207 名前:大人になった名無しさん[sage] 投稿日:04/11/17(水) 10:29:34
二十歳で自分の娘が生まれて初めての年末。
田舎に住む祖父母の家まで里帰りをした。
お婆ちゃんは既に寝たきり・痴呆で、人の区別も出来ないくらいだった。
毎年年末年始には帰っていたが、
お婆ちゃんのお見舞いなんて最初と最後の日ぐらいしかしなかった。



行っても何も判らない。
会話も出来ない。
ただボーっとしているお婆ちゃんの世話をするだけ。
その空気が妙に心の中でモヤモヤするのが嫌で、
毎日見舞いに行くなんて事はしなかった。

あの日もそう。
旦那を東京に置いて来たので、
正月は家族で過ごす為、私は31日に娘と二人で帰る予定だった。
駅へ向かう前に、1度くらい曾孫の顔を見せなきゃと思って見舞いに行ったが、
ちょうどお婆ちゃんは寝ていて起きる気配もない。
「あーあ寝てるわー(笑)しょうがない、行かなきゃ。またねバァバ。」
まだバイバイも出来ない娘の手を取り、無理矢理バイバイさせて、
私達は病院を後にした。

そして2週間が過ぎた時、お婆ちゃんは亡くなった。
今までろくに顔を見せにも行かなかったし、
ずっと入院していたから思い出ももう記憶の奥底で眠ってた。
だから悲しさや寂しさは無く、
元々明るい前向きな性格の一族であるのも加えて、
葬式の準備も本番も、私を始め、誰一人泣き崩れたりはしなかった。

でもお寺さんに向かう為、家を出る前の挨拶の時。
お爺ちゃんがみんなに思い出を語り始め、
私の母が遂に泣き出した。
順にみんなが泣き出した。
そして私も・・・

どうしてあの年末、もっと曾孫の顔を見せに行かなかったんだろう。
あんなギリギリな時間に行かないで、
朝ご飯の時からお爺ちゃんについて行けば良かった。
私なんかは前に見てるから良いんだよ。
多少なりとも思い出は有るんだから。
でも曾孫の顔を、お婆ちゃんは一度も見る事なく天国へ行ってしまった。

ごめんね。
私がもっと先の事を考えていれば良かった。
「来年もまた来るし」なんて軽い事言わなければ良かった。
もっともっとお婆ちゃんの事を考えてあげれば良かった。
生きてる内に曾孫まで生まれたよ!って驚かせてあげたかった。
本当にごめんね・・・

その後娘が明後日の方向を見て笑ってる時があったけど、
あれはお婆ちゃんだったの?
そうだと良いな。
見飽きるまで曾孫の顔を見て、どうかいつまでも見守ってあげてね。
お願いね。


いちばん大切なこと。


セピアな思い出∫泣ける話
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