105 名前:大人の名無しさん[] 投稿日:04/06/14(月) 21:36 ID:QFiCTgNZ [1/5]
半身不随で言葉もろくに出なくなったおばあちゃん。
母がひと夏だけどうしても一緒に暮らしたいから、と九州の田舎の老人ホームからつれてきた。

子供のころは夏休みのたびによく九州のおばあちゃんの家に泊まりにいった。
おじいちゃんは私の母がまだ学生のころに亡くなっていたから私はあったこともない。
おじいちゃんがなくなった後、小さな種物屋さんをして一人で細々と暮らしていたおばあちゃん。
私たちが遊びに行くたびに、とてもよろこんでご馳走を作ってくれた。
ご馳走といっても小学生だった私たちが喜ぶようなものは何もなかったのだけど。
種物屋さんの外で大声で「津軽海峡冬景色」を私が歌っていると、「うまかねー」とニコニコしてほめてくれた。
でも私は恥ずかしくてむっとしてしまったこともあったっけ。

中学に入り、友達と遊ぶほうが面白いし、九州まで行くこともそうはなくなって、
おばあちゃんは遠い存在になり、ほとんど頭の中にも残らないような存在になった。






106 名前:大人の名無しさん[] 投稿日:04/06/14(月) 21:37 ID:QFiCTgNZ [2/5]
そんなおばあちゃんが倒れ、一人娘の母はどうしてもほんの数ヶ月でもいいから面倒みたいといい、私が高校生の夏に数ヶ月間一緒に暮らすことになったのだった。

高校生だった私はおばあちゃんに冷たくあたった。
なんかニンニクくさくていつも私をみてニコニコしてるおばあちゃんがうざったかった。その数ヶ月間、ろくに話もしなかった。学校から帰ってきては、
おばあちゃんの「おかえり」という声を無視してまた出かけてしまった。
そして母も仕事があったので、おばあちゃんはいつの間にか老人ホームへ帰ることになり、ある秋の日に私が学校から帰るともういなかった。

その後私は東京の大学へ行き、就職した。
そのころおばあちゃんはもう寝たきりの状態で九州の病院に入院していた。
母は単身赴任していた父とおばあちゃんのところを行ったりきたりしていた。
おばあちゃんが寝たきりだった間、私は1度お見舞いにいったか。
でもそのときのことも特に何も覚えていない。なんかチューブがいっぱいつけられて、
話もできず、かわいそうだな、となんとなく思っただけだった。


107 名前:大人の名無しさん[] 投稿日:04/06/14(月) 21:37 ID:QFiCTgNZ [3/5]
それから1、2年しておばあちゃんは死んだ。私も葬式には出た。
母は泣いていたけど、気はしっかり持っているようだった。
おばあちゃんの骨も拾った。それでも、ああ死んじゃったのか、となんとなく思っただけだった。
葬式のときの集合写真を見ると、私は、笑っていた。悲しいといえば悲しかったけどそれほど実感もなく、カメラを向けられてなんとなく笑顔を作っていたのだった。

そしておばあちゃんのことは帰省したとき仏壇を見ると思い出すぐらいになった。

そして、おばあちゃんが死んでから数年後、帰省したときに結婚がどうこう、という話になり、母がふと「おばあちゃんがあなたたち一人ずつに結婚資金、って300万円ずつ残してくれてるのよ」と言った。そんなこと考えてみたこともなかったし、びっくりした。


108 名前:大人の名無しさん[] 投稿日:04/06/14(月) 21:39 ID:QFiCTgNZ [4/5]
それから時々母におばあちゃんの昔のことを聞いてみるようになった。
おばあちゃんは女学校で成績もトップだったのに、家が貧しくて、お金持ちの家に嫁に出された。
お金持ちとはいっても、おばあちゃんが結婚した相手は、頭も体が弱く、まともに働けないような人だった。
悪く言えば、おじいちゃんの家はおじいちゃんのことをおばあちゃんに押し付けて厄介払いしたようなものだったらしい。
子供もできず、母はもらわれてきた子だった。それでもおばあちゃんは母をとてもかわいがり、大学に行かせてやるんだと、必死に働いた。

母は大学へ行き、そして父の元へ嫁ぎ、九州の実家を離れ東京へ行ってしまった。
私たちが生まれ、元気に育ち、小学生の間までは夏になるとおばあちゃんに会いに行っていたが、中学生になりそれもやめてしまった。
私たちが会いに行かなくなっても、おばあちゃんは毎年、冬には大きな箱いっぱいのみかんを送ってきた。入学、卒業のたびにお祝いといってお金も送ってきた。


109 名前:大人の名無しさん[] 投稿日:04/06/14(月) 21:40 ID:QFiCTgNZ [5/5]
おばあちゃんは倒れてからも、母に迷惑がかからないようにと、自ら老人ホームに入った。
入院したりしたときのお金やホームのお金だってみんな自分の貯金から出していた。
おばあちゃんは海外旅行なんか1度も行った事もないし、一番遠い旅行が、私が高校生だったときに栃木の家にやってきて暮らした数ヶ月だったのだ。

おばあちゃんの人生を考えることができるようになった今、私はやっとおばあちゃんのことを想うと涙が出るようになった。
学校へ行きたくてもいけず、好きでもない人と結婚させられ、働きずくめだったおばあちゃん。
唯一の楽しみは母や私たちの顔をみることだったのだろう。
高校生だった私が冷たくあたっても、いつもニコニコしていたおばあちゃん。

わたしもおばあちゃんのように立派に生きることができるだろうか。
海外旅行なんか何度も行った。
学校だって大学院までいって、それも途中でなんとなく辞めてしまった。
お金に困ったこともない。そんな必死に誰かのために働いたこともない。
おばあちゃん、300万円なんて自分のために使えばよかったのに。
私はそんなお金を受け取る価値、まだありません。