194 名前:名無しさん[] 投稿日:2000/03/21(火) 08:18
おじいちゃんがぼけてしまって、もう何年もたつのですが…
戦争中、炊事担当だったこともあって、よくいろいろつくってくれた
ものです。なかでもにゅうめんがとてもおいしかったのですが、つくり
かたがいまだにわかりません。なすがはいってて、汁気のないどろっと
したやつです。誰かつくりかた知りませんか。
(ちなみに祖父は富山の人です)
実家はどいなかなのですが、高校時代、帰りがおそくなるといつも
おじいちゃんが自転車で駅の前で待っててくれました。でも私は恥ずか
しくて、無視してさっさと早歩きで帰ってた。おじいちゃんはそのあと
からだまってゆっくりついてきてた。
小学校のころは、学校から帰ると冬はストーブの前でパンをやいたり
豆をいったりしてくれたものです。
おじいちゃんはおばあちゃんよりも背も低くて、戦争のために耳も遠くて
ほとんどしゃべらない、私が朝食のとき新聞を独占してしまうのでずっと
チラシをながめてるような人でした。
もう私のこともわかりません。ゆうごはんのときになにかしたくて台所を
うろうろして、ちゃきちゃきのおばあちゃんにいつも怒られてたことを
おもいだすとなつかしいです。
おじいちゃんがぼけてしまって、もう何年もたつのですが…
戦争中、炊事担当だったこともあって、よくいろいろつくってくれた
ものです。なかでもにゅうめんがとてもおいしかったのですが、つくり
かたがいまだにわかりません。なすがはいってて、汁気のないどろっと
したやつです。誰かつくりかた知りませんか。
(ちなみに祖父は富山の人です)
実家はどいなかなのですが、高校時代、帰りがおそくなるといつも
おじいちゃんが自転車で駅の前で待っててくれました。でも私は恥ずか
しくて、無視してさっさと早歩きで帰ってた。おじいちゃんはそのあと
からだまってゆっくりついてきてた。
小学校のころは、学校から帰ると冬はストーブの前でパンをやいたり
豆をいったりしてくれたものです。
おじいちゃんはおばあちゃんよりも背も低くて、戦争のために耳も遠くて
ほとんどしゃべらない、私が朝食のとき新聞を独占してしまうのでずっと
チラシをながめてるような人でした。
もう私のこともわかりません。ゆうごはんのときになにかしたくて台所を
うろうろして、ちゃきちゃきのおばあちゃんにいつも怒られてたことを
おもいだすとなつかしいです。