ほんわかMkⅡ


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(´;ω;`)



いつものように梅干しと、母が作ったおかず

244 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/03/26(日) 04:13
私の父は40代前半で、ガンのために、発覚してから数カ月で他界しました。
死亡する前日父の病室に行き、いつものように梅干しと、母が作った おかずをを差し入れました。
入院直後からちょくちょく差し入れはしていたのですが、そんなにすぐ死んでしまうとは
考えもしなかった私はそれが億劫で、いつも夕食の時間より遅く届けていました。
帰りがけ父が、何か言いたそうにしていたのをぐっと呑み込んで、バイクで帰る私に
「気をつけてな」と、いつものように一言声をかけました。
それが最後の言葉でした。

その後私は何度か入院することがありました。
体調が良くなると、病院の生活は実に退屈で「次の食事まで後◯分」という気持ちで
時計を見るようになります。
その食事があまりおいしいものではなく、また量も物足りない。
父が差し入れをどんなにか楽しみにしていたか、自分で体験し分かったような気がしました。

私はこれまで、現在の自分がたいした人間でもないわりには、自分の行動を後悔したことが
ないのですが、このことについてはたいへん後悔しています。
もっと早く届けていれば良かった。毎日運んであげれば良かった。
いや、むしろ自分のために、残り少ない父との時間をもっともっと大切にするために、
そうすれば良かった。
差し入れを届けてもすぐに帰ったりするんじゃなかった。

父の死後しばらくの間、梅干しを食べる気になれませんでした。
しかし15年経った現在は、自分で漬けています。
梅干しを漬ける度、あるいはそれを食べる度、思い出してしまいます。


俺には5つ上の姉がいた。

855 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:2007/01/21(日) 23:25:47 ID:mUmZ8C3y
俺には5つ上の姉がいた。
姉は先天性の障害があり、右半身の手足が多少不自由だった。
幼いころから姉と俺はあまり仲が良くはなく、いつも喧嘩ばかりしていた。

就職して3年程経った頃、俺は当時付き合っていた彼女と結婚することになったが、
姉には結婚の話もなくその時もまだ実家に住んでいた。長男であることもあり、結婚後は
実家で両親と同居するつもりでいたが、姉の件もあって家族で揉めることが多くなり、
姉との仲はますます気まずくなっていった。
また、いままで姉の障害のことは自分の周囲に話さなかったこともあり、友人や
同僚に知られるのが嫌で、正直、姉を結婚式に招待したくはなかった。

ひどく空気が澄んだ秋晴れの日、それは結婚式まで後5日に迫った日だったが、
客先での打ち合わせ中に、突然母親から携帯に連絡があった。
それは姉が事故に遭って亡くなったという知らせだった。
姉は車椅子で近くの銀行へ行った帰りにダンプカーに巻き込まれたらしく、ほぼ
即死だったと聞かされた。

あくる日、俺は両親と警察署へ姉の遺品を受け取りに行った。受け取ったバッグの
中に封書があり、1万円札が10枚と1枚の便箋が中に入っていた。

その便箋には、
「○○へ。 結婚おめでとう。できの悪い姉でいろいろと迷惑かけたけど、姉ちゃん
にはこれが精一杯のお祝い。」というような内容が書かれていた。
我に返った俺の目からは、今まで流したことのない大粒の涙がぽろぽろと零れて
いつまでも止まらなかった。

https://life8.5ch.net/test/read.cgi/healing/1112099908/

私に1歳年上の兄がいました。とても優しく、また賢い子でした。

832 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:2007/01/14(日) 01:41:02 ID:vnpV2im/
これはわたしが実際に体験したことです。

