318 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:03/05/29(木) 00:39 ID:vhLGMhQs
父が亡くなってもう何年も経ちます。
タバコと酒が大好きで毎日欠かさず吸って飲んでしていました。
ま私が生まれた頃は、その量も普通でまだまだ働き盛りの父でした。
妹も二人生まれて家族円満な感じでしたが、祖父の他界で少し状況が変わりだしました。
祖父が他界したショックからか、祖母の痴呆がひどくなってきたのです。
私達孫には意味不明な言葉を言い、母にはとんでもない内容の文句を、
そして実の息子である父にも、自分の勝手で色々ときつい事を言うようになりました。
そんな中、父の病気が発病しました。
もともと父はB型肝炎のキャリアでしたが、祖母からのストレスでタバコと酒の量が
増えたのも発病の原因だったかもしれません。
それからというもの祖母の行動は更にエスカレートしていきました。
少しでも帰りが遅いと、近所の飲み屋に電話して
「医者に酒を止められているのに私の息子を殺す気か!!」
と怒鳴り、飲み屋さんに嫌がられたこともあります。
そのせいでどんどん父の酒の量は増えていきました。
病気の悪化で入院するまでずっと酔っ払いのままでした。
その様を見て発狂する祖母。
時には鎌や鉈、包丁をもって脅すこともありました。
よく今まで生きてこれたなと思います。

入院してからは強い薬の所為でいつもトローンとした感じになっていた父。
お見舞いに行くと嬉しそうに食堂で何か奢ってくれました。自分はなんにも
病院が少し遠くにあったので通っている高校から近い私が付き添いで
何度か病院に泊まりました。
高校であった話を厭きもしないで聞いてくれました。
真夏でしたが夜中には冷房が切れるので、下敷きを団扇代わりにして父の横で寝ました。
今思うと一番そのときが一番マッタリと父と話をした時期でした。


319 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:03/05/29(木) 00:41 ID:vhLGMhQs
ある日の夜中、病室で慌しい気配で眼が覚めると叔父叔母が病室にいました。
「もう(容態が)危ないから」そんなことを言っていた気がします。
その後二人は家族や親戚に連絡を取りにいなくなりました。
少し寝ぼけていた私はまだ大丈夫だろうとぼけーっとしていました。
そして何気なく父を見るとさっきまでの肌の色と少し違いました。
そこで眠気は一気に覚め、うろたえました。
父が死んでいく。
そう思ったらこれからの私たちはどうしたらいいのか。
まだ生きる予定だろう。と意味の分からない考えでいっぱいになりました。
しばらくすると叔母と看護士達が来て人口呼吸と心臓マッサージをしだしました。
そして家族も到着して見取ります。
口々に父へ言葉をかけていきます。母と祖母叔母は泣きじゃくって悲しんでいるのに
逆に私は冷めていました。泣きもしません。
祖母に最後だから手を握っておやりと触った腕は生ぬるく変な感じでした。
妹達も少し涙目でしたが母達に比べたらかなり落ち着いていました。
親が死んだのになんて薄情なんだろうと心から思いました。

葬式の最中も泣く事はありませんでした。
全部おわって片付けられて親戚の人もいなくなった夜初めてお風呂の中で泣きました。
他の人に見られるのが恥ずかしいから我慢してました。緊張の糸って結構もつものだなと思いました。

薄情な娘でごめんなさい。結局親孝行なんてものできませんでしたね。
生きているときはタクシーみたいに使ってしまってゴメンナサイ。
ナイターみたかったのにバラエティー番組に無理やり変えてごめんなさい。
最後の場所にいたのが私でごめんなさい。
お父さんとしてはお母さんが良かったでしょうに。
しかし最後に何も言わないでいくなんてずるいです。遺言とかなんにもないし。

今年でもう私も成人式に出れる歳です。花嫁姿も見せられないですみません。
お父さんの子でよかったと思っています。
これからも見守っていてくれると嬉しいです。   以上。





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