552846/

俺には親がいなかった小さいころからじいちゃんと2人暮らしだった

899 名前:コピペ[] 投稿日:2007/03/10(土) 16:14:01 ID:E545+OOq
俺には親がいなかった小さいころからじいちゃんと2人暮らしだった
じいちゃんはそりぁ俺を猫かわいがりした
ガキのころいじめられて泣いて帰ったら杖を振り回して学校に怒鳴り込んだ
遠足や運動会にはでっかいいなりずしを作っていつも来てくれた
熱を出せば夜中だろうが4キロの道を俺を背負って医者まで連れてってくれた
相撲が大好きでいつも一緒に輪島を応援してた北の湖が勝つと2人で罵倒した
じいちゃんはだいぶ前に亡くなったがあるきっかけで
俺はじいちゃんと血がつながっていないことが判明した
俺は隣家の子供で夜逃げのときにあかんぼの俺だけ置き去りにされたらしい
そして独身だったじいちゃんが面倒見るといって引き取ったと
もし聞けるならじいちゃんに聞いてみたい
血のつながりもない他人の俺をどうしてここまで面倒見て育ててくれたんですか?
そして言えるならじいちゃんに言いたい
ありがとう俺にとってじいちゃんは唯一の家族でした
何の不自由もなく親がいない寂しさを感じないで大学まで行かせてくれて
いっちょ前の社会人になれたのもあなたのおかげです
今度墓参りには産まれた娘を連れて行きますね
ひ孫ですよ誰がなんと言おうと俺の娘はあなたのひ孫ですから
あと関係ないけどじいちゃんが俺に教えてくれたべぇごまの技
友達の間で俺は無敵だったよ


小学校低学年のとき、同居していた祖父が入院しました。

259 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/03/27(月) 17:59
小学校低学年のとき、同居していた祖父が入院しました。
昨日までピンピンしていたし、誕生日を目前に控えた私と一緒にプ
レゼントに買ってくれる予定だった鉄道模型の選択をめぐって、カ
タログを見ながらああでもないこうでもないと話していたので信じ
られない気分でした。

父も母も病院に行ったまま夕方になり、おなかをすかせた私と兄は
途方にくれていたのですが、病院にいる母から電話があって、とり
あえず冷蔵庫にあるメロンを食べていなさいと言われました。
15年くらい前なので、メロンといえば高級品、という時代でも無か
ったのですが、いつもは1/4かそれ以下分の、しかもサイコロ状に
切ったものしか食べていなかったので、自分たちで一個のメロンを
好きに食べて良いということがよっぽど嬉しくて二人ではしゃぎま
くりました。
とりあえず半分に切って分けることにし、どこに切れ目を入れるか
で兄とはしゃぎながら言い合っていたところに病院から父が帰って
きて「何してるんだ!おじいちゃん死にそうなんだぞ!」とすごい
剣幕で怒鳴られました。
私たちはシュンとしながらも(怒られたので)味のしないメロンを
黙々と食べ、そのまま寝ました。

翌日、祖父が息を引き取りました。
私は祖父の身体を綺麗にしおわった後に病院に到着し、おそるおそ
る祖父と対面しました。
病院自体が恐くて堅くなっていた私が冷たくなった祖父との対面を
冷静に出来るはずもなく、恐ろしくなってすぐに部屋から出てしま
いました。


260 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/03/27(月) 18:01
そこで、母から「○○(私の名前)へ」と祖父の字で書かれた封筒
をもらいました。
中をあけるとお金が入っていて、私と約束したプレゼントを買うよ
うにと祖父が母に言付けをしたそうです。

私の誕生日に行われた葬儀の時に、父が葬儀屋の用意した白い座布
団に涙を一粒だけ落としたのを隣に座っていた私は見ました。
そのとき、自分の父親(=私の祖父)の死が迫っているというのに
メロンの切る場所ごときの事で大はしゃぎしてしまったことや、
誕生日のプレゼントを買うようにとお金を残してくれた優しい祖父
の死に顔をまともに見てあげられなかったことへの後悔が一気にや
って来ました。

私は今年でもう25になるのですが、父にあんなに怒られたのは今の
ところあれが最初で最後です。

このスレッドを見始めてかなり経つのですが、今になって突然この
話を思い出してしまいました。
今となっては祖父の顔や声の記憶は薄くなりつつありますが、雰囲
気だけはなんとなく思い出せます。

私も多分、父に対しては父が祖父に接していたのと同じ様な接し方
をしていると思うので、もう少しトゲの無い接し方をしたいと思い
ました。



じいちゃんは不死身だから心配するな

958 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:04/10/16(土) 06:06:05 ID:w+nN157R [1/5]
いい話ではないけども。