私に1歳年上の兄がいました。とても優しく、また賢い子でした。
だから私も兄に甘えっぱなしで、ほんとに我侭な子でした。
当然、親の期待も兄にいっているのも小さいながら感じていました。
ある日兄の体に異変が起きました。
手足に青あざがたくさんあるのです。それもみな、軽くぶつけただけなのに。
心配になった両親はおおきな病院につれていきました。
そこで1週間ほど検査入院すると、兄の病名が分かりました。
白血病でした。
それから兄は一人、入院生活を続けていましたが1年間ぐらいたつとやっと退院することができました。
幸運にも移植せずに直ったかとおもったのですが、幸せは長くと続きませんでした。
再発してしまいました。
それからの生活はまえの入院していた時とははるかにちがいました。
兄が臍帯血移植をしたのです。
移植をするため、兄は隣の県の病院に転院になりました。
となりの県まで母は毎日通っていました。私も週一回お見舞いに行っていました。
無事に移植が成功し兄は地元の病院に戻ってきました。
外泊もできるぐらいまでに回復したのですが、肺炎を起こしてしまいました。
それから1週間後兄は短い人生を閉じました。
私が小学校4年生のときでした。

お葬式のとき、母からきいたのですがいつも兄は私のことばっかり聞いていたそうで
見舞いにいっても顔をみせなかったので兄は
『また僕のところにきてくれない・・・』
とつぶやいていたそうです。
思えばあの時、ずっと兄のそばにいてあげなかったのだろうと今でも思います。

今、私は兄の分まで両親の期待をしょっています。その期待を裏切らないように頑張ってます。
そして兄のようなに病んでいる人を救ってあげたいと思い、看護師になるために勉強しています。

今では兄といた時間は人生の半分ぐらいですが、私は兄といつでも一緒です。

ありがとう、お兄ちゃん


十年ぶりだかで田舎に帰ったんだけど、俺はちょっと暇持て余して買い物してたんよ。

259 名前:なまえをいれてください 投稿日:04/07/04 23:28 gWaxpJpz
十年ぶりだかで田舎に帰ったんだけど、俺はちょっと暇持て余して買い物してたんよ。
そしたら臨時休業か何かでさー、店閉まってて呆然としてたら、
隣の女も同じく空振り食ってたらしくて「あはは、これじゃしょうがないっすねー」っつって笑いあってた。

その人、ショートカットで飾らない感じで、可愛い系ってより美人系って感じの、
もろに俺の好みでな、かなり気になってたんだが、そしたら向こうから
「あの、良かったら・・・これから一緒に買い物でも行きませんか?」
って言ってきたんだよ。二つ返事でOKしたよ。

その人とは、話も合うし、何より一緒にいてすごく楽しいんだ。なんか今日はじめて会ったって気がしない。
俺は今まで告白なんてしたことないチキン野郎だったんだけど、
勇気を振り絞って「また会えませんか?」って言ったんだがそこで目が覚めました。

おはようお前等。

https://that3.5ch.net/test/read.cgi/gline/1089120195/

あぁ、2chは閉鎖したんだっけ……

827 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:2007/01/13(土) 00:26:29 ID:zeSjj/+Z
テレビにニュース速報が入る。
俺は慌ててパソコンを立ち上げ、そして気付く。
「あぁ、2chは閉鎖したんだっけ……」
テレビからは現場の慌しい状況が伝わってくる。
もし2chがあったら、どういうスレが立っているのだろう。
重複スレが沢山できて、それで荒らしとかやってきて……
テレビでは相変わらず、レポーターが必死で現場の状況を伝えている。
可愛いレポーターだ。俺は、頭の中で「萌え~」というレスをつけている自分を想像した。
後ろの群集がテレビに向かって挑発的なポーズを取っている。
「なんだ、あのドキュソ」
「厨房氏ね」
……俺はたまらなくなり、無いとは分かっていながら再び2chにアクセスした。
しかし、画面には一言「閉鎖したのです。。。」とだけしか表示されない。
何度リロードしても変わらない。あの日以来、2chは止まったのだ。
どうやら犯人が逮捕されたようだ。相変わらず可愛いレポーターがその状況を伝えている。
「さよなら、にちゃんねる」
俺はお気に入りから2chを削除し、そして騒がしいニュースを冷めた目で見るのであった。

https://life8.5ch.net/test/read.cgi/healing/1112099908/

じいちゃんは不死身だから心配するな

958 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:04/10/16(土) 06:06:05 ID:w+nN157R [1/5]
いい話ではないけども。

小4の頃の話。
じいちゃんが、検査の為に入院した。どこか悪いとは聞いてはいた。正直、その時は心配したが、異常なしと出たらしく一般の病室に移ったので見舞いに行った。


