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おばあちゃん



手帳をめくると、そこには毎日の出来事を1~2行に記した祖母の日記があった。

677 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:03/08/10 14:26 ID:xwt0S3fj
私が小学2年生の時、同居していた母方の祖母が脳溢血で亡くなった。
生前の祖母は、痴呆症で自分が誰かわからなくても、私をとても可愛がってくれていた。
私が4人兄弟の末っ子のせいか、何時でも何でも他の兄弟よりも優先してくれて、
隣市の市立病院に入院していたときも、「○○(私)が心配~」と勝手に病院から抜け出してしまうほどだった。

ところが当時の私は、痴呆症でおもらし等をする祖母のことが嫌いで、亡くなった時も全然悲しくなかった。
むしろ、深夜の訃報に伯父と一緒に病院にかけつけた時、亡き祖母の傍らで泣きじゃくる母を見て、
「なんで泣いているんだろう」と不思議に思ったくらいだった。
多分まだ「死」というものを理解出来ていなかったのだと思う。

それから何年も経って中学生になったとき、偶然、押入れの中から祖母の遺品を見つけてしまった。
祖母の愛用していた櫛やデザイン性の全くない金の指輪、それから黒い手帳・・・。
手帳をめくると、そこには毎日の出来事を1~2行に記した祖母の日記があった。

「今日は○○、元気がない。一緒に遊ぶ友達がいなかったみたいだ。」
「今日は○○に好物のいちごをかった。早く熱が下がりますように。」
「○○~」「○○~」「○○~」・・・
どのページを見ても私の名前ばかりだったが、手帳の中頃から祖母に異変が起きていた。

「○○のかわいいみる しあわせ このごろ 手あまり うごかない」
「てが おもうように  うごかな  こまた
「らりる る れ  れ   ○…   ○…   ○…

手帳の最後の文字は、私の名前だった。
最後の最後まで、私の名前を必死に思い出そうとしていた祖母。
…なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう…
もう祖母には会えないなんて、今頃気づいても遅いのに。
ごめんね、ごめんね、おばあちゃん。


孫から「おじいちゃん僕のこと何番目に好き?」と聞かれた父

101 :おさかなくわえた名無しさん :2005/08/20(土) 17:25:55 ID:3AJ+KN93
9歳の孫から「おじいちゃん僕のこと何番目に好き?」と聞かれた父は、
「1番だ!」と返事。

更に「じゃあ、おばあちゃんは何番目?」と聞かれ「・・0番だ!」と。
「0番って、1番より先?」と孫に言われて「そうだ!」と笑顔で答える父がステキだと思った。

それを一緒に聞いていた母の反応は、「あら~今度コーヒー濃いめにいれてあげるわ~」
お返しちっちゃっ!w


見知らぬおばあちゃんに 「ちょっと赤ちゃん抱っこさせてくれませんか?」って言われた

27 名前:名無しの心子知らず[] 投稿日:01/12/13 22:12 ID:krBGJcZr
親切にされたんじゃないんだけど
上のコがまだ生後半年くらいの赤ん坊の頃コンビニに寄ったの。
子供は寝てたんだけど居合わせたおばあちゃんが
「ちょっと赤ちゃん抱っこさせてくれませんか?」って言うから
「どうぞ」って渡したら「ありがとう」って抱っこしてたの。そして
「私は子供がもてなかったから、赤ちゃんを抱っこする機会がなくてね・・」って
言ったのよ。それ以来私は
街中で見かけるおばさん=子持ち=子育てを経験した事があるはず
=それなのにどうして子連れに優しく出来ないの?
という概念を捨てる事にした。


中学校帰りに近所のスーパーで パンと牛乳を買って帰り。それが夕食となっていました。

389 名前:たか坊[] 投稿日:2000/04/16(日) 19:15
今から10年ほど前の話です。
当時、両親が離婚して経済的な理由から
父親に引き取られていた私は、中学校帰りに近所のスーパーで
パンと牛乳を買って帰り。それが夕食となっていました。
ところが、ある日。
いつもの様にパンを買って帰りTVを見ながら食事をとっていると。
隣に住んでいる、顔見知りのお婆ちゃん(当時80歳くらい)が
「たかちゃん、いつもパンなんやろ?こういうの食べへん?」
と野菜の煮物を持ってきてくれてました。
このお婆ちゃん、光江さんと言う方でして
戦時中に兄弟や、お子さんを何人も無くしたらしく
残ってる子供は全員女という事もあってか
男である私のことを、それからも非常に可愛がってくれました。
中でも思いで深いものに、おやつ代わりに作ってくれた
「さつま芋の砂糖菓子」というのがあったんですが。
当時食べる菓子は、スナック菓子のみだった私にとって
すごく美味しく感じられました。(食感は甘納豆風です。)
光江さんは、私が高校2年の時に亡くなられてしまったんですが
今でも、甘納豆を食べる度に。
お婆ちゃんの事を思い出してしまいます。
お惣菜以外にも沢山大事なものも貰ったな・・・と。(^_^)


おばあちゃんがよく作ってくれた みそ田楽のおにぎり。

221 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/03/24(金) 01:28
おばあちゃんがよく作ってくれた みそ田楽のおにぎり。
まるい形のおにぎりを焼いて丁寧に味噌を両面にぬったやつ。
おばあちゃんのしわだらけで今までの人生がしみこんだような手でにぎられたおにぎりは
なんとも言えず美味しくて大好きだった。
今おばあちゃんはぼけちゃって施設にはいっている。
自分でそのおにぎりを作ってみたけど やっぱりあの味にはならない。


私を自分の孫のように可愛がってくれた近所のおばあちゃん。

804 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:2006/12/23(土) 16:43:44 ID:hl6fY3yx
私を自分の孫のように可愛がってくれた近所のおばあちゃん。
子供ができなかったから余計に可愛がってくれたんだと思う。
私の親は仕事で小学校から帰ってから一人だったから
おばあちゃんがいてくれたおかげで家庭の温かさというか
いじめられて帰ってきても優しくしてくれる誰かがいることが本当にありがたかった。

それから20年近く経ってもっと年取ってしまってちょっと遠くの施設に入ってしまって
私もたまにしか会いにいけないけど会いたくてなるべく会いに行くようにしてた。

そのたびに泣きながら
「せっかく会いにきてくれたのに自分は何も返せない婆になってしまったなぁ。
 ごめんなぁ。でも、死んでからずっとまもうてやるからなぁ。」と。

おばあちゃん、守ってくれなくてもいいから
先に死んだじいちゃんと仲良く楽しく暮らしなよ。いっぱい昔話しなよ。
ばあちゃんからはいっぱいあったかいものもらったんだよ。

死に目に会えなくてごめんね。

私、一人でも頑張るから大丈夫。
でも死ぬときは迎えに来てね。


2年前父方の祖母が亡くなりました。

534 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:2006/02/26(日) 22:07:56 ID:YQ7GefbE [1/6]
私の話を聞いてください。
2年前父方の祖母が亡くなりました。
祖母には5人の息子と3人の娘がいました。そのうちの長男が私の父です。
父は温和で争いごとを嫌い外見は弱弱しい感じです。年々歳をとり、今では孫もでき立派なおじいちゃんです。

祖母は年々弱っていて入退院を繰り返すほどでした。
退院したとしても家の中で寝ているばかりで一緒に暮らしているのに祖父が面倒を見るわけでもなく大抵の時間を一人
ですごしていたそうです。

私は昔から祖父、祖母ともに会う機会がありませんでした。
というのは祖父が気難しい人で息子、娘との仲が悪く家に行くこともなく育てられていたからです。
祖父は頑固で孤独な人でした。祖母が亡くなるまで2回しか会ったことがありませんでした。
ただ覚えているのは仕事一筋のおじいちゃんということだけです。顔もすぐに思い出せないくらししか記憶にないのです。

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おばあちゃん「お前、その才能を少しは勉強の方にも…」

836 名前:ゲームセンター名無し[] 投稿日:02/05/29 11:16 ID:9g3scQPY
まだ中学生ぐらいのころ。

家族旅行したときに、その旅館に当時やりこんでいたダーウィン4078があった。
風呂上りに早速プレイし始め、地元のゲーセンで遊ぶときよりも好調に
先のほうに進められた。

子供が集まってきて、旅館の店員さんまで
「100円でこんなに遊べるモンだったんだねぇ」と感心しながら
俺のプレイを見守ってくれていた。

食事の時間になってもまだプレイは続き、おばあちゃんが呼びに来ても
ゲームにかじりついていた。何か横で話していたのかもしれないけど、
その時は画面に集中していたのでおぼえていない。

プレイ後、おばあちゃんは「お前、その才能を少しは勉強の方にも…」って
お決まりのセリフを言いつつも、こずかいを渡してくれた。

この前、祖母の墓参りに行ったときに思い出した話だ。


当時私は17歳で、1年間の留学の出発日だった。

984 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/17(水) 17:42 ID:hBFlvOH1 [1/2]
9年前になる。
当時私は17歳で、1年間の留学の出発日だった。
起床予定より15分早く、何かに起こされた。
阪神大震災だった。
私の住む町は大阪で、さほどの被害はなかったけれど
電車は動かない。道は大渋滞。出発できない。

17歳の私にとって、留学という事への大きな不安と、
その出発に間に合わないのに電話が繋がらずどこへも連絡できない不安、
そしてすぐ近くで起こっている大惨事、日に日に増える死者の数への恐怖でただひたすら怖かった。


985 名前:984[sage] 投稿日:04/03/17(水) 17:42 ID:hBFlvOH1 [2/2]
当時は成田からの出発と決められていたので、
その3日後、京都からかろうじて動いていた新幹線に乗って出発した。
飛行機で13時間程の国。
空港に出迎えにきているはずの現地のコーディネーターがいない。

言葉もほとんどわからない中、かろうじて繋がった電話。
日本からの連絡が行ってなかったらしい。

その翌日、私のホストファミリーが待つ町へ飛ぶはずの飛行機に乗った。
これもコーディネーターが言っていた都市と違う。
でも、この時間に飛ぶ飛行機はこれだけ。

本当に合っているのかな?
知らない国、通じない言葉、あの混乱の中で離れた日本の家族を思って
不安で胸が張り裂けそうになり、涙を止められたなかった。

すると隣に座った現地のおばあちゃんが話し掛けた。
「どうしたの?家族と離れて辛いの?恋人と離れて悲しいの?」
色んな不安を言葉で説明できなかったので、ただただ頷いた。
「まあ・・大丈夫よ。大丈夫よ」
と言っておばあちゃんは私の手を両手で握り、手の甲にキスをした。
おばあちゃんの手はしわくちゃだったけど、とっても温かかった。
また涙が止まらなかった。

見知らぬアジア人の私に、分け隔てなくこんな風にしてくれて、この国の人の素晴らしさを体感した。
「辛そうにしている人がいたら、声をかけてあげよう」
そう決めた人生の一日、指輪物語が撮られた国でのできごとだった。


小さい頃から、寂しかったり、悲しかったり、困ったりすると なんだかいい香りに包まれるような気がしていた。

779 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・[sage] 投稿日:2001/04/15(日) 23:28
小さい頃から、寂しかったり、悲しかったり、困ったりすると
なんだかいい香りに包まれるような気がしていた。
場所や季節が違っても、大勢の中にいても一人っきりでもいつも同じ
香りだから花や香水などではないことは確かだった。

私が20才になった時、母の実家が改築することになった。
母の実家の庭には小さな蔵があり、お盆のお墓参りで寄った時に、
伯母からもうほとんど整理して何も大した物は残っていないけど、
何かいいものがあれば自由に持っていっていいと言われて久しぶりに
蔵に入った。

中に入ると祖母がお嫁にきた時に持ってきた長持ちがまだあって、
よく従兄たちとかくれんぼして中に入り込んでいた事を思い出した。
懐かしく思い出しながらその長持ちを開けた。あの頃、まだ洋服
などが詰まっていた長持ちの中もすでに整理されたのか、中はもう
空だった。長持ちは四つあって一番奥に桐のかなり立派なものがあり
小さい頃、その長持ちだけは触ってはいけないと言われていた事を
思い出した。さすがに今はいいだろうと、その長持ちを開けた途端に
私はいい香りにつつまれた。

伯母と母に聞くと、その長持ちは私が3歳の時に亡くなった私の祖母に
あたる人が嫁入り道具に持ってきた長持ちで、その中にはいい香りの
お香を焚き込んだ着物が沢山いれられていたという事だった。
祖母にとって孫は男の子ばかりだったので、私が生まれた時この着物は
大きくなったこの子にあげようと、嬉しそうに母や伯母に話していたと
その時はじめて私は聞いた。

おばあちゃんだったんだね……。


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つぶやき
復調しました。みなさま励ましのお言葉ありがとうございました^^


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