654 名前:キャラメル[] 投稿日:01/10/21(日) 03:48 ID:dWP29E5y
仕事が忙しく、ほとんど家庭を顧みなかった父。いつも暖かかった母。
父はいつも眉間にしわを寄せていて、一緒の部屋にいるだけでも緊張した。
もちろん会話もない。なにを話していいのかわからなかった。
自営だったので家族で出かけることもなく、夏休みも冬休みもどこにも行ったことがなかった。



そんな両親も年老いてきて、今では笑いの絶えない家庭になっている。
2年前、26歳にして初めて親元(関西)を離れ上京。一人暮しを始めた。
「なにも東京に行くことはないのに」と母。
「お前が一人で食っていけるわけがない」と父。
出発の日、父はテレビを見ていた。母はバス停まで送ってくれた。
バスに乗り後ろを振り向くと、母が手を振ってくれていた。私の姿が見えなくなるまで。
駅に着くと携帯が鳴った。父からだった。「頑張れよ」と涙声で一言だけ。
人がいっぱいいる中で泣きそうになった。
それから数年後、恥ずかしながら私は自己破産をしてしまった。
両親に話すと「だから言わんこっちゃない!」と父に怒られた。
「一度、帰っておいで」と母に言われ、実家に帰った。
自己破産のことは何も聞かれなかったが、父と二人きりになったとき、
「またゼロからやり直せばいい。お前はまだ若いんだ。いくらでもやり直しが出来る」と
言われ、泣きそうになったので「うん」としか言えなかった。
東京に帰るとき、また母がバス停でずっと手を振ってくれた。
それから週に一度は必ず父が電話をくれる。「元気にやってるか?」と。
父が定年を迎えた今年、久しぶりに帰省した。
「もうすぐ寒くなるから」と父がトレーナーを買ってくれていた。
「ろくなもの食べてないんでしょう」と母が煮物を作ってくれていた。
たしかに、東京での私の食生活はカップラーメンはほとんどだ。
偶然、父の日記を発見し、ちょっと覗いてみると
「○○(私の名前)から定年祝いが届いた。一生の宝物だ」の文字が。
電話では「あんなものいらねぇよ」と言っていたけど、こう思っていてくれたことが嬉しかった。
東京へ帰る日、「いつでも帰って来い。ここはお前の家だ」と父が言ってくれ、
「愚痴でも何でもいいから何かあったら電話してきなさい」と母が言ってくれた。
そして母はいつものように、私の姿が見えなくなるまでバス停で手を振ってくれた。
今の私の目標は、両親を二人揃って旅行に連れていってあげること。
上京して初めてわかったこと。“親って偉大だね”。

親が死ぬまでにしたい55のこと

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