いつも通り元気なじいちゃんがいた。いつも通りの笑顔を向けてくれるじいちゃんがいた。
久しぶりに会ったって事もあり、色々な話をした。

そしてその明後日、オレは泊まり掛けでの林間学校に行く事になっていた。じいちゃんに言うと、

「おぅ、気を付けて行ってこい。じいちゃんは不死身だから心配するなw」
と笑いながら言ってくれた。


続きます。


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「納豆」を食べると厳しかったが優しい母親を思い出す。

201 名前:匿名希望[] 投稿日:2000/03/22(水) 00:54
ここはホントに泣ける話ばかりで(T_T)
駄文ですが自分の話もひとつ。

今から15年前。小学校6年の5月。当時オヤジの仕事の関係で海外に住んでたんよ。
当時、駐在員同士で母親連中が集まっていろいろ食事を作って晩にパーティーなんぞ
開いてた。親父連中は朝早くから遠い海辺の町へ新鮮な魚を買い付けに。
でかいカジキをうちのオヤジが見事にさばいたりしてたなぁ。
子ども心にオヤジかっこええ!と感じてた。
で、その時は手巻き寿司パーティーだったな。「納豆」があってびっくりした。
なんで「納豆」がこんな遠い異国の地に?と思いつつ、食ってたんだな。
日本から新しく来た人が納豆菌を持って来てくれてたらしい。
ところが、その「納豆」のおかげで翌日に頭フラフラして・・・
なんと腸チフスにかかった。すごい高熱が何日も続いて、必死になって母親が看病して
くれた。いやあんまり覚えて無いんだ。とにかくずーっとそばにいてくれて
冷たいタオルと水分を切らせないように必死に冷たいお茶を作ってくれてた。
汚い水道水を煮沸して氷をたくさん作ってたらしい。
ともかく1ヶ月にわたる闘病生活で俺は10kg痩せ、なんとか回復した。
「あぁ、生きてるんだ」とその時に生まれて初めて感じた。
当時ちょっとひねてた俺はそれほど母親に感謝もしなかったように思う。
もっとあの時に感謝すれば良かった。
母親はその9ヵ月後、俺が小学校を卒業する2週間前、伝染病らしき脳炎で
37歳でこの世を去った。

今でも「納豆」を食べると厳しかったが優しい母親を思い出す。
ありがとう、かあさん。少し遅くなるけど、今度、墓参りに行くね。

https://mentai.5ch.net/test/read.cgi/food/951552846/

仏壇に供えたカチカチのご飯とごはんですよ

164 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/03/18(土) 01:15
いつも田舎のおばあちゃんは仏壇に毎朝炊き立てのご飯を
供えるのが日課でした。夕食にはいつもその日の朝に供えた
ご飯を食べていたそうです。僕が物心ついた頃にはカチカチの
ご飯を食べるのが辛い年になってしまい、お茶漬けにして
「ごはんですよ」を混ぜて食べていたのを覚えています。
そんなおばあちゃんが5年ほど前に事故で死んじゃいました。
買い物の帰りだったらしく、買い物のビニール袋の中に
傷だらけの「ごはんですよ」が入っていました。
お葬式も終わって、家族みんなでその「ごはんですよ」で
お茶漬けを食べました。涙がいっぱい、いっぱい出ました。



一人っ子の俺は、学校から帰ると、いつも一人で 晩飯食って、風呂に入って、テレビ観て。しばらくしたら、一人で寝る。

849 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:05/03/11(金) 01:44:05 ID:Bz8IU0uy [1/4]
ちょっとスレ違いかもしれんけど。

ずっと昔のこと。
俺が小学生の低学年のころ。
うちの両親は共働きで父親はタクシー乗り、母親はお店をしてて
二人とも帰ってくるのは深夜近かった。

一人っ子の俺は、学校から帰ると、いつも一人で
晩飯食って、風呂に入って、テレビ観て。しばらくしたら、一人で寝る。
そんな毎日を過ごしてて。

一人っ子で、家に誰も居ないなんて、自由で羨ましいなんて言う人も居るけど
これが結構寂しいもんよ?

