780 名前:大人の名無しさん[sage] 投稿日:03/01/10 16:09 ID:WpOZo0a3
祖父の話
5年ほど前室内で転倒して大腿骨を骨折し歩くのはもう無理と
医者に宣言されても平気で歩いて退院してきたり、
持病が悪化して2000年を迎えるのは無理と宣言されても
元気に新世紀を迎えたり粘り強い人だった。
入退院を繰り返したが調子が悪くなれば「今年中に死ぬ」が口癖だったが
体の調子が良ければ「100歳まで生きる」が口癖、
そう言い続けて数年経っていた。
昨年秋に入院し、年末には退院できる見込みだったが
ちょっと調子を悪くして正月を病院で過ごし3日に意識混濁、
その後、意識不明になり7日の昼に旅起つ。
胸がぜいぜいして旅起つまでの数日間が死への苦しみだろう。
23年前の1月4日に亡くなった祖母が呼んだのかもしれない。
痴呆もなくおむつもせず、介護する方としては大変楽な祖父だった。
明治43年生まれ93歳。
覚悟していた死であったが実際に経験すると涙が止まらない。
祖父の話
5年ほど前室内で転倒して大腿骨を骨折し歩くのはもう無理と
医者に宣言されても平気で歩いて退院してきたり、
持病が悪化して2000年を迎えるのは無理と宣言されても
元気に新世紀を迎えたり粘り強い人だった。
入退院を繰り返したが調子が悪くなれば「今年中に死ぬ」が口癖だったが
体の調子が良ければ「100歳まで生きる」が口癖、
そう言い続けて数年経っていた。
昨年秋に入院し、年末には退院できる見込みだったが
ちょっと調子を悪くして正月を病院で過ごし3日に意識混濁、
その後、意識不明になり7日の昼に旅起つ。
胸がぜいぜいして旅起つまでの数日間が死への苦しみだろう。
23年前の1月4日に亡くなった祖母が呼んだのかもしれない。
痴呆もなくおむつもせず、介護する方としては大変楽な祖父だった。
明治43年生まれ93歳。
覚悟していた死であったが実際に経験すると涙が止まらない。