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かーちゃん



とても細くて、美人で、僕の誇りだった母が、泥にまみれ、傷だらけになっていた。

671 名前:9821V16[] 投稿日:2000/05/30(火) 22:24
僕が中学校二年生の時、今から15年前。それまでアパート暮らしだった我が家は、
同じ町内に出来た新築マンションを購入した。
タイル貼りの瀟洒な作り、エアコン付きの白い壁を、
親から「オマエの部屋だぞ」って言われた時、本当にうれしかった。
引越前に、カギを借りて泊まったほどだった。
でも、それは家計を圧迫する事でもあった。それまで専業主婦をしていた母は、
知人の会社で事務を始めた。それも慣れ、楽しい生活が始まって数年、
高校から帰宅して、部屋にいると、いつもより早く、母が帰宅した。
その顔と、服を見て驚いた。服は泥だらけで、頬には無数の擦り傷があった。
ショックで、心臓がドキドキして止まりそうだった。
そして、母は、僕の顔を見るなり、目を真っ赤にして「病院に一緒に行って」と言った。
訳を聞くと、自転車から転んで落ちたという。
パート先の会社の用事で、郵便局に行くところを、仕事が忙しいために、
時間短縮を狙って、慣れない自転車に乗ったら、転んだらしい。
会社に電話して早退し、タクシーでそのままここに戻ってきたという。
とても細くて、美人で、僕の誇りだった母が、泥にまみれ、傷だらけになっていた。
神聖な物が汚されたようで、なんだかくやしくてくやしくてしょうがなかった。
ここまで無理して母を働かせていたのか、と、自分も情けなかった。
近くの病院にすぐ診てもらったが、幸い、骨には異常なく、擦過傷で済んだ。
一安心した帰り道、「何か買って帰る?」って母に聞いたら、「ふがし」。と一言。
近くの駄菓子屋で10本まとめ買いして、母の後を追った。それを見た母は、笑って、
「こんなに買って来なくてもいいのに~」と言いながら、
愛用の缶の菓子入れにしまい、いつもと同じように台所に立った。

https://mentai.5ch.net/test/read.cgi/food/951552846/

今度帰省するときは、いきなり帰ってみようかな。

564 名前:籠[] 投稿日:2000/05/15(月) 01:09
大学進学のため、一人暮らしをはじめたとき、
最初の3日間、母がついてきた。
いろいろな手続きなどを手伝ってくれ、
ご飯を作ってくれた。
何の変哲も無い肉野菜炒め、生野菜サラダ、白いご飯。
いつもの味だった。
これから一人で暮らす部屋での、母と私の一対一の食事。
奇妙な感覚だった。

さっぱりした性格の母は、「体に気をつけて」とだけ言って、
田舎に帰っていった。
急に寂しくなった。
そして、その後1週間、
同じ材料で肉野菜炒めを作ってみたのだが、
同じ味は出ない。
3年たった今でも、できない。
料理屋でバイトし、そこそこの腕を身につけたはずなのに。

盆や正月に実家に帰ると、親が喜んで、食事が寿司の出前や外食になる。
また、友達と遊んで飲み屋で食事をとったりする。
今度帰省するときは、いきなり帰ってみようかな。
そしたら、夕食がいつものおかずで、
あの「肉野菜炒め」が食べれるかもしれないから。


565 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/05/15(月) 06:37
>564
良い話です。
帰国して、一番食べたいものって子供の頃から熟れ親しんだ母親の
料理だったんだと最近気が付きました。
出前の寿司よりもかあちゃんの作ったカレイの煮付けが喰いたいよ。


566 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/05/15(月) 10:03
>564
俺も帰ってみたくなった。金がないのに・・・

家の味の思い出といえば、コロッケかな?
何の変哲もないコロッケだけど
むちゃくちゃうまいんだよね。
コロッケのしたくの際によく手伝わされてさ。
夕方のアニメ見ながら芋をつぶしたり丸めたり。
丸めながらつまみ食いしてた。

今一人暮らしだから、「揚げ物と言えば総菜屋」になってるんだよね。

前に実家に帰ったとき
「何食べたい?」と言われて「コロッケ!」と即答したら。
実家に住んでいる弟からブーブー言われた。
「せっかくご馳走食べられると思ったのに・・・」だってさ。