寂しくて、寂しくて。時々泣いたりもした。
それでも、いくら泣いても、やっぱり一人で。
母親の店に電話したりして、困らせてしまったことも何度かあって。

そんな母親は焼肉屋をやってまして。
当時の焼肉屋ってのは、土建屋のおっちゃんらがメインの客層で、
そんなお客たちを相手に母親はひとりで夜中の2時まで一生懸命働いてたんよ。

今考えると、元気なおっちゃんら相手に、女一人で夜中まで相手するのは
色々と大変だったと思うよ。

俺もガキながらに、その大変さを何となく感じ取ってて
そんなに文句言ったりすることは無かったと思う。(たぶん

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お父さんが日曜夜はお好み焼きを焼いてくれた。

150 名前:K子[] 投稿日:2000/03/17(金) 03:03
小さい頃。お父さんが日曜夜はお好み焼きを焼いてくれた。
すごくはりきって、「K子、たくさん食べや」って言って、
焼き方、材料、鉄板にまでこだわって。美味しいもの私に食べさせたかった
んだろうな。

それなのに「お父さんはちゃんと育てられてないんや。悪いけど両親から
下品に育てられてるんちゃうの?」
なんて食べ方のささいなことで言ってしまった。悲しそうな顔してたお父さん。
戦争中、疎開先に親が迎えに来てくれなくて、ひとりですごく遠いとこから歩いて
帰ってきた話も知ってる。いいもん食べさせてもらえなくて身体小さくていじめられたから、
娘にだけは小さい頃からおいしいもの食べさせようとしてくれてた。

あんなことどうして言ってしまったんだろ。
自分が許せない。ごめんなさいって言いたかった。もう遅い・・・。


小さい猫カワイソス・・・

972 名前: 【モナー】 [sage] 投稿日:2019/05/24(金) 12:28:40.69 ID:7Swoe6c80
https://i.imgur.com/HtqtIMl.gif


973 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2019/05/24(金) 15:58:33.78 ID:4//bpeis0
ジャイアンwww

974 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2019/05/24(金) 18:15:16.38ID:gwyE1dpA0
>>972
クッソワロタwww
小さいのカワイソスwww


見送りの新横浜で、親が崎陽軒の「シュウマイ弁当」を買ってくれた。

130 名前:もう15年前[] 投稿日:2000/03/14(火) 20:02
親元を離れ、就職のため上京した私の唯一の頼りは、1年先にやはり
就職でこちらにきていたものすごく仲の良かったひとつ年上のいとこ。

まだまだ生活に慣れない梅雨の頃、職場に突然親から電話が。
「いとこの○ちゃんが倒れたらしい。近くにいるのはお前だけだから
行ってやってくれ。」
上司に事情を説明し、病院へ。病床には弱りながらも意識のしっかり
した彼がいた。
別室で医者に事情を聞くと、ずいぶん前から心臓が弱り続け、もはや
手のつけられない状態だと。

さっき話した彼には、死なんて認識はまったくない。中学で母を亡く
した彼へのさらにひどい運命のしうちに声にならない叫びをあげ拳で
壁を殴る私。
駆けつけた彼の父が残り、その日は寮に帰った。
もう会えないとはわかっていたが、そばにいるのは辛すぎた。

夜中に叔父から電話があり、「死にました」ポツリと告げられた。

翌々日駆けつけた彼の妹とうちの親たちと、悲しみながらも慌しく簡単な
葬儀を行なった。そして、彼は小さな骨壷になって妹に抱かれ新幹線で
帰郷した。

見送りの新横浜で、親が崎陽軒の「シュウマイ弁当」を買ってくれた。

新幹線を見送る雨上がりのホーム、ポツンとひとり残された私。
大げさだがこの世でひとりぼっちになった気がした。

寮に帰り、途方にくれながら1人で食ったあの弁当、味はしなかった。


高校だるくなってロクにいってなくて、 まあ成績もオール4からオール2まで落ちたわけだ。

889 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:04/10/10 10:04:11 ID:OTLoWO0D
高校だるくなってロクにいってなくて、
まあ成績もオール4からオール2まで落ちたわけだ。
親とかとかも取っ組み合いのけんかとかして、
そりゃ心配かけただろうけどもう家にもあんまり寄り付かなかった。