小4の頃の話。
じいちゃんが、検査の為に入院した。どこか悪いとは聞いてはいた。正直、その時は心配したが、異常なしと出たらしく一般の病室に移ったので見舞いに行った。


いつも通り元気なじいちゃんがいた。いつも通りの笑顔を向けてくれるじいちゃんがいた。
久しぶりに会ったって事もあり、色々な話をした。

そしてその明後日、オレは泊まり掛けでの林間学校に行く事になっていた。じいちゃんに言うと、

「おぅ、気を付けて行ってこい。じいちゃんは不死身だから心配するなw」
と笑いながら言ってくれた。


続きます。


続きを読む

夢の中の時計と同じだった。 じいちゃんがずっと愛用していたもの。

876 名前:お前名無しだろ[sage] 投稿日:02/06/23 23:51
プ板住人です。
トーナメント板に書きこんだやつのコピペです。
見た人は、ゴメンナサイ

小さいころ、いろいろあって、俺はずっと、祖母に預けられて育った。
祖母も忙しい人で(一応、当時社長だったし(w)よく、本家に預けられたんだけど
そこのじいちゃんには、とにかくかわいがられた。
保育園あがる前から小学校くらいまでかな?
ある程度、いろいろ落ちついて、親と暮らすようになってずっと、疎遠になってた。
年始のご挨拶程度になってた。

小学校6年のとき、その本家のじいちゃんが突然夢に出て
「お前は、○○家の最後の一人だから、お前に、時計をやる。
枕元にあるから持って行きなさい。」
っていわれて・・・

翌日、本家のじいちゃんが死んだ。
おれは、何も知らされていなくて、突然の出来事であぜんとした。
涙って意外と出ないものだって思った。
親に言われたとおり?本家のおばさんに挨拶すると
「○○君。これ、持っておいて」
といわれて、時計を渡された。
「死ぬ間際に”枕元の時計は○○にやる。”って。遺言だから受けとって」
夢の中の時計と同じだった。
じいちゃんがずっと愛用していたもの。
狂ったように泣いた。それまでの平然とした態度が嘘のように。


のちのちに聞いた話として
うちの本家はおばさんが養子を取ったんだけど、子供が出来ず、養子をもらってたらしい。
だから、俺は最後の一人・・・

霊かどうか、わからないけど、俺はあの本家のじいちゃんには愛されてると思った。

文章下手でスマンカッタ


ヒマに任せてスロ屋逝く。

161 名前:( ´∀`)ノ7777さん 投稿日:03/06/22 18:59
ヒマに任せてスロ屋逝く。
キンパル鬱 空き台が並んで二台。コッチ勝負だ!

見事スカ。つーか、お隣の台、お座り一発二箱かよ・・(⊃Д`)  -4K

大花鬱 2Kでビジ しかし、連荘ナシ。300まで回して捨て。

ヤケクソ気味にビンゴ座る。1Kで演出連発から444!キタ━━━(゚∀゚)━━━ !!! 

爆連 17000枚お持ち帰り (・∀・)オラヤタヨー ジンセイハツマンマイダヨー!

換金中、電話鳴る。「・・じいちゃん死んだ。」

(´・ω・`) ナガクナイノハワカッテタケド・・コンナヒニシヌコタネエダロウ・・。タカイハナデモカッテミマイイコウトオモッテタノニ・・。

漏れにパチスロ教えてくれた人が死んだ日に、初万枚って・・。
万枚出したって報告したかったよ。・・。


169 名前:( ´∀`)ノ7777さん 投稿日:03/06/22 19:24
ニューパルの好きなじいちゃんですた。リア厨の頃からパチンコ打ちに連れてかれてました。
(・∀・)カッタゾ!ホラコヅカイダ!スキナノウッテコイ!
みたいな時もあったり。
(´・ω・`) ヤラレター。サケオゴッテクレ。
なんて言ってたり。漏れが勝つと当時リア工の漏れに奢らせて居酒屋行ったり。

これから漏れは大勝した時に誰に報告すればいいんだろう・・。
大負けした時に、誰とヤケ酒飲めばいいんだろう・・。
この金はしばらく使えそうもないでつ。


人前で泣いた事のない祖父がいる。祖父の泣いてる姿を見た人は誰も居なかった。

621 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:2006/03/20(月) 21:47:20 ID:g4KZVGKT
人前で泣いた事のない祖父がいる。祖父の泣いてる姿を見た人は誰も居なかった。あの日までは‥