毎日コロッケでもいいな・・・


お母さんの膝の屈伸の滑らかさ、右腕の角度と肘から先の高速回転

335 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:19/05/13(月)23:50:48 ID:kx5.u1.lp

今日は天気が良かったから公園でお昼を食べることにした。

ベンチに座ってお弁当を食べていると、何処からともなく超ご機嫌な赤ちゃんの笑い声が聞こえた。

何気なくあたりを見渡すと、仁王立ちしたお母さんが「チューチュートレイン」のあの動きをやってた。

お母さんはこちらに背を向けていたので表情や赤ちゃん自体は見えなかったが、お母さんの脇腹横に見える赤ちゃんの足が笑い声と共にブンブンとはしゃいでた。

お母さんの膝の屈伸の滑らかさ、右腕の角度と肘から先の高速回転が見事だった。



ほな、残ったごはんで、おにぎり作って

537 名前:にゃん[] 投稿日:2000/05/08(月) 21:52
おととしの、秋の話しです。
私が小学校5年の時に家をでて、居場所のわからなかった母に、
祖母の葬式の時、23年振りで、顔をあわせました。
その時、母の家に遊びに行く約束をしました。

その日は、私が料理を作りました。
ハンバーグと肉じゃがと、簡単なサラダです。
2人で食事をして、お酒を飲んで、
はじめはあたりさわりのない話しをしてましたが、
だんだん、「何故いなくなったのか?」という話しになりました。
母はたんたんと話します。
私も、母がつらくならないように、途中、冗談を入れながら、
聞きました。

帰る時、「今日はおかあちゃん、なんもできひんかってごめんな。」と、
言ったので、私は「ほな、残ったごはんで、おにぎり作って」と言いました。
母は、「そんなんで、ええんか」と笑いながら作ってくれました。

帰り、駅からタクシーに乗りました。
今日のことを思い出しているうちに、不覚にも涙がててきました。
運転手さんがびっくりして、「気分悪いんか?」と
聞かはりました。私は、
「いえ、なんか、嬉しくって、泣けてきちゃったんです」と、
泣き笑いしながら、運転手さんに、今日の事を短く話しました。
すると、運転手さんも一緒に泣き出してしまいました。
「よかったな、よかったな」と鼻水まですすってました。

家に持って帰ってきたおにぎりは、冷凍庫にいれて、
元気のない日に、1コづつ、大事に大事に、食べました。


母は友達のようにふざけあえる 元気で明るい人でした。

437 名前:りんご[] 投稿日:2000/04/21(金) 19:35
母は友達のようにふざけあえる
元気で明るい人でした。
美人薄命などといつもふざけていた
そんな母が癌におかされたのは
私が高校生の頃でした。
入退院を繰り返し
もともと痩せていた母の身体は更に痩せていき、
食事もすでに流動食しかとることはできなくなっていました。
そんな母は100%のリンゴの透明ジュースが好きで
私や父が病院にきたときにはいつも
「リンゴの透明ジュース買ってきて」と頼んでいました。
土曜日学校の帰りに寄ると
「お昼まだなんでしょ、買ってきなさい」と言われ
そのリンゴジュースとお弁当を買ってきた私は
食べたくても流動食しか食べることの出来ない母の前で
何も考えずお弁当を食べていました。
月日も経ち、もう保たないと医者から宣告され、
母の日がきました。
毎年プレゼントを買っていたのですが
入院していて死を宣告されてる母に
私は何を買ってよいのか分からず
「退院したら買うね」といったのです。
母の日当日、本当なら見舞いにいくのでしょう。
意地っ張りな私は、友達の様なノリでいたのに
病院に行ってしまうと変に優しく接してるように思われるのが嫌で
せめてカーネーションの一本でも持っていけばいいのに
後悔するとわかりながら結局行かなかったのです。
それから約1カ月後、母はやはり他界してしまいました。
優しく出来なかった自分・・・
透明のリンゴジュースをみると
今でも苦い思い出として蘇ります。

https://mentai.5ch.net/test/read.cgi/food/951552846/

母というものを知らずに育っていた。

930 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:2007/03/25(日) 02:50:57 ID:KlGmiDm1
母というものを知らずに育っていた。