んで、あと英語一回休んだら高校4年目確定とまで言われたわけで、
流石にちょっと勉強しなきゃと思ったときに
1年以上疎遠だった友達となんとなく縁が復活して
アタマのいい子だったから教科書から試験対策まで本当にイロイロ助けてもらった。

その子がセンター試験で
兵庫の名門国立に入りたいって笑って
漏れは正直ちょっと嫉妬した。漏れにはもう無理な世界だからさ。

試験おわって電話きて、
まあなんとかいけたかなーって言われて、
一緒に卒業しようねっていわれたけど
( ´_ゝ`)って気分だった。


890 名前:889[sage] 投稿日:04/10/10(日) 10:04:42 ID:OTLoWO0D [2/2]
その次の日に、地震が来た。
その子は家のピアノにつぶされて、お母さん、お母さんといいながら
息を引き取った。
卒業式に一緒に出られなかった。
避難所で体育館つかえなくて青空だったけど、避難してる人が
一杯お祝いにきてくれても、なんか素直に喜べなかった。

後で生き残ったお母さんに逢ってみたけど、
その子は実は日本人じゃなくて、認知されてないお妾の子だったんだ。
アタマよかったのに金ないから、奨学金うけてさらに学校にだまってバイトして、
国公立分だけの入学金を自分で用意してたんだ。
漏れはいったいそのとき何してたんだろうね。サイアク。

貴女がいたから、今は周り道しながらだけど
どうにか貴女の希望する大学卒業して、どうにかやってるよ。
あー、もしかしたら初恋だったのかもなあ。わからんけど。

長文スマソ。


小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。

767 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:2006/11/24(金) 16:36:07 ID:lr8ZW3iq
父の弁当





小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、
俺は飯のたびに癇癪をおこして大泣きしたり、喚いたり、ひどい時には焦げた卵焼きを親父に投げつけたりなんて事もあった。

翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずにちょっとずつわけてもらったおかずと、持っていたお菓子のみで腹を満たした。

弁当の中身は道に捨ててしまった。

家に帰って、空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い、
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、
「全部食ったか、えらいな!ありがとなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。

俺は本当の事なんて勿論言えなかった。
でも、その後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていた事を親父に言ったわけ。親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して、怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。



さすがに罪悪感を覚えた俺は、気まずさもあってその夜、早々と布団にもぐりこんだ。
でも、なかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父の所に戻ろうとした。流しの所の電気がついていたので、皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、 
親父が読みすぎたせいか、ボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく自分がとんでもない事をしたんだって事を自覚した。でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。

翌朝、弁当の事や今までの事を謝った俺の頭を親父は、またぐりぐりと撫でてくれて、俺はそれ以来親父の作った飯を残す事は無くなった。




親父は去年死んだ。
病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで、頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら、
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」
とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの、微かに笑いつつ頷いてくれた。


弁当の事とか色々思い出すたび、切なくて申し訳なくて泣きたくなる。


漏れのお袋は中卒。

783 名前:コピペ[sage] 投稿日:05/03/01 11:10:04 ID:JiM0hzma
漏れのお袋は中卒。
貧乏だったから小学校も、中学校もほとんど行かずに家業の手伝いをしていたようだ。
そして食い扶持減らしのために若くして結婚。
それでも「父さんで良かったよ」っていつも言ってた。
自分に学が無いからって、必死で働いて俺を学校にいかせてくれた。
自分のことには何にもお金を使わなかった。
漏れも就職して、もう中堅社員だってのに
出張の度「何かあると困るから」って封筒に金を入れて無理やり漏れに渡してくれてた。
封筒には「○○え」って書いてあった(○○は漏れの名前)
いつも「え」じゃない「へ」だって言っても
「お母さん学がないから…ごめんね」って言ってた。
そんなお袋が癌になった。
もうどうにもならなかった。
隠してたけど気づいていたようだった。
最後まで漏れは親孝行できなかった。
付き添ってやるくらいしか…
なのにお袋、最後に
「お母さんの子に生まれてくれてありがとうね」って言った。

母さん。僕のほうこそありがとう。


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復調しました。みなさま励ましのお言葉ありがとうございました^^


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