祖父は何があっても泣かない。祖母が亡くなっても泣くことはなかった。
お葬式中も冷静に、ただ黙って祖母の顔を眺めていた。
皆が祖母との別れをすませ、出棺の時だった。

「待って!!」いきなり祖父は叫び車を呼び止めた。
もう一度、祖母の顔を見せてと頼み、顔を見た瞬間に初めて祖父は人前で涙を流した。

もう時間だから…と祖父を説得しても「待って、待って!」と子供のように泣き叫んでいた。
愛する人の顔を擦りながら、ワンワンと泣いていた。
時間が無いので車は出発した。祖父は、いつまでも車を追い掛けて「待って!待って」と泣き叫んでいた

火葬の時も「待って!待って!!」と泣き叫んでいた。
普段、人前で涙を見せない祖父が泣いていた。

祖母はすごく、すごく愛されていたんだと思う。幸せだったのだろう


うちのボケたおじいちゃんが俺の部屋で何回も会釈してる。

708 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/10/04(土) 20:47:12
うちのボケたおじいちゃんが俺の部屋で何回も会釈してる。

誰か来てるのかな?と思い部屋をのぞくと
両端上2点の押しピンがはずれたアイドルのポスターが
風に吹かれて何度もおじぎしていた。


小さい頃、私は祖父があまり好きではありませんでした。

544 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:05/01/25 00:50:10 ID:MMn01Y1B
携帯からなので、読みにくくてごめんなさい

私の祖父は私が14のときに亡くなりました。
小さい頃、私は祖父があまり好きではありませんでした。
長女の私にはきびしく、妹にばかり優しくしていたから。
祖父は私が10くらいの頃から入退院を繰り返すようになりました。
母に連れられ、お見舞いにはよく行きましたが、反抗期の私は照れくささもありあまり優しく接してあげられませんでした。
私も中学生になると、少し祖父に優しくできるようになり、文通をするようになりました。


545 名前:544[] 投稿日:05/01/25(火) 01:11:24 ID:MMn01Y1B [2/2]
続き

お見舞いに行ったときに祖父の食事をもらったことがあり、ふりかけを気に入った私に祖父はいつも手紙と一緒にふりかけをつけてくれました。(かわいいなぁ。。)
文通が何往復かしたころ、祖父は手紙も書けない程弱ってしまい、その冬に亡くなりました。
先日部屋を整理していて懐かしくなった私は、改めて祖父にもらった手紙を読んでみました。
世間話ばかりの内容でしたが、達筆な祖父の手紙の中でも一番達筆で書かれた一通の手紙を読むと

〇〇ちゃんが素晴らしい良い子になって本当に心から喜んで居ります。
何時になっても、大人になっても今の気持ちで、「笑を口元に」
好かれる人間になって下さい

当時、どんな返事を書いたのか覚えていません。もっともっと優しくしてあげればよかった。。
今ではヘコむ度読み返しています。
ありがとう、おじいちゃん


俺が中学生の頃、日本史担当の教師が、「日本は戦争責任が~」と授業で 述べた。

296 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:2005/09/15(木) 18:04:52 ID:eui4GNxb
俺が中学生の頃、日本史担当の教師が、「日本は戦争責任が~」と授業で
述べた。その女性教師は、普段から授業でそんな事を言うってのは結構知
られていた。中にはそうじゃないヤツも居たんだろうけど、多くの生徒は彼女
に感化されていたと思う。

んで、うちのクラスでもそんな話をしてたんだけど、その時1人の男子生徒が
彼女の話を中断させた。彼は某国と日本のクォーターだった。普段からあん
まり喋る方じゃなかったんだけど、その時は全然違ってた。

生徒「俺のじいちゃんは、日本の兵隊に優しくしてもらったって言ってました。
皆礼儀正しく、差別もしない人達だったって」
教師「でも、酷いことも…」
生徒「後から来た、アメリカの方が酷かったって言ってました」
教師「貴方のような考えの人もいるかも知れないけど、それはごく一部で…」
生徒「ごく一部じゃ駄目なんですか?」
教師「そういうことじゃなくて…」
教師「俺のじいちゃんの国は凄く小さいです。他の国に比べれば全然重要
じゃないかも知れないけど、日本人は、そんな国も大事にしてくれたって言っ
てました。戦争の時、仲良くした日本兵はみんな笑って出掛けて行って、誰も
帰ってこなかったと言ってました。国旗も日本を真似ました。みんな、日本を
尊敬しています」

このとき初めて、パラオという国を知った。それと同時に、遠い南洋の島を守っ
て果てた、多くの日本兵の存在に泣けた。

https://life8.5ch.net/test/read.cgi/healing/1112099908/

死体から声が出た

311 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:04/08/10 00:43 ID:b8jRayIr
死体から声が出たこと。
じいさんが死んで死に装束に着替えさせる時に寝ていた体を起こしたら
「ぐぇえぇぇっ」とか文字にできないような声でうめいた。
肺の中の空気が出て声帯を振るわせたらしいが、小学生の俺は死ぬほど驚いた。
今でもその声が耳に張り付いているよ。


312 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:04/08/10 00:55 ID:OuJcJnYI
>>311
イヤァァ~~それはしっこちびるね。



家には猫が居るんだけど、最近じいちゃんの部屋がお気に入りで入り浸ってる。

470:名無しさん:2019/01/29(火)21:54:11 ID:xvb
家には猫が居るんだけど、最近じいちゃんの部屋がお気に入りで入り浸ってる。
でもじいちゃんは昼間は留守にする事が多いからストーブついてなくて寒いんだ。
猫が可哀相だから、使っていないホットカーペットを
じいちゃんの部屋に置いてやったら
思いのほかじいちゃんが喜んでお小遣いをくれた。
「ありがとう。これは温かいね。いい物くれたね」って。
黙ってもらうのも悪いから
「猫の為だからいらないよ。」
って言ったら照れてると思ったみたいで、
良いからとっておきなさい。
とニコニコしてたからそれ以上断れなかった。
じいちゃんゴメン。ホントに猫の為だったんだ。


葬式の日の晩、母方の実家で親戚が集まってご飯を食べていました。

771 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・[] 投稿日:02/05/16 15:32
小学5年のとき、母方の祖父が病死しました。
私の家族は母の実家から少し離れた所に住んでいたので、最期を看取る事は
出来なかったのですが、死顔が穏やかだったのは今でも覚えています。
葬式の日の晩、母方の実家で親戚が集まってご飯を食べていました。
私はご飯を食べ終わったあと席を立ち、親戚達がご飯を食べている居間が
見渡せる階段に座りました(その家で私の一番のお気に入りの場所だったもので)

祖父の思い出話などをしている親戚をぼーっと眺めていると、ふと後ろに誰か立って
いるような気配を感じました。
私が座っていたのは下から5~6段目。気配を感じるのはもっと上の方の段からでした。
しかし、2階に上っていった人は誰もいないのです。全員居間にいるのですから。

その時、私はごくごく自然に
「あ、おじいちゃんだ」と思いました。
何故だかはわかりません。ただそうだとしか思えなかったのです。
恐怖感などは全くありませんでした。むしろその逆で、何だか嬉しかったくらいです。
あとで母にその話をすると、
「おばあちゃんのことが心配だったのかな…でも嬉しいね、
いつも見ていてくれてるんだよ」と言いました。

霊感など全く無い私が、唯一それっぽい体験をした話でした。
長文スマソ。


じいちゃんは母方の人で、すごく厳しかったけど、すごく優しいひとだった。

226 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:04/11/25 02:54:49 ID:vnKhjN42
俺のじいちゃんの話。
じいちゃんは母方の人で、すごく厳しかったけど、すごく優しいひとだった。
うちは両親がほぼ駆け落ちみたいにな感じで結婚して、
とてつもない苦労をじいちゃんたちにかけた。
しまいに父は金遣いが荒く、借金をしては請求書をじいちゃんに
叩きつけ、借金が嫌いなじいちゃんはいつも肩代わりをしていた。
幸いにもある程度の資産があったので、生活の危機には陥らなかったが、
じいちゃんはひどく悩んでいた。

時は過ぎ、両親は離婚すると母は俺と姉二人をつれて家を出た。
新しい男と暮らすために。
後になって聞いたところだと、じいちゃんは母の知らないところで
俺らのために家を用意していてくれたらしい。
そして俺らが出て行ったのを知るとひどく落ち込んだらしいのだ。

そして時が流れ、俺も小学生の高学年になっていた。
ある日、一通の手紙がきた。
その内容は、じいちゃんが死んだってこと。
韓国人のじいちゃんは日本で成功するために人種差別などに耐え努力した。
そして会社を立ち上げるまでに至ったが、その日々はかなり寿命を縮めていたらしい。
手紙は叔母からで、亡くなってからかなり日が経ってはいるが
三回忌には出てもらいたくて血眼でさがしたのだ。

三回忌で叔母たちに会うと、みな涙を流した。
そして俺らが出て行った後のことを聞くと、
じいちゃんはひどく落ち込んだが、ずっと俺らのために家を残していてくれた。
決して弱音は吐かない人で、病にかかった後でも、辛い、悲しいなどとは
全く口にしなかったのだ。
いつしか寝たきりになり、痴呆もでてきて、もうそんなに長くないといわれていた。
そして峠を迎え、親戚たちがじいちゃんのとこに集まって、最期を見届ける時、
ばあちゃんが「今、一番会いたいのは誰?」と聞くと、
「…あっ、………………。」
じいちゃんは10年以上会ってない俺ら三人姉弟の名前を口にしたのだ。
そしてゆっくり瞳を閉じ、帰らぬひととなった。

それを聞いた俺は自然と涙が流れ、声にならない声で泣いた。

今では死に目に会えなかったことが悔やまれるけど、
これ以上辛い思いはさせないよう、俺はじいちゃんを目標に強く生きてる。


俺は小さい時祖父が怖かった 暴力をふるうとか、怒鳴るとかじゃないんだが

146 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:04/05/13 02:34 ID:PAz/VpXx
俺は小さい時祖父が怖かった
暴力をふるうとか、怒鳴るとかじゃないんだがぜんぜん喋らないし、祖母が
「お風呂沸いたけど入る?」「ごはんできたよ」と言っても「ん」とか「判った」
とか、とにかく殆ど喋らない人だったからコミュニケーションが取れなくて怖かった

それでも祖母は大好きだったから良く泊まりに入った、そうすると帰るときに
決まって祖母が「おじいちゃんはおまえが来ると凄く嬉しそうだからまたきてな」
って言うんだ。ぜんぜん信じられなかった

祖父は俺が18の時に亡くなったんだが、お通夜の時に叔母から祖父は俺が泊まりに行くよって
連絡をすると祖母に俺の好きなものを買ってくるように、好きなものを夕飯に出すようにと
しつこいくらい言っていた、病気で痴呆になってしまって話し掛けても上の空だったりしていた
けど、俺の話をすると祖母のほうに顔を向け、「そうか、そうか」と嬉しそうに言っていたと
聞かされた。

部屋で寝てる人が起きる位泣いて、祖母が心配してでてきてくれて「ありがとうね、ありがとうね」
って言われてまたわんわんないてた


149 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:04/05/13(木) 16:25 ID:eBGxaAWq
>>146
うちのおじいちゃんもこんな感じだった。
無口で抱っこさえされた記憶無いな。
だからあまり私の事好きじゃないのかと思ってた。

ある日、おじいちゃんち行った時
駆け落ち同然で結婚し苦労の連続だった私の母に
「お前は好きな男と一緒になれたんだからいい、
でも○○子(私)だけは不幸にするな」って隣の部屋から聞こえてきた。

おじちゃん、ありがとう。


150 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:04/05/13(木) 16:55 ID:BEuzATIO
>>146

あたしの祖父もとても無口で幼い頃は泊まりにいっても怖いって印象しかありませんでした。
でも祖母が大好きだったので泊まりに行っては近鉄で玩具を買って貰ったりして楽しかったです。

幼い頃は気づかなかったけど、祖父の家にはいっぱいキョンシーのビデオがあって、きちんと録画されていて、ノートに見易いようにコレにはこんなのが入っていると明記してくれていて、キョンシー好きなあたし達は泊まりにいくたびそれを見て大きくなりました。
だんだんあたし達も大きくなり、色々忙しく泊まりに行くことも少なくなったけど、やっぱりキョンシーのビデオを見てしまいます。

あたしは思春期の頃、精神病にかかり、高校を辞め、単位制のとこへ移動しました。
祖父は何も言いませんでしたが、かなり心配していた様子です。
祖父がガンになり、余命いくばくになった時、あたしは祖父の耳元で「絶対高校卒業するからね」と囁きました。
意識ももうろうで聞こえていたかはわかりませんが、祖父とあたしだけの約束です。
そうして祖父は数日後、息をひきとりました。

それからあたしは必死で単位をかきあつめ、受験勉強をし、今は夢に向かって頑張っています。

これは偶然だったのでしょうか。
祖父の命日に、あたしは無事卒業し、卒業証書を仏壇に見せにいきました。
まるで祖父があたしの背中を押してくれていたかのように感じます。

おじいちゃん、もっと色々お話したかったよ・・・。
今でもずっとずっと大好きだからね。


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復調しました。みなさま励ましのお言葉ありがとうございました^^


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