でも、祖父母も父も俺を愛情を持って育ててくれていたし、祖母は事あるたびに母の悪口を言っていたから、会いたいと思ったこともなく、むしろ憎んでいたかもしれない。

中学2年の夏休みの頃だったか、予定より早く部活を終え、帰宅すると、家の前に見知らぬ女性がいた。

にっこり笑いかけ○○君でしょ?って声をかけて来た。
頷くと、祖母を訪ねて来たが留守のようなので困っていたとのこと。待っていうちにお腹がすいて来たので、おごるから一緒に近くで食事をしないかと言われた。
自分も空腹だったので、不審に思いながらも付き合うことにした。

ファミレスで彼女は食事をしながら俺にわからないように何度も涙をぬぐっていた。
俺もいくらなんでも彼女が何者なのかを察していたが、知らないふりを通していた。

「おばさんのお父さんがね、昔、事業に失敗して大きな借金を作っちゃったの、おばさん、保証人になっていたから借金取りが私のところにも来ちゃって大変だったのよ。その時○○君のご家族にもご迷惑かけちゃって・・・」
と離婚の原因になったようなことも話していた。

その女性はそれ以降も何度か俺の前に現れては食事に誘ったりお小遣いをくれたが、どこかのオバサンという認識でしか考えないようにしていた。
 でも、そのうち、彼女がやってくるのを心待ちにしていることに気が付いた。
(決してお小遣いをくれたり食事を食べさせてくれるから、というのじゃなく)

祖父母や父は絶対そんなことがあったことを知らないと思っていた。

高校受験が間近に迫っていた頃、祖母がポツリと独り言のように言った。
「そろそろ、母ちゃんって呼んでやりんさいな。あんたももうわかっとるんやろ?」

https://life8.5ch.net/test/read.cgi/healing/1112099908/

カセットを録音してる時は音をたてるな!

7 風吹けば名無し 2019/06/08(土) 11:52:45.02 ID:PohqJ2AJd
カセットを録音してる時は音をたてるな!


8 風吹けば名無し sage 2019/06/08(土) 11:53:03.40 ID:1e0TT2FDa
>>7
ご飯よ~


12 風吹けば名無し 2019/06/08(土) 11:53:43.40 ID:7FVc+zVE0
>>8
それ取っとくとええよ
ワイたまにそれでマッマの声聞いとるわ


冬の寒い夜に同期の友人たちと鍋パーティーの約束をした。

311 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/04/03(月) 22:37
帰宅途中に思い出した。

冬の寒い夜に同期の友人たちと鍋パーティーの約束をした。
材料は実家に頼んで送ってもらうことにした。
適当にたらの切り身でも送ってくれとだけ伝えておいた。

2日後家に着いたクール便は・・・
発泡スチロールの大きな箱に、
たらが1尾、毛蟹が5杯、カキが十数個・・・
白菜まで入っていた。

母上様、
3人で食べるといったのに、なぜ毛がにが5杯も入っている?

おかげで楽しいときを過ごせた。
いまだに仲間内では伝説になっているぞ。
ありがと。


俺は、いわゆる母子家庭、一人っ子で、母親と二人で18歳までは京都に住んで 、大学に入ってからは東京で一人暮らしている。

913 名前:1 of 3[sage] 投稿日:05/03/18(金) 19:57:46 ID:UkzR+8vB [1/3]
(十数年前時点の)私と母親の話です。地元紙にも同じ感じの内容が載っていますが、
それは私のです。

--

俺は、いわゆる母子家庭、一人っ子で、母親と二人で18歳までは京都に住んで
、大学に入ってからは東京で一人暮らしている。

ちなみに俺と母親とは40歳離れている。小学校の時は「俺の母親だけ何でこん
なババアやねん!もっと若かったらなあ。」とか、「なんで俺のところだけ、
父親いないねん、こんな貧乏やねん」っとか不満に思っていた。母親と言い合
いになれば、「違う家に生まれたかったわ!最低や」とか平気で言っていた。

母親には18歳までは反抗しまくりで、よく言い合いをしていたから、東京に来
て、のびのびできるとせいせいしていた。


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母ちゃんが麦茶に砂糖入れたのコーヒーだよって言われて育ったけど

54 名無しさん@1周年 2019/05/28(火) 23:55:46 FLw36pIu0
俺なんてエレベーターない団地の子で
母ちゃんが麦茶に砂糖入れたのコーヒーだよって言われて育ったけど、
今は工場現場のユンボオペレーター責任者にまで成り上がっぞ
甘えんな、ヒョットコ


77 名無しさん@1周年 sage 2019/05/28(火) 23:59:19 hpuukQO20
>>54
貧乏か裕福かではない
子供時代に愛してくれる大人がいたかどうかだ


767 名無しさん@1周年 2019/05/29(水) 01:14:20 ZEYzwx9f0
>>54
そんなのすぐバレるのにオモロイ母さんじゃねーか
今思えば苦労はあっただろうが愉快な家庭だったんじゃないの?
子どもにコーヒー飲ませないよ
いい母さんじゃないか。


母さん、僕が苦手なのはカフェインです。

23: 名無しのきゅうべぇ 2018/12/24(月) 15:42:27.62 ID:GJBGb3QTI
母親が「あんたのためにコカインの入ってないコーヒー買ってきたわよ」
といっている。
母さん、僕が苦手なのはカフェインです。


「納豆」を食べると厳しかったが優しい母親を思い出す。

201 名前:匿名希望[] 投稿日:2000/03/22(水) 00:54
ここはホントに泣ける話ばかりで(T_T)
駄文ですが自分の話もひとつ。

今から15年前。小学校6年の5月。当時オヤジの仕事の関係で海外に住んでたんよ。
当時、駐在員同士で母親連中が集まっていろいろ食事を作って晩にパーティーなんぞ
開いてた。親父連中は朝早くから遠い海辺の町へ新鮮な魚を買い付けに。
でかいカジキをうちのオヤジが見事にさばいたりしてたなぁ。
子ども心にオヤジかっこええ!と感じてた。
で、その時は手巻き寿司パーティーだったな。「納豆」があってびっくりした。
なんで「納豆」がこんな遠い異国の地に?と思いつつ、食ってたんだな。
日本から新しく来た人が納豆菌を持って来てくれてたらしい。
ところが、その「納豆」のおかげで翌日に頭フラフラして・・・
なんと腸チフスにかかった。すごい高熱が何日も続いて、必死になって母親が看病して
くれた。いやあんまり覚えて無いんだ。とにかくずーっとそばにいてくれて
冷たいタオルと水分を切らせないように必死に冷たいお茶を作ってくれてた。
汚い水道水を煮沸して氷をたくさん作ってたらしい。
ともかく1ヶ月にわたる闘病生活で俺は10kg痩せ、なんとか回復した。
「あぁ、生きてるんだ」とその時に生まれて初めて感じた。
当時ちょっとひねてた俺はそれほど母親に感謝もしなかったように思う。
もっとあの時に感謝すれば良かった。
母親はその9ヵ月後、俺が小学校を卒業する2週間前、伝染病らしき脳炎で
37歳でこの世を去った。

今でも「納豆」を食べると厳しかったが優しい母親を思い出す。
ありがとう、かあさん。少し遅くなるけど、今度、墓参りに行くね。

https://mentai.5ch.net/test/read.cgi/food/951552846/

社会人になって初めて迎えた母さんの誕生日。 「いつもありがとう」ってプレゼントを渡したかった。

718 :ほんわか名無しさん :2006/11/29(水) 12:03:37 0
社会人になって初めて迎えた母さんの誕生日。
「いつもありがとう」ってプレゼントを渡したかった。

でも照れくさいし、もし選んだプレゼントが気に入ってもらえないと怖かった。
だから「選ぶのめんどいから」って嘘ついてデパートに連れて行って、
「何でもいいから適当に買えよ」とぶっきらぼうに言うと、
「高いエプロンだけどいい?」とおずおずと見せに来て、値札見たらたった3000円。
「こんな安物かよ」とひったくって後ろ向いて、泣きそうな顔を見られないようにレジに走った。

服でもバックでも、ほかに何でもあるだろ、財布の中に給料全部入れてきたんだぞ!って涙が出たけど、
トイレで急いで顔洗って、そ知らぬ顔で袋を渡した。
そしたら、母さんがうれしそうにそれを抱きしめたのを見て、また泣きそうになった。

いまでも帰るたびにそのエプロンつけて飯作ってくれて、ありがとう。ほんと美味いよ。世界一だ。
いつも素直になれなくてごめん。
マザコンでもいいよ、母さん大好きだ。


一人っ子の俺は、学校から帰ると、いつも一人で 晩飯食って、風呂に入って、テレビ観て。しばらくしたら、一人で寝る。

849 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:05/03/11(金) 01:44:05 ID:Bz8IU0uy [1/4]
ちょっとスレ違いかもしれんけど。

ずっと昔のこと。
俺が小学生の低学年のころ。
うちの両親は共働きで父親はタクシー乗り、母親はお店をしてて
二人とも帰ってくるのは深夜近かった。

一人っ子の俺は、学校から帰ると、いつも一人で
晩飯食って、風呂に入って、テレビ観て。しばらくしたら、一人で寝る。
そんな毎日を過ごしてて。

一人っ子で、家に誰も居ないなんて、自由で羨ましいなんて言う人も居るけど
これが結構寂しいもんよ?

寂しくて、寂しくて。時々泣いたりもした。
それでも、いくら泣いても、やっぱり一人で。
母親の店に電話したりして、困らせてしまったことも何度かあって。

そんな母親は焼肉屋をやってまして。
当時の焼肉屋ってのは、土建屋のおっちゃんらがメインの客層で、
そんなお客たちを相手に母親はひとりで夜中の2時まで一生懸命働いてたんよ。

今考えると、元気なおっちゃんら相手に、女一人で夜中まで相手するのは
色々と大変だったと思うよ。

俺もガキながらに、その大変さを何となく感じ取ってて
そんなに文句言ったりすることは無かったと思う。(たぶん

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寝坊したから母に、学校まで送ってもらうことにしたのだが、道すがらグチグチ説教を垂れてきた。

908 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:04/10/11 21:45:06 ID:lWo2Nn9I
10年前、まだ俺が高校生の時だ。日曜日に学校で検定試験があった。
しかし、俺は激しく寝坊してしまった。乗る筈だった電車は出発している。
田舎の宿命だ。次の電車は30分後、試験には到底間に合わない。
母に、学校まで送ってもらうことにしたのだが、道すがらグチグチ説教を垂れてきた。
せっかくの休みなのに起こされて不満だったんだろう。
だらしないだの、寝る時間が遅いだの、延々と出てくる避難に自業自得とはいえうんざりしていた。
混んだ道を避け、車は裏道を順調なペースで飛ばしていた。あと4,5分で着くな、という頃だった。
前方の交差する道路から、一旦停止の表示を無視して一台の車が飛び出してきた。
突然のことだった。ぶつかる、と思った。
母の反応速度は思いの外速く、即座にブレーキを思いきり踏んだ。
タイヤがーキーーーと音を立て軋む。身体は大きく前に放り出される感覚。
車はぴたりと止まった。どこもぶつけず、かすりもせず、事なきを得た。
母も俺も無傷だ。正直ビビったが、それ以上に感動していた。
その咄嗟の状況下、母が俺を庇おうとしたからだ。
右手でハンドルを掴み、ブレーキを踏むと同時に、左手で助手席にいる俺の身体を守ろうとした。
コンマ何秒の世界で、ほとんど無意識にされたであろうその行為に母の愛情の深さを知った。
どんな状況下でも、母とは子を守るために無意識に動けるのだ。
一生大事にします、と思った。休みの日にゆっくりしてもらえるようにちゃんとします、とも。
学校に降ろしてもらい、別れ際に言った。「ありがとう。気をつけてゆっくり帰って。」
「はい」微笑んだ母を乗せて車は去っていった。

他の人みたいに泣けるエピソードはないのだが、自分にとっては忘れられない出来事です。
長文・駄文でスマソ。

https://life5.5ch.net/test/read.cgi/healing/1078990472/
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復調しました。みなさま励ましのお言葉ありがとうございました^